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【読書記録】          『人はかつて樹だった』長田弘

とある行きつけの本屋さんで出逢った1冊の詩集。

長田弘さんの『人はかつて樹だった』。

なんと偶然にも今度合唱曲になるとのこと。

本をなかなか読めないでいるわたしにとって、詩集は最後の砦だと思っている。

病室の窓から、2本の樹が見えた。

1本は暴風に晒されようと真っ直ぐに立ち尽くす樹。もう1本は風を受け流すようにしなやかに身体を曲げている樹。

わたしは傲慢だから、どちらの強さもほしい。

どんな嵐の中でも強く芯を持って立っていられる強い幹と、不条理を受け流す自由でしなやかな幹のどちらとも。

自由とは、どこかへ立ち去ることではない。
考えぶかくここに生きることが、自由だ。

長田弘「空と土のあいだで」

素敵だなと思った。

ここに立ち尽くしていても自由になれるのだと教えてくれた。身体が自由であること以上に、思考や感情が自由でなければ、わたしには生きているとは言えない。

何でも深く考え込んでしまうこの性格も、もしかしたらこの世界で自由に生きたいからこそなのかもしれない。

大きくなって、大きくなるとは
大きな影をつくることだと知った。
(略)
うつくしさがすべてではなかった。
むなしさを知り、いとおしむことを
覚え、老いてゆくことを学んだ。

長田弘「樹の伝記」

この1節もいい。

太陽ばかりを見てしまうけれど、「大きくなるとは大きな影をつくること」なのだ。その大きな影の下で、人は雨をしのいだり、一休みしたりするのだから、影を大きくするということは、誰かのための優しさを手に入れることなのかもしれない。

今はわたしにとって、その影を広げるための、大切な時間なのだろう。

久しぶりに、そんな前向きな思考になれた。

うつくしいとは、
ひとだけがそこにいない風景のことだ。

長田弘「草が語ったこと」

長田さんがどういう思考のもとこの言葉を書いたのかは想像するしかできないが、この感覚はわたしにもよく理解できるものだった。

わたしは人間でありながら、人間に絶望する。同時に、人間でしか在れないことにも絶望する。

それでも人間なのだと、どうにかいろんな感情を丸めて小さな箱に押し込んでいるのだ。

だから、人間のいないこの地球はどんなにうつくしいのだろうと思わずにはいられない。この世界を破壊しているのは、紛れもないわたしたちなのだ。

この本からは、「思い出せ!!」という強いメッセージを感じる。大地に根を張り生きていたかつての人間の姿を思い出せと。

なんとも、絶望と希望に満ち溢れた本だと思ったし、こんな詩を書く人に出会えたことが嬉しくてたまらない。

自然を讃えながら、わたしたちはまだ人間をあきらめる必要はないのかもしれない。「思い出せ!!」と叫び続けることで、人間で在り続けられるのかもしれない。

そうなのであれば、この詩集は希望だ。

わたしが人間であるための、唯一の希望がここにあった。

最後に。

一日がはじまる。⸺
ここに立ちつくす私たちを、
世界が、愛してくれますように。

長田弘「立ちつくす」

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