闇落ちした旦那の観察日記[(4)2013年末~2014年3月なかば]
人生は波乗りみたいなもんかもなーと思います。良い波の時は遠慮せず楽しみ、その分、悪い波の時はぐっと耐えて、また良い波がくるのを待つ。私もそういうことがわかり始める年齢になっていました。旦那は決して優良物件ではなく、どちらかというと欠陥物件でしたが、それまで本当によく働き、私に対しても、やれることはなんでも頑張ってくれました。思ってたより人付き合いが不器用で面倒くさい人だったことは予想外でしたけど、それはお互い様ですからね。要するに私は、旦那が本質的にはちゃんとした人だと確信していたため、ゆっくり休ませよう、見守ろうと覚悟を決めました。それに、ちょっと興味もありました。うつ病になるってどういうことなのか。どういうことが起こるのか。
休職診断書をもらってから4日後、晴れて旦那は休職の身となりました。そして、旦那の心は奈落の底に落ちていきました。ほぼ寝たきり。これまでよく頑張ったねえと誉めても、どうだった?どうしたい?、なにを聞いても返事は同じ。”わからない”。心のセンサーがカチカチに硬直して、空白なんです。もちろん、表情も全く動かない。。。よく、うつは怠け病だって言う人いますけど、いやいやいや、別人のようになっちゃうんだから。ビョーキですって。
当初、私は翌年の4月くらいには復職できるかなと想像していました。根拠はありません。たぶん、闇が深く、あまりに視界不良なので、とりあえず自分の中でメドを立てざるを得なかっただけだと思います。はははのは。本番はそれからだっちゅーのに。
まず私は、日々のお金の心配をしなくてはなりませんでした。うちの店は、その年に移転したばかりでまだ全く軌道に乗っておらず、まだそれほど給料がでていなかったのです。とりあえずダブルワークを目指してレジ打ちのバイトを始めるも3日で挫折。ただ、周囲の人に色々話しているうちに、医者や友人知人、お役所まで色々助言をくれました。おかげで自立支援医療制度、住民税の免除などを知りました。ありがたや。そして、休職して1か月が経過した12月、旦那は、会社の本社で面談がありまして。ここまでは有給消化扱いになっていたのかも知れません。復職の意思があることを告げ、1月から傷病手当を頂けることになりました。本当にお金に困った時って、意外と色々な公的支援が用意されているもんなんですね。ただ、そこに辿り着くためには、知識と行動が必要です。必要な人にもっと支援が身近であるといいなと思います。しかしまあ、旦那もうつ病が最も重い時期によく会社に行けたよねえ。生活の責任感からだったそうですが、ぶったおれてしまうのではないかと心配で、私は会社の近くまでお迎えにいき、一緒に鍋を食べた記憶があります。旦那は、しきりと味覚がないって言ってたっけなー。
少なくとも、翌年3月くらいまで、旦那はそこそこ平穏に落ち着いて静養していました。うちの店は昼から夜まで営業しており、私はほとんど店にいるため、旦那はアパートでひとり静かに休養できていたと思います。体調の負担にならない程度に、毎日のペースがあった方がいいだろうと考え、昼ご飯はうちの店に必ず食べにくるように頼みました。そのついでに夕飯の買い物をしてもらって。この当時の旦那は無表情でロボットのよう。外出は長くても3時間が限界、言われたことを言われたように行うだけでした。この生活がもっと続けば旦那ももう少し順調に良くなったのかもしれないなあ。今思えば、我々にとって繭のようだったボロアパート、5年は住んだと思います。そこでの生活も終わりが近づいていました。去年のうちに決まってきたことですが、建て直しのため、引っ越さなければいけなかったのです。
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