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【読書記録】『持統天皇 壬申の乱の「真の勝者」』を読んで考えたこと

瀧浪貞子さんの『持統天皇 壬申の乱の「真の勝者」』を読みました。

ちょっと前に『創られた「天皇」号』を読んで、草壁皇子の血脈を残そうと元明・元正両天皇が四苦八苦していたのを知ったので。
じゃあ、そもそも草壁系統にこだわる原因をつくった持統天皇って、本当のところどういう人だったのか、そこを知りたくて読みました。

持統天皇と言えば、我が子・草壁皇子可愛さに皇位継承の不文律を書き換えた女性です。
息子・草壁皇子や孫・珂瑠皇子を皇位につけるため、ライバルとなる他の皇子たちをことごとく退けた(要は暗殺したり失脚させたりした)人ですから、間違いなく「怖い人」だと思っていました。

この本は、持統天皇の人生を追って、彼女の人となりを説明した本です。
なので、NHK大河じゃないですけど、怖いだけの人じゃない持統天皇を描いています。


人となり

そもそも彼女が生まれた年は、乙巳の変(俗に言う大化の改新)の年で、時の権力者・蘇我入鹿を殺す事件を起こしたのが、父・中大兄皇子。
5歳の時には、祖父・蘇我倉山田石川麻呂が自害している。
蘇我倉山田石川麻呂は蘇我家の傍流で、乙巳の変では中大兄皇子側についた。しかしその後の政争で敗れ、自害。
石川麻呂の娘である持統天皇の母も、その後息子の出産後に死亡。

なんというか、血みどろの家庭環境であり幼少期ですね。
しかも、父が祖父を自害に追い込んだ?(なんか使い捨ての駒扱いされたように見えるんですけど……)
こんな幼少期で、人間不信にならないはずがないじゃん!

そして彼女の結婚相手は、叔父の大海人皇子。
壬申の乱で、異母弟である大友皇子と争い、生きるか死ぬかの決死行を、彼女もともにやり遂げるわけですが、あらためて時系列で追っていくと、大変な強行軍であったことがわかります。
徒歩だったのか、馬や輿に乗ったのか、まあ詳しくは書かれてないようですが、当初は追われる立場だったわけですから、夜を徹して移動するというだけでも大変だったと思います。
もたもたしてたら死ぬ! から歯を食いしばって頑張ったのでしょうけど、辛いし苦しいし怖いし、この体験が彼女の人生を決定づけたというのも、頷けます。こんなの二度と経験したくない! と誰しも思うことだと思うので。

そうやって手に入れた安住の地(立場)が、簒奪者の妻なんですもんね。
自分たちに不満を持つ人たちをいかに黙らせるか、納得させるか、そこを考えなきゃいけない立場。
納得させられなかったら、今度は討たれるかもしれない立場。
殺される前に殺せ、となっちゃったんでしょうね、怖いから。

称制という制度

私は日本史に詳しくないので知らなかったんですが、称制という制度があったんですね。
天皇位につかず、でも政治の実権を握って政治を行うこと、と。
天智天皇も天武天皇も持統天皇も、称制を自分たちの都合で利用したようです。

なぜか。
天智天皇は、皇位を母(斉明天皇)から継承するのをNGと言われないため。当時の女性天皇は、どうも実子を次の天皇に指名NGだったようです。だから、実績づくりに利用したと。
天智天皇の場合は、簒奪者の汚名をそらすため。
持統天皇の場合は、夫・天武天皇の死後、息子・草壁皇子が30歳になるまでの時間稼ぎとして。当時の天皇位は、20代は若すぎてNGだったんですね、政治は大人の仕事だということで。

つまり、彼ら彼女らが称制を利用してる間、天皇位は空位だったわけで、あ、なんかゆるいな、と思ってしまいました。
なにがなんでも天皇が必要なわけじゃなくて、実質的なリーダーがいて、国の政治が回っていくならそれでいいというか。
天皇位は、確かに欲しがる皇族が多いし、あればそれに越したことはないけれど、要は実権を握っている方が重要というか。
だから蘇我氏も藤原氏も、自分たちで王朝を開こうとはしなかったし、継体以前にそういうことがあったかもしれないけれど、安全に実権を握った方が旨味があるというか。

逆に言えば、持統の子、孫、曾孫は、実権がなかったからこそ、天皇位に拘らざるを得なかったんですね、あ、そうか。

天武天皇神格化

だから、天武天皇の子孫というのを表面に出すと「簒奪者の子孫じゃねえか」となってしまうので、天武天皇をうやむや的な神扱いにして、神の子・
草壁皇子の子孫たち、という肩書をつくったと。
いやはや、神扱いとは都合良すぎでは?

今でこそ伊勢神宮って天皇家の守護神みたいな感じですが、当時は伊勢神宮なんてなかったし(!)
壬申の乱の際に悪天候の中、天武天皇は命からがら「朝明郡迹太川」まで来て、そこで雲が晴れて太陽を見たことが、これからの希望に見えたかなんかで、拝礼、太陽信仰を取り入れることにつながったと。
それで、天皇家の祖先として太陽神アマテラスがうまれ、伊勢神宮の整備につながっていったと。

いや、まあ、古事記も日本書紀も天武天皇の時代以降の編纂なので、天武天皇が「これでいこう」と言えばそれが通っちゃうんですけどね。
だったら、いっそのこと天武天皇を太陽神にしちゃえ、となるのもアリか。
識字率も低かったから、死んだ人のことなんていつまでも覚えちゃいないし、農業をする上での太陽信仰はそもそもあったろうし、正直、天武天皇を神に祭り上げても誰も困らない。死者が何かをしてくるわけじゃないし。

ただ、時代が下って、天武天皇を直接知らない人が増えてくると、この神格化が草壁系統の神格化につながってくる。
30歳未満の若造は帝位につけなかったはずなのに、存在自体の神格化が増すことで、15歳の珂瑠皇子(文武天皇)が天皇位につくことを可能にしてしまう。
能力ではなく、血筋のみが皇位継承の決め手となってしまう。

まあ、基準があいまいで、結果的にライバルをばかすか殺しまくることになるより、血筋に序列をつけた方が平安と言われればそうですけどね、天皇位なんて権威主義システムそものもだし。

万葉集もプロパガンダだった

持統天皇が退位後にやった事業が、万葉集(母体万葉)の編纂で、歌による王朝の歴史の記録化、天武→草壁→文武の皇統の正統性を主張するための事業だったそうです。
あくまで母体万葉とのことですが。

孫が可愛いから、孫の命と立場と皇位を守るために、何でもやるよ! という心意気ですかね。
気持ちはわからんでもない。幼い孫は心配だろうし。
しかしこうなると、当時の国家事業的文書は基本コレ? と疑いたくなりますね。だって最高権力者がやってるんですから。

逆に、ここまではっきりやられると、引き算して読めばいいわけですから、わかりやすいかも。いや、どこまで引くかが微妙か。
てか、その前に『万葉集』ちゃんと読めよですね、すみません読んでないです。

本を読めば読むほど、おのれの無知さが身に染みます。
恥ずかしい~。
もっと本を読もう。(結局、ここにたどり着く)

おわりに

歴史に「もしも~だったら」はないですけど、「もしも乙巳の変がなかったら」持統天皇は皇位につかなかったかもしれないし、なにがなんでも孫の珂瑠皇子を天皇にしようとはしなかったかもしれません。
著者の瀧浪貞子さんは、壬申の乱こそ持統天皇の運命を変えたと仰ってて、私もそうだと思いますが、乙巳の変がなければ壬申の乱もなかったかもしれないと、ちょっと思ってしまいます。
やっぱり、殺されるのは誰しも怖いので、その恐怖の前には、反乱の一線を越えることなんて軽くなっちゃったのかもしれません。

ただまあ、半ば合議制だったとはいえ、「30代の成人した大人」「母の身分が高い」という基準で皇位継承者を決めるとなると、まあもめますよね。

人生にしても社会にしても「正解」ってないので。
「もしも~だったら」と言って、そのもしもルートの社会があったとしても、その先にはやっぱりどこか歪な負の部分が待ち受けているわけで、やっぱりこの世界を受け止めていくしかないんだな、と覚悟する次第。

持統天皇が幼帝OKにしちゃったから、天皇の権力が空疎になったり、のちの摂関政治を導いたり、院政や武家政権を導いちゃったりもするんですが、まあそれはどこの国にも起こりうることなので、仕方がない。
外から攻め込まれないのを良いことに、権力闘争に明け暮れてたことが、今となっては「それがこの国の弱さ」でもあるので歯痒くはありますが、ま、仕方ない。

少なくとも、血統だけで幼児を国のトップに据えたり、国のトップを決めるために内戦勃発させたり、そんなことをすればあっという間にこの国は亡びるので、我々は冷静に物事を考えて判断しなきゃいけないし、我々市民こそがこの国のリーダーだと自覚しなきゃいけない。
歴史を読むって、そういう意識にもつながっていくので、ちゃんと読まなきゃなと思うのでした。


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ほんのよこみち
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