古本市のない生活⑥「古書店のランクづけ」
古本屋・古本市は面白い。
この面白さを、他の人とも共有したい。
そう感じてから、これまでに何十人もの人に、古本屋・古本市に行くことを勧めてきた。
「楽しそうですね、行ってみます!」と言い、実際に足を運んでくれた友人・後輩さんもいるにはいたが、多くの場合「いやー、自分にはまだはやいです」と言われて、悲しい気持ちになった。
なかなか人に何かを勧めるというのは難しいものである。
今回紹介したいのは、東京大学教授(当時)・由良君美による「古書店のススメ」である。聞き手は東京大学の学部生達。彼の声はきちんと届いたのだろうか。
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○今回の一冊:由良君美「古書の買い方」(『みみずく偏書記』ちくま文庫)
「高校時代、私はある古書店に毎日のように入りびたり、店主の話に耳を傾け、勝手に店頭の書物を耽読し、安く売ってもらったりした。店主はアナーキストの詩人で相当の語学力と思想や文芸の知識を持っていた。翻訳の問題になれば原本を棚から下して比べ、造本のことになれば、次々に限定本をとりだしてきた。想えば、学校に数倍する知識を、あの店頭でさずかっていたのだ。この店主のような奇人は減ったが、それでも古書屋さんには立派な人が多かった。駒場には古書店がない。需要がないためだとすると、これは少々、大学町としては淋しいが、せめて古書の必要を感じている諸君に、参考となる話をすることにしよう。本当の古書は稀覯本や絶版本が中心だが、今回は、本学部の学生がさし当り入用な古書のことに限ってみる。」(P170)
冒頭の文章を引用してみた。
ここでは、由君が高校時代に入り浸っていた古書店とその店主の話が語られている。相当の語学力と思想文芸の知識を兼ね備えたアナーキスト詩人ーー著者が言うようにまさに「奇人」である店主の存在は、なかなか興味深い。さすがにここまで個性的ではないが、自分にもずっと話を聴いていたいと思えるような古書店店主の知り合いがいる。古書店の醍醐味は、古本との出会いとともに「店主」との出会いにもあるのではないか。そのことを、冒頭の文章を読んで再確認した。
また、引用に戻ってみる。
「まず古書店といってもピンからキリまである。最下等は週刊誌の類いを扱うから、店の一隅に奥さん連中が売り飛ばしたベストセラー小説や、試験終了と同時に君らの同類が厄介払いした参考書を、古書として置く店。中等は特に品を吟味せず雑然と古書一般を扱う店。これには、倒産ないし準倒産会社の新本を安値で扱う所謂ゾッキ屋も入る。上等は何かの専門分野をもち、その分野の善本だけを置く店。最上等はその専門が複数にわたり、店頭に数倍する品を倉庫に蓄積し、定期的に目録を発行し、目録自体に書誌学的価値がある店。ほかに店舗をかまえず目録による通信販売の店もある。
どの等級の店も、目的に応じて有用だから、自分の行動圏の古書店を憶え、どの等級に属するかを実見しておき、上等以上なら、その専門を知っておくのが、まず肝要。たとえば、『コンサイス仏和』が古書で欲しいとか、ナントカ原論のタネ本がいるという場合は、最下等で間に合うが、ウェーバー『儒教と道教』の翻訳が欲しいのなら、上等以上にゆかざるをえないだろう。しかし、最下等にも、これ以外の効用があり、全集の「ききめ」(全集・叢書の特に入手困難な巻)が原価で転がっていたりする。『氷壁』と『戦艦武蔵』の間に、『岩波版鷗外全集別巻の二』が百円でまぎれこんでいたりするから面白い。井の頭線沿線の古書店は総じて中等。近頃の中等は、古書一般と自称しても、次第に「白っぽい」品(新本でも買えるもの)が「黒っぽい」品(絶版物)を圧倒している店が多い。だから本当の古書探しには物足りないが、同じ品でも上等以上の店よりは値段が安いというのが、中等どころの狙いである。「ゴミ本」と称する均一本のコーナーがあるのも中等の面白さで、五十円均一のなかに、どうかすると、伊東静雄『夏花』があったりするのだ。」(P170~171)
「ところで、古書に慣れたいならなんといっても、古書展示即売会に足繁く通うことだろう。折よく小川町に、東京古書会館が四階建ビルとなって落成したばかりである。ここでは数種の古書展が定期的に行われ、展示会場の名簿に名前を記帳しておけば、開催通知と目録を送ってくれる。この七月には、趣味展・愛書会・書窓会がそれぞれ上・中・下旬に展示即売会を開くはずである。ステテコ姿でマージャンをやっている暇があるなら、騙されたと思って、一度古書展に行ってごらんなさい。熱意と慣れと年季とが、やがて嫌でも君を古書の眼利きにするだろう。」(P173~174)
由良が展開する「古書店のランクづけ」には心惹かれるものがある。
①週刊誌・ベストセラー小説・参考書を「古書」として販売する店(最下等)。
②ジャンルに拘らず「古書」を販売する店(中等、ゾッキ屋も含む)。
③特定の専門分野に絞って「古書」を販売する店(上等)。
④専門が複数にわたり、倉庫に大量の古書を抱え、定期的に重厚な目録を発行する店(最上等)。
「最下等」「最上等」という言葉づかいに目を向けると、一見「最下等の店には行く価値なし」と受け止めてしまいがちになるが、そうではない。本文中にもあるように、由良は、人々が自身の手に入れたい本にあわせて、利用する古書店のランクを使い分けることを勧めている。
「ランクの使い分け」の例が語られた後、次に「中等」古書店についての、由良の現状分析が展開される。古書の中身が、「黒っぽい」本より「白っぽい」本の方が多くなったことや、相変わらず面白い「均一本コーナー」の話など、2020年現在にも通じる指摘がなされている。
私が古書店の面白さに気づけたのは「均一本コーナー」の存在が大きいので、「いままで古書店に行ったことがない」という人は、まず均一本コーナーに目を通してみることをオススメする。運命の一冊に出会えるかもしれない。
最後の引用文は、由良による「古本市のススメ」。通い詰めることによって「古書の眼利き」になれるという言葉に、胸が躍る。
はやく通常どおり、古本市が開催され始めるといいなー。