盗人狩とキリシタン灯篭の湊|新MiUra風土記
地名に惹かれ訪ねた旅がある。その町も土地のことも知らない『地球の歩き方』やインターネットも無い時代だ。
欧州ならウルビーノ、シラクサ、ロードス。中東はアカバ、ジェリコ、ヤッフォ、アレッポ、ディヤルバクル、アレクサンドリア。アジアは大理、カシュガル、基隆、ホイアン、クチン。北米はケチカン、キャンベルリバー、ポートランドか。そこは日本人には馴染みのない場所だったかもしれない。
ここ三浦にも地図で見つけたそんな地名がある。それが盗人狩だった。黒澤明の映画『隠し砦の三悪人』や五社英雄の『御用金』を思い出してしまう時代活劇めいた名。そこは半島最南端の崖っぷちで沿岸遊歩の絶景にふさわしい。
京急三浦海岸駅発のそのバスは昼間1時間に1、2本。剱崎・三崎東岡行きは金田湾をぐるりと周り台地に上がると松輪バス停だ。ここから海岸線めぐりの起点になる剱崎岬とその灯台に向かう。
それはCape Sagami(相模岬)と黒船のペリー艦隊の海図に記された場所で、彼らは長靴のようなイタリア半島に似た三浦半島を相模半島と呼んでいた。(*1)
丘陵に広がるキャベツや大根、ときにはスイカの畑を眺め剱崎の灯台(剱埼)をめざして間口漁港へ坂を下る。ひっそりした湾に釣人用の民宿がポツポツあり一度は泊まってみたいと思うのだ。ただ季節によれば松輪サバで活気づく。東京湾の走水(横須賀市)の「黄金アジ」とともにこの三浦のブランド魚は高値で地元でもなかなかありつけない。
漁港から磯と岩場を抜けると白亜の剱埼灯台の立つ剱崎岬だ。江戸初期、官財船が難波したとき神官が剣を沖になげ龍神の怒りを鎮めたというかながわ景勝50選のひとつ。初代灯台は、お雇いイギリス人技師R・ブラントン(*2)による。横須賀港を手掛けたフランス人ヴェルニーの観音埼灯台とともに洋式灯台の嚆矢だった。
灯台からは対岸に横たわる房総半島、その南端の洲埼灯台とこの剱崎を結ぶ線が東京湾の玄関口外湾になるのだ。異国船の往来、三浦半島が日本の夜明けの礎になっていたことをこの岬でも感じる。ここを舞台にした立原正秋(1926-1980)の代表的短編小説『剣ヶ崎』は異邦人の視点から日本の近代を思わせる。
「三浦・岩礁のみち」の案内柱が立っている。(*3)さきの松輪バス停からこの剱崎岬や盗人狩をへて城ヶ島対岸の宮川町まで10.3キロメートルの遊歩ルートだ。
沖合を行きかう多国籍な船舶を眺めながら波浪で海蝕された岩畳を踏破すると、松輪港の江奈湾にでた。この湊に「潜キリシタン灯篭」(*4)の地蔵堂があるという。ここまでは何度か来ているが訪ねるのは初めてだ。
地蔵堂そばに住むOさんに偶然出会い案内の上で見聞、撮影させてもらった。ふつうの戸建ての家の内部は町内会の倉庫兼寄合所のようだ。
花崗岩のその灯篭は下部の竿部分のみで、両脇をお地蔵様に挟まれて鎮座している。解説本にはキリシタンが海底に避難させたのを漁師が引き揚げたもので、十字架の横棒が短く角のゆるいシルエットと縦軸の上部が短い卍記号とマリア像?の彫りがそう見えなくもない。
「今もキリシタン?がおつとめされるのですか?」と尋ねたら「そんなの無いよ」とあっさり外されてしまうが、大切に奉じられている様子だ。三浦半島の潜伏キリシタンもこの連載でさがし歩いてみよう。
江奈湾を回った干潟にアシ原が広がる。そこはチドリやサギが舞い、ヨシやガマ類の下でアカテガニやシジミガイが棲息するというビオトープ。ここは三浦のもう一つのエコの聖地小網代の森と同じく人々の自然保全活動により開発を免れている。
いったん国道に上り毘沙門天入口バス停から白浜毘沙門天(慈雲寺)へ下る。
笹やぶに囲まれたその本堂にはこの浜から出現したという尊像が三浦七福神として祀られている。
白浜毘沙門海岸でサンドイッチをほおばり、岩に付着したアオサの香りとともに沿岸遊歩を再開。浅間山という小岬を回るとハイライトのはじまりだ。
岩礁によせる波、絶壁の海食崖の山。入江と岩畳を進むにつれて奇岩群が現れる。それは縄文海進から地殻変動、関東大震災の海底隆起がもたらしたものでいつ見ても奇観。僕はこれをジオアートだと呼んでいる。
巻貝の殻が多い浜もある。崖面に穴があるのは毘沙門天洞窟で弥生時代からの住居で漁労具も発見されたという。(*6)
毘沙門湾をへて千畳敷へ。ここから盗人狩までは絶妙の奇景色。岩盤は白と黒の泥岩と凝灰岩のミルフィーユ。せまる波調層(波のようなきれいな地層)がむき出しの山。高校生のとき地学の授業をもっと真面目にやっておけばと後悔する。
盗人狩、地名に惹かれて来た場所。それは想像を超えたものだった。(*7)三方に立ちはだかる岩場には入江が深く切り込まれ、その奥にはドラゴンが出てきそうな巨大な穴が見える。岩礁から見上げその迫力に圧倒され、カメラのファインダーに収まらないことがもどかしい。ひるむのは盗っ人だけではない。ここは僕が知る三浦の秘境ナンバーワンだろう。
地名は歴史の化石で証言者だ。江戸を目前にしたこの岸辺で、史実に残らない出来事があったと思いたい。
盗人狩の海蝕風景で〈気〉を充填させたら、ゴッホの絵のようにゆがみ黄色づいた観音山をさいごにすると、宮川湾の「みうら宮川フィッシャリーナ」のヨット等の停係泊施設にたどり着いた。
ひと息つくとこの湾の崖の上には3翔2基の白い令和の風力発電機(*8)が気持ち良さげに回っていた。絶景は三浦半島にもあるのだ。
文・写真=中川道夫
▼この連載のバックナンバーを見る
最後までお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、ウェブマガジン「ほんのひととき」の運営のために大切に使わせていただきます。