【堀切菖蒲園】江戸時代から続く伝統のハナショウブに会える場所
東京都葛飾区の「堀切菖蒲園」に行ってきました。色とりどりのハナショウブが咲き誇る風景は、その花言葉が示すとおり優雅なものでした。
堀切菖蒲園ではいま、おなじくハナショウブの名所である水元公園とあわせて、6月16日まで「葛飾菖蒲まつり」が開催されています。
ここでは堀切菖蒲園の歴史とその魅力をご紹介します。ぜひ最後までお付き合いください。
歌川広重も描いた堀切の花菖蒲
堀切の花菖蒲は江戸名所のひとつとして古くから知られており、歌川広重の『名所江戸百景』にも描かれています。
堀切の菖蒲園の歴史は、江戸時代に花農家を営んでいた伊左衛門が「小高園」を開いたことに始まります。その後、江戸時代に「武蔵園」、明治から大正にかけて「吉野園」「堀切園」「観花園」などが開園、多くの人が訪れる屈指の名所となりました。
戦時下にこれらの菖蒲園は閉園を余儀なくされますが、食糧難で水田に変わるとき、堀切園を開いた礒貝忠次郎の息子・庄太郎は貴重な品種を安全な場所に移して守りました。戦後、1953年にこれを植えもどすことで営業の再開を果たしたと言います。
江戸時代に誕生した「菖翁花」とは
堀切菖蒲園の見どころのひとつは、江戸時代に作出された「菖翁花」に会えること。自らを「菖翁」と称し、60年の歳月をかけて日本の花菖蒲の発展に貢献した江戸時代の旗本・松平左金吾(定朝)が生み出した品種を菖翁花と呼びます。
堀切菖蒲園ではいまも、「王昭君」「五湖の遊」「霓裳羽衣」「蛇籠の波」などの菖翁花が栽培されています。小高園の伊左衛門が定朝から菖翁花を譲り受け、それがのちにほかの菖蒲園にも広まったと言われています。
番付表が担った大事な役目
ふと園内の掲示板に目をやると、相撲の番付表を模した「江戸花菖蒲番付」なるものが貼られていました。東の横綱に「追風」、西の横綱に「春の海」と書かれています。
これは最近のイベントで行われた人気投票の結果を反映したものですが、じつはこの番付表、意外に古い歴史があるようです。菖蒲園がこの地域にひしめいていた時代には、各園独自のハナショウブの特徴や魅力、品種の豊富さなどを伝える大事な役目を担っていたと言うのです。
園内には、ハナショウブの「色」や「模様」、「形」に注目してその個性を味わうコツを記したパンフレットが置かれています。これを片手に鑑賞すると、違いがより鮮明になって楽しめるのでお薦めです。
この地で生まれた“堀切っ子”たち
堀切菖蒲園では、公園管理所の職員が作出して1990年に新花登録された「堀切の夢」という独自の品種も栽培されています。
2022年に新花登録された「堀切の祭」「堀切の舞」「堀切の君」は“堀切三姉妹”と呼ばれ、圃場デビューこそまだ先ですが、園内の一角でその姿を見ることができます。
菖蒲園はここ堀切にかぎらず、全国各地にあります。初夏の風が心地よいこの季節、優雅で魅力的なハナショウブたちに会いに、お近くの菖蒲園を訪ねてみてはいかがでしょうか。
文・写真=飯尾佳央
撮影日:2024年6月6日
付録「花菖蒲アルバム」
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