[七夕の起源]星に捧ぐ、五色の糸と梶の葉|笹岡隆甫 花の道しるべ from 京都
2013年7月、青山のスパイラルホールで『花方』~第一章「星逢いの宴」が開催された。作家の岩下尚史さんが“青山亭主人”となり、日本の伝承芸能の目利きである主人の目にかなった“花方”*たちの芸とトークをご覧いただくという試み。構成は日本舞踊の尾上菊之丞さん、進行は俳優の八嶋智人さんという豪華な顔ぶれだ。
テーマは星逢い、つまり七夕。五色の短冊に願い事を書いて、笹や竹につるす。今ではそんな風習さえ、目にすることが少なくなった。
七夕は、芸事上達を祈る宮中儀式だった
七夕のルーツは、牽牛・織女を祀り芸事の上達を祈る「乞巧奠」だ。中国で始まり、奈良時代から宮中儀式として旧暦7月7日に行われた行事で、次第に民間にも広まった。それが、民間信仰としての棚機(水辺に棚を設え神の衣を織る棚機津女の伝説)、お盆前の禊(水を用いて穢れを払う清めの行事)と結びついて、今日に伝えられた。
和歌の家・冷泉家の七夕行事「乞巧奠」
800年続く和歌の家である京都の冷泉家(京都市上京区)では、旧暦7月7日に乞巧奠を行う。南庭に「星の座」と呼ばれる祭壇を設け、海のもの、山のもの、秋の七草、五色の布や糸を並べて、星に捧げる。管弦の奏楽、和歌の披講があり、天の川に見立てた白布を隔てて恋の和歌を詠みあう「流れの座」と続く。星の座に欠かせないのが、梶の葉。かつては、この梶の葉に和歌をしたため、技芸上達を願ったという。茶の湯でも、この時期、葉蓋といって、水差しの蓋に梶の葉を使うことがあるが、なんとも涼しげで風流な趣向だ。
七夕といけばなのつながり
七夕は、いけばなとも関わりが深い。室町時代の公家や僧侶の日記を見ると、「七夕法楽」の記載がある。七夕の節供に草花を室内に飾り、会衆が種々の文芸芸能を楽しむ年中行事。屏風を立て、唐絵と呼ばれる中国伝来の絵画で飾られた会所で、数十瓶の花に囲まれながら節供の儀を行ったあと、文芸や酒宴を楽しんだ。この瓶花は二日ほど飾られ一般に公開されたから、現在のいけばな展の原型とも言える。
いけばなの独学書として江戸時代に編まれた『生花早満奈飛』には、七夕の花として、桔梗、刈萱、女郎花をいける、と書かれている。旧暦7月7日は、まだ暑さの残る時期だが、早、秋の風情だ。また、葉のついた竹をいけるのもよい、とされる。
さて、スパイラルホールでは、広口の水盤にたっぷり水を張って禊の意を込め、秋草をいけ、梶の葉を浮かべた。趣のある樫の樹皮、コルクの筒には竹を。また、その横には樹齢100年以上の紅葉の大木を据え、緑の美しいアセビ、星に見立てた百合を添えた。アセビの枝には、五行(木火土金水)を象徴する五色(青赤黄白黒)の糸を垂らした。童謡「たなばたさま」に出てくる五色の短冊は、もともと冷泉家の星の座のように五色の糸であり、古式に則ったわけだ。
私が花をいけ終ると、いけばなが舞台装置となり、藤舎貴生さんの笛の演奏に合わせて、舞踊集団菊の会が群舞を披露する。舞台の照明は様々に変化し、いけばなを直接照らすこともあれば、シルエットとして浮かび上がらせることもある。そのため、シルエットが美しく見えるように、花器の構成を工夫した。
京都各地の七夕祭
7月~8月にかけて、京都の各地でも、七夕祭が行われる。サッカーワールドカップの際に、球戯上達の神として話題となった白峯神宮(上京区)では、七夕祭に蹴鞠が奉納される。北野天満宮では期間中、七夕笹で飾られた境内参拝や御手洗川足つけ燈明神事が行われる。境内のご神水に足をつけ、無病息災を祈る禊の行事だ。夜間のライトアップにもぜひ足を運びたい。
文=笹岡隆甫
撮影=岡本隆史
画像提供=スパイラル/株式会社ワコールアートセンター
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