中原中也の青春時代が、スクリーンで甦る──映画監督・根岸吉太郎さん、かく語りき|[特集]山口、天才詩人の故郷
「幻の脚本」の存在
脚本家・田中陽造さんが、「ゆきてかへらぬ」というシナリオをお書きになったのは、かれこれ40年以上前です。大正時代、当時駆け出しの女優だった実在の人物・長谷川泰子を主人公に、詩人・中原中也、文芸評論家・小林秀雄との三角関係を描いたシナリオで、多くの映画監督たちが映像化したいと名乗りを上げつつ、長年実現できずにいた幻の脚本でした。僕と田中さんは、16年前に「ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜」を共に制作したというご縁がありました。これほど素晴らしいシナリオを、日の目を見ないままにしておくのはもったいない。「そんなバカな話はない!」と田中さんをせっついて、3年ほど前にようやく動き出したんです。長谷川泰子役には広瀬すずさん、小林秀雄役には岡田将生さん、お2人に出演オファーして「ぜひやりたい」と快諾いただいたのも、実現に向けての大きな後押しになりました。
ところが、中原中也役が一向に見つからず、またもや足踏み状態になってしまった。今作の中也は17歳の設定。何回もオーディションを重ねて、何人もの若手俳優に会いましたが、イメージに合う人をなかなか見つけられませんでした。オーディションはさまざまな方法で行いましたが、その一つが「ホラホラ、これが僕の骨だ」で始まる中也の詩「骨*」を、全身でパフォーマンスしてもらうこと。素晴らしい詩を数多く世に残した中也ですが、中でも「骨」は、中也が自分自身をまっすぐ見つめた作品です。それをどう表現するかに、演じる俳優と中也のつながりが滲み出ると考えたんです。当時としても小柄だったという中也の外見も、僕のイメージする中也像には大事な要素でした。
いよいよ焦り始めた頃、目に留まったのがNetflixの「First Love 初恋」に出演していた木戸大聖くんでした。高校生という役どころを、彼は20代半ばながら、違和感なく魅力的に演じていた。初めて会った時、彼の目が放つ光がすごく印象的で、即座に「大聖で行こう」と決めました。中也が持っていたであろう狂おしいほどの詩への情熱、泰子への一途な思いを、その光に感じたんです。
奇妙な三角関係
今回の物語は、長谷川泰子の自伝に準拠しているわけではありませんが、第三者もそれとほぼ同じことを書き残しているので、ある程度は史実に則ったストーリーだと捉えています。改めて思うのは、彼ら3人の関係は、実に複雑で奇妙だということです。だからこそ、強く引きつけられてしまうのです。
例えば、16歳で山口から京都に出てきた中也は、そこで出会った3歳年上の泰子に一目惚れします。彼女の他の誰とも違う強烈な個性に、一瞬で絡めとられてしまったというか。やがて2人は同棲し始めますが、一方の泰子にとって中也は、夢をつかもうともがく“同志”ではあっても、男として惹かれていたわけではなかったように感じます。ただ、互いに文学の才は認め合っていたのでしょう。中也が、泰子にも詩を書くよう勧めたとのエピソードも残っています。
その後、泰子と共に東京へ居を移した中也は、東大生の小林に出会います。詩人の卵だった中也と文芸評論家の卵だった小林、互いに才能を認め合うもの同士、そのつながりは実に強固だったと想像します。小林にとって中也は、自分が発見した天才詩人であり、中也にとっては小林に認められることが大きな力になったはず。出会ったその年に小林は、中也から泰子を奪うことになるわけですが、もしかしたら泰子が“中也の女”だったからこそ、惹かれてしまったのかもしれません。
亀裂が生じた後も、3人の関係が途切れず続いていくのがまた不思議です。中也は、泰子が自分の元を去った後も、彼女に捧げる詩をいくつも残しています。しかも、泰子は小林と別れた後に演劇関係の男との間に子供を産みますが、なぜか中也がその名付け親になっている。いわば、出会った時から中也は泰子に片思いし続けているんですよ。それは、泰子が他の男の元に去ったからといって消えたりしない、強烈なものだったのではと。中也と小林の関係もまた、同じ女を取り合ったからといって終わったりしませんでした。中也は、死の直前、自作の詩を小林に託します。中也の死後、小林がそれを編纂し世に出したのが、『在りし日の歌』です。小林は、天才詩人・中原中也を生涯評価し続けたのです。
3人の人生を見渡してみると、彼らの三角関係が大きく動いたのは、彼らが青春の真っ只中にいたからだとも思います。ですが、リズム感と色彩感に満ちた唯一無二の中原中也の代表作が、その後に書かれていることを考えると、小林に泰子を取られ彼女を失った喪失感が、中也の詩人としての境地を押し上げる転機になったと言えるでしょう。今作で描くのは、未熟でエネルギーに溢れた彼らの若き日の出来事。3人が互いにぶつかり合い、傷つきながらも前に進もうとした日々が、なおさらかけがえのないものに思えるのです。
構成=後藤友美(ファイバーネット)
──この特集は、本誌でお読みになれます。東京での生活に別れを告げ、故郷の山口に帰ろうとした矢先に亡くなった天才詩人・中也。恋敵でもあった小林秀雄宛ての署名本、中也が名付け親でもある泰子の子・茂雄の所蔵アルバムなど、今に残る貴重な資料をもとに、中也の人生の旅路を辿ります。映画公開を前に、本誌をぜひご一読ください!
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