歴史の舞台をめぐる旅 坂井孝一(歴史学者・大河ドラマ時代考証者)
小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2022年3月号「そして旅へ」より)
NHKでは大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放映されている。私は時代考証を担当している関係で、鎌倉時代初期の歴史の舞台を訪れる機会が多い。今から八百年前、一二二一(承久三)年に起きた承久の乱について調べた時のことである。
朝廷の最高権力者、後鳥羽上皇が鎌倉幕府二代執権の北条義時を追討するべく挙兵した戦いだ。有名な北条政子の演説によって結束した鎌倉方の大軍が京都を目指して進撃し、宇治川を挟んで京方と激戦を繰り広げた。鎌倉方の武士たちは降り続く豪雨で増水した川に飛び込み、多くが馬とともに流されて命を落とすも、何とか敵陣を突破、京方は潰走した。その有様は『承久記』という軍記物語に生々しく描かれている。承久の乱随一の激闘であった。
その舞台をこの目で確かめるため、私も京都の宇治を訪れた。ちょうど前線が通過中で雨が降り続いていた。宇治橋の橋脚に川の水が激しくぶつかり、波は逆巻いていた。大鎧を着た武士たちは、敵の矢が降り注ぐ中、この激流を渡ろうとしたのか。その光景が目の前で再現されているかのような錯覚にとらわれ、戦慄を覚えたことを記憶している。
確かに、八百年前の景色は現代とは違う。自然も建物も大きく様変わりしている。しかし、人間には想像力がある。文献史料に描かれた文字の世界を、想像力によって再現することが可能だ。歴史の舞台を旅することで、その興奮を味わうことができる。
では今度は、京都から東海道新幹線に乗って東に向かおう。静岡県の三島駅で在来線に乗り換え、二十分ほど南に行けば、大河ドラマの主人公、北条義時が生まれ育った伊豆国田方郡北条(現静岡県伊豆の国市寺家・四日町付近)にあたる韮山駅に着く。狩野川流域の開けた地である。駅から東に十五分ほど歩いたところには蛭ヶ島公園がある。伊東を本拠とする伊東祐親とトラブルを起こした流人時代の源頼朝が北条に逃れてきた時、政子の父時政が用意した「東の小御所」いわゆる「蛭ヶ小島」の跡地である。流人とはいえ行動の自由が許されていた頼朝は、蛭ヶ小島から北条氏の館に通い、政子と結ばれた。
北条氏の館は韮山駅から南西に十五分ほど歩いたところ、守山という小高い丘と狩野川に挟まれた場所にある。発掘調査が進み、現在は「北条氏邸跡(円成寺跡)」という史跡になっている。その西側を流れる狩野川の対岸は江間、挙兵に成功した頼朝が「御恩」として義時に与えた地である。一人前の御家人となった義時は江間小四郎義時と名乗った。流人時代に孤独や苦難を経験した頼朝は、親しい身内であり、思慮深くて慎重で、決して出しゃばることのない義時を信頼し、側近に取り立てた。義時もまた、頼朝の政治を間近で学ぶことによって成長し、後に幕府の執権となる素地を作った。
宇治にも伊豆の国市にも鎌倉時代の建物はない。ただ、想像力は無限だ。歴史の舞台をめぐる旅に出てみれば、大河ドラマもいっそう味わい深く、楽しめるに違いない。
文=坂井孝一 イラストレーション=林田秀一
坂井孝一(さかい こういち)
歴史学者、創価大学文学部教授。1958年、東京都生まれ。専門は日本中世史で、平安末期・鎌倉初期の政治・文化史、室町期の芸能史が主な研究テーマ。著書に『鎌倉殿と執権北条氏 義時はいかに朝廷を乗り越えたか』(NHK出版)など。愛猫家。
出典:ひととき2022年3月号
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