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芭蕉が「人生最高の瞬間」に詠んだ俳句は?|対談|小澤實×浅生ハルミン#2

俳人・小澤實さんが芭蕉が句を詠んだ地を実際に訪れ、俳人と俳句と旅の関係を深く考え続けた二十年間の集大成芭蕉の風景(上・下)』(ウェッジ刊)が、好評発売中です。
そこで俳句の魅力、芭蕉の魅力、旅の魅力について小澤さんと3人のゲストが語る対談をお送りします。お一人目は、本のカバーや帯に素敵なイラストを描いてくれたイラストレーター・エッセイストの浅生あさおハルミンさん。3回シリーズの2回目は、大盛り上がりになりました。

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>>>第1回から読む

猫が入っているから……

ハルミン:小澤先生の取材旅行の話をお聞ききしたいです。

小澤:どの辺の旅が面白かったですか。

ハルミン:『芭蕉の風景』を拝読して、僭越ながら私が気に入った先生の俳句を選んできたんです。まず最初に

鴨発てば鈴のありぬ海の上 實

『野ざらし紀行』所載の芭蕉の句「海くれて鴨のこゑほのかに白し」の取材のため訪れた、愛知県名古屋市の藤前ふじまえ干潟で詠んだ句[上巻113ページ]

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藤前干潟

小澤:ありがとうございます。難しい句を選んでいただいて。

ハルミン:え、難しい?

小澤:これは、けっこう僕の主観的な句ですよね。「鴨が飛び立つと、鈴の音がした、海の上に」という句意ですが、つきあってくれるのはハルミンさんぐらいしかいないな。芭蕉の句と和そうとして、鈴の幻聴を書き留めているのですが、「これ本当?」と眉に唾つける人もいるのではないかな。

ハルミン:私は、本当に鳴っていたと思います。なぜかと言うと、鷹匠の家元の方に会いに行ったことがあるのですが、鷹匠は鷹の尾に鈴をつけるんですよ。鷹の尾にピアスみたいに独特の鈴が付いていて、鴨を追っていくとチリチリチリンって鳴る。それを思いだして。干潟に鷹匠がいて、鴨を獲物に鷹狩りをしていたのでは? 幻聴と先生はおっしゃいますけど、「鳴ってたよ!」と私は思いました。

小澤:ありがたい味方出現。嬉しいですね、お墨付きをいただいて。やっぱりハルミンさんには猫が入っているから、鈴の音が聞き取れるんです。猫が入ってない人だと聞き取れない。鷹匠が鷹に鈴をつけている、そういうことをちゃんと知っている人には、聞こえるのでしょうね。

ハルミン:やったぁ! 物知りになった気分(笑)

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芭蕉が愛した杜国

小澤:取材に行ったとき、タクシーの運転手さんが「藤前干潟に行って、と初めて言われました」とおっしゃって。この連載では、タクシーの運転手さんに、本当にいろいろなことを教わってきましたが、そういうやりとりでも土地土地のものを教わってきたなと思います。

ハルミン:面白いですね。本当にいろんなところに行かれていて。渥美半島(愛知県)の端の方とか、芭蕉が行っていなければ、そこを目指さないようなところにも……。

小澤:芭蕉の弟子の杜国とこくが流されていたから行きましたけど、そうでもなければなかなか行くチャンスがないですよね。杜国のお墓があるお寺とか、寂しいんですよ。杜国は名古屋の米穀商で、すごく俳句の才能もあるし、お金もあったのに、陥れられて……。

杜国の墓小さし冬日にあたたまる 實

杜国が流されていた、渥美半島の保美ほび(愛知県田原市)で詠んだ句。芭蕉は『笈の小文』の旅の途次、杜国を訪ねて伊良湖岬に遊び、「麦はえて能隠家よきかくれがや畑村」と詠んだ。杜国は、その後『笈の小文』の旅に同行、3年後に保美で没した[上巻177ページ]

ハルミン:空米の罪(米の架空取引)で追放されたんでしたっけ。温暖で、野菜がいっぱい取れて、いいところですよね。

小澤:冬でもカンナが咲いているような、本当にいいところなんだけど……。もしもということを言ってはいけないけれど、杜国が死なずにもっと生きていたら、芭蕉も弱らなかったと思うんですよね。

伊良湖岬

伊良湖岬

芭蕉は杜国の姿を、のちに弟子になった洒堂しゃどう*に求めて、杜国のように全面的に自分のことを信じて愛してくれる人として洒堂とつきあって、そして裏切られて、急に体調が悪化して亡くなってしまう。もし杜国がしぶとく生き残って、芭蕉をサポートしてくれていたら、もっと芭蕉はいい句が残せたのではないかとも想像します。

*洒堂:近江国膳所(滋賀県大津市)の医師で芭蕉の門人。『ひさご』を選集して頭角を現し、大坂に移住して俳諧師となるも、大坂蕉門の重鎮であった之道しどうといさかいを起こし、芭蕉の前から姿を消してしまった。

いろいろな人に杜国を求めて、曾良そらにも求めたと思いますが、一番求めたのは洒堂で、それがあったから、之道と洒堂の争いが解決しなかったんです。芭蕉は、才能があって、晩年の芭蕉の作風「かるみ」を理解してくれる洒堂をどうしても贔屓してしまう。二人を平等に扱えなかったから、争いが解決するわけがない。

その上、洒堂に逃げられて、ものすごくショックを受けて……とても辛いところです。連載中も、芭蕉の最期のところを書いていると、具合の悪さが憑依してきて自分も調子が悪くなり、原稿が遅れてご迷惑をおかけいたしました(笑)

呼びかける相手としての同行者

ハルミン:私は、芭蕉の弟子は曾良の名前しか知りませんでしたが、いろんなお弟子さん、愛弟子がいて、二人で、あるいは何人かで旅していたんですね。

小澤:必ず弟子を伴っているというのが芭蕉の旅の特徴で、それが面白いところだと思います。一人では旅しない。芭蕉の句は、呼びかけるものだったんですよね。いまのような俳句とはちょっと違って、呼びかける相手に向けて作っている。だから、呼びかける相手として、旅の同行者が必要だったと思っています。

現代の俳人は、呼びかける人というのが見えていなくて、孤独ですけど、それが現代の俳人の弱さにも通じるかもしれない。僕は「俳句は挨拶が大事だ」とずっと言ってきましたが、その原点はやっぱり芭蕉にありますね。

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ハルミン:「今日の自分の気分とか調子は、こんな感じだよ」と俳句の中に詠んでいる感じがします。それが呼びかけということですか?

小澤:「僕はこんな風にこの風景を見たけど、君はどう思うかい?」というのが入っている。最高に仲が良かった杜国と歩いている『笈の小文』の旅は、それが最高潮なんですよ。もう本当にお互い愛し合っているので。

ハルミン:そっかあ。すごく気が合って、すごくいい返事が返ってきて、また面白いこと言っちゃお、ってなって……。

小澤:そうそう。

ハルミン:うわ、泣けちゃいますね。その後、別れということがあると。

小澤:ほんと、泣けちゃうんですよね。

ハルミン:そういう旅だったとは……美しいですね。うっとりしてしまいました。

芭蕉の人生最高の時

ハルミン:では次。『芭蕉の風景』の中で、一番好きな句です。

うおたな数匹のたこ一塊なす 實

『笈の小文』所載の芭蕉の句「蛸壺やはかなき夢を夏の月」の取材で訪れた、魚の棚商店街(兵庫県明石市)で詠んだ句[上巻257ページ]

ハルミン:明石の蛸とか海のキラキラした生命観に、小澤先生が興味津々で、生き生きとしていて、解き放たれているような感じがして、すごく楽しいです。蛸が「一塊なす」というのがまた、ギュウギュウになっているんだろうなと目に浮かぶようで、大好きです。

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小澤:長野県の山間に育ったので、海と向き合うのが本当に嬉しいし、解放されるんです。そして、小動物が好きなので。水族館も好きだし。

ハルミン:そうですよね。この本にはほかにも、カニとかカエルとか、たくさん出てきます。「一塊なす」という、蛸の塊のウニウニとした気持ち悪さと生命力が、先生が頭の中で交差しているようなところも好きです。

小澤:そう詠んでいますが、本当に売られている蛸がもつれて一つの塊になるのかというと、ちょっと疑問に思ったりもするんですけど(笑)。なんか時間が経って、現実に見たのかどうか、わからなくなってしまって……あの句は20年以上前、連載のはじめの方でしたから。そういうの、見たことあります?

ハルミン:ええ?! 蛸を売るときは、ゆでてあることが多いから、生で置いてあるなんて、さすが明石だなって思ったのに。

小澤:生で置いて、一緒になっちゃうこともあるのかな……だいぶ時間が経っているので、自分の句も疑わしく思われるところがありますね。

ハルミン:20年間携わっておられた。

小澤:本当よく続けさせてもらって。魚の棚にも、また行きたいですね。

ハルミン:これは魚屋さんですか?

小澤:魚屋さん街があって、売っていたり、料理して出してくれたり、ちょっと飲めるようなところもあって。

魚の棚

魚の棚商店街

ハルミン:じゅるっ(笑)

小澤:魚好き、酒好きには、天国ですよ。

ハルミン:たっぷり出てくるんでしょうね。

小澤:それも新鮮なやつが。やっぱり明石の蛸は違うんですよ。モーリタニアの蛸とは違うんです! 身が細やかなような気がして、瀬戸内の魚は違いますよね。

ハルミン:「蛸壺やはかなき夢を夏の月」という芭蕉の句も面白かったです。小澤先生の解説によると、たぶん芭蕉は、直接は蛸を見ていなくて、幻視したのだろうと。夜の海を見て、海の底で蛸がだらーっと寝ているだろうと想像する芭蕉がすてきだなと思って。それをまた相棒の人と、一緒に幻を見る喜びがあったのかなと思いました。

小澤:そうだね。うっとりと言ったと思う。「僕らもはかないな。儚いからもっと愛し合おう」という感じでね。

ハルミン:一緒に蛸壺に。ほんのり月が上の方にあって……いいな、芭蕉の人生って。

小澤:いい! これが最高の時だったと思っています。

>>>第3回に続く

撮影・三原久明
撮影協力・町田市民文学館ことばらんど


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小澤 實(おざわ・みのる)
昭和31年(1956)、長野市生まれ。昭和59年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。15年間の「鷹」編集長を経て、平成12年4月、俳句雑誌「澤」を創刊、主宰。平成10年、第二句集『立像』で第21回俳人協会新人賞受賞。平成18年、第三句集『瞬間』によって、第57回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。平成20年、『俳句のはじまる場所』(3冊ともに角川書店刊)で第22回俳人協会評論賞受賞。鑑賞に『名句の所以』(毎日新聞出版)がある。俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞などの俳壇選者、角川俳句賞選考委員を務める。

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浅生ハルミン(あさお・はるみん)
昭和41年(1966)、三重県津市生まれ。出版社やデザイン事務所勤務の傍ら、現代美術家としての活動を経て、イラストレーター、エッセイストとして活躍中。著書に『猫の目散歩』(筑摩書房)、『私は猫ストーカー』(中公文庫)、『三時のわたし』(本の雑誌社)など。最新刊に『江戸・ザ・マニア』(淡交社)。装幀・イラストに吉行理恵『湯ぶねに落ちた猫』(ちくま文庫)、嵐山光三郎『漂流怪人・きだみのる』(小学館)など。『芭蕉の風景』の装画も手掛けている。

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