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世界経済に影響を与えた石見銀山|オトナのための学び旅(4)

この連載オトナのための学び旅は、カリスマ講師として知られる馬屋原うまやはら吉博よしひろさんが日本各地の名所・旧跡を訪ねる旅のコラムです。歴史を巡る“知的な旅”をぜひ一緒にお楽しみください。

今回取り上げるのは島根県の『いわ銀山』です。

ここは2007年に「石見銀山遺跡とその文化的景観」として、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。

鉄や銀といった金属を精錬するには、高温状態を長時間にわたって維持することが求められます。古代から中世にかけての主な燃料は木材であったため、金属の精錬は大規模な森林破壊を伴う活動でした。

ちなみに、宮崎駿監督の『もののけ姫』は、中世の日本を模した世界を舞台に、鉄を作るために山を切り拓く人間と山を護ろうとする神々の戦いを描いた作品でした。和のテイストをあふれさせつつも、人間と自然の対立という非常に西洋近代的な構図で進む映画がヨーロッパで評価されたのも納得です。

古来より金属の精錬が大規模な自然破壊を伴う活動であったからこそ、露天掘りで山全体を切り崩すのではなく坑道を掘るという選択がなされたことや、伐採した分だけ植林が進められていたことなど、周辺の自然環境への配慮がなされていた痕跡が残っていることが、世界遺産登録のあとおしのひとつになったと言われています。


龍源寺りゅうげんじ間歩まぶまで上り坂が続く

石見銀山を訪れる手段は主に自動車か鉄道+バスです。

私が以前訪れたときは出雲大社経由で向かったため、まずは出雲市駅から大田市駅まで鉄道で移動しました。JR山陰本線で40分強かかるところ、特急だと20分強になるため、ここは特急のほうがオススメです。

大田市駅

大田市駅から最寄りの世界遺産センターまではバスで30分ほどです。ただ、バスは1時間に1本~2本程度しか出ていないため、時間は前もって調べていたほうがよいでしょう。

世界遺産センター前のバス停からいちばん奥の「龍源寺間歩」まで歩いて約1時間、しかも上り坂が続きますので、ここをどうするかも選択です。

龍源寺間歩入口

私が行ったときは一人弾丸ツアーだったため、レンタルサイクルを借りて回りました。数百円をケチらずに電動自転車を借りて心底よかったと思った記憶があります。

もう一度訪れる機会があれば、時間に余裕をもってワンコインガイドを申し込んで、ガイドさんのお話を聞きながら歩きたいなと思っています。

明では銀の需要が高まっていたが……

戦国時代から江戸時代にかけて、最盛期には世界の産出量の3分の1にあたる量の銀を算出していたと伝えられる石見銀山。

支配するものに巨万の富をもたらすこの地域を巡る苛烈な争奪戦を制したのは中国地方の覇者・毛利氏でした。江戸時代に入ると徳川幕府の直轄地に指定されます。

モンゴルの世紀とも呼ばれる13世紀が終わり14世紀に入ると、紅巾こうきんの乱の中で頭角を現した朱元璋(洪武帝)の手によって新たな王朝「明」が建国されます。

明は建国当時から北方の騎馬民族との紛争に苦しんだ王朝でした。15世紀には当時の皇帝が捕虜にされる事態も発生しています。

明は多額の軍事費を賄うため、当時、貨幣として一般化しつつあった銀を大量に必要としました。16世紀後半には、税をそれまでの現物と労役から銀納に一本化する「一条いちじょう鞭法べんぽう」という税制度改革も実施されています。

このようにして中国全土で銀のニーズが高まる中、銀の生産量を増やしつつあったのが石見銀山でした。

龍源寺間歩

しかし、事態は複雑です。

当時、明は「海禁」と呼ばれる政策をとっていました。これは明を建国した洪武帝・朱元璋が1371年に発した「海禁令」に基づく政策で、簡単にいえば私貿易の禁止です。

海禁は、東アジアの海で大きな存在感を放っていた海賊(前期倭寇わこう)の取り締まり、そして貿易を朝貢に一本化することによる皇帝の権威発揚などを目的とした政策でした。

1404年、室町幕府の三代将軍・足利義満が明との貿易を始めていますが、勘合貿易とも呼ばれるこの貿易も朝貢形式で行われています。

世界経済に影響を与えた石見銀山の銀

明では銀の需要が高まっている。そして日本では銀の供給が拡大している。しかし、日本から明への銀の流通経路は海禁によってふさがれている。

この「ゆがみ」の中で拡大したのが、海禁に反する密貿易でした。「後期倭寇」とも呼ばれるものです。

この密貿易により、明の意図とは異なるかたちで日本産の銀が明に流れ込んでいきました。

もうひとつ、日本の銀を明に移す動きがありました。当時、海外進出を進めていたスペインとポルトガルによる貿易です。

日本では「南蛮貿易」と呼ばれたこの貿易で、特にポルトガル商人は中国産の生糸を日本に運び銀と交換し、その銀を使って再び中国で商材を仕入れることで利益をあげました。

複数の動きが絡み合う中で、石見銀山から産出された銀は東アジア全体の経済を支え、ヨーロッパ経済にも影響を与える存在となっていったわけです。

亡くなった鉱夫たちの魂を祀る神社や寺院も

それほどまでに重要な物資であった銀を産出していた鉱夫たちの寿命は短いものでした。鉱山内での事故はもちろん、「灰吹法はいふきほう」と呼ばれる精錬の過程で鉛中毒を発症し命を落とす者も多く、30歳まで生きられれば還暦を迎えたかのように祝われることもあったと伝えられています。

石見銀山世界遺産センター

山中深く、「のみ」で掘り進められた「間歩」と呼ばれる複数の横穴の周辺には、そんな人々の魂を祀る神社や寺院が複数、今も静かに佇んでいます。

明治時代に建設された「清水谷しみずだに精錬所跡」や、「大森の町並み」と呼ばれる江戸時代の武家屋敷や代官所のあとといった主要な史跡とともに、そういった神社仏閣に立ち寄り、この地に生きた人々に思いを馳せてみるのもよいかもしれません。

清水谷精錬所跡
大森の町並み

ちなみに、今もいるかは分かりませんが、数年前に私が訪れたときは、龍源寺間歩の入り口からやや下ったところで地域の猫ちゃんたちが猫の集会を開いていて、猫好きの私はしばらく近くにいさせてもらいました。至福のひとときでした。

文・写真=馬屋原吉博

馬屋原吉博(うまやはら・よしひろ)
中学受験専門のプロ個別指導教室SS-1副代表。中学受験情報局「かしこい塾の使い方」主任相談員。筑駒・開成・桜蔭をはじめとする難関中学に多くの生徒を送り出している。必死で覚えた膨大な知識で混乱している生徒の頭の中を整理し、テスト・入試で使える状態にする指導方法が好評。『今さら聞けない!政治のキホンが2時間で全部頭に入る』(すばる舎)、最新刊『今さら聞けない!世界史のキホンが2時間で全部頭に入る』(すばる舎)等著書多数。中学受験生&保護者向けサービス『SS-1テラス』にて、授業やトークライブをオンライン配信中。

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