日本の花火のはじまりの地、愛知県三河地方・岡崎へ
にっぽんの夏。夏の花火。灼熱の太陽がようやく沈み、ほっと息をつく夜が来るころ、漆黒の空に花火が打ち上がる。ひとつ、ふたつ。そして無数に、次々と。鮮やかな光が花開き、破裂音がどんと身体を震わせる。日本に暮らす私たちにとって、花火とは懐かしい、夏の記憶そのものだ。
江戸時代から続く奉納花火 菅生神社
おおらかに流れる乙川のほとりを散歩やジョギングを楽しむひとたちとすれ違いながら歩いていく。愛知県岡崎市は徳川家康の出生地だ。家康の生まれた岡崎城の城下町、そして東海道の宿場町として栄え、いまも暮らしのなかに豊かな自然と歴史が穏やかに息づく。
岡崎城のそびえる岡崎公園から、菅生神社までは徒歩ですぐ。菅生神社の例大祭も夏に行われる。
毎年8月の第1土曜日、あかあかと輝く無数の提灯をまとった2艘の鉾船が乙川に浮かぶ。船上の手筒花火が激しく火柱を上げ、金魚花火が川面を優美に泳ぐ。河川敷では壮大な仕掛け花火、打ち上げ花火。すべてが圧巻。両岸を埋め尽くす観衆から歓声が上がる。
「昔は各町内で花火を手づくりして、その出来栄えを競っていたそうです」 と、宮司の児玉隆司さん。
西暦110年創建とされる菅生神社で奉納花火が始まったのは、江戸時代後期だ。そのころすでに、岡崎を含む三河国でつくられる、優れた三河花火は全国に知れ渡っていた。
徳川家康は天下統一後、各藩の火薬の製造を厳しく制限する一方、原則として生国の三河にだけ、その製造・貯蔵を許した。火薬は鉄砲や大砲に使われ、軍事の趨勢を決定づけるもの。しかし泰平の世が200年以上も続き、その間に火薬は花火という形になって庶民の生活に入り込んだ。三河のひとびとはその技術を磨き、高めていったのだ。
平和だからこそ生まれた花火の伝統。現在も岡崎市には多くの製造会社や販売店が集まる。
豪快に噴く!太田のドラゴン 太田煙火製造所
つくられるのは打ち上げ花火だけではない。いまも昔も子どもたちを夢中にさせる、手持ち花火や噴出花火──つまりおもちゃ花火もお家芸だ。
「私が子どものころは自社製品のテストも兼ねて、自宅の庭先でやりたい放題、花火をやっていたよ。そうすると近所の子たちが集まって来るから、『おいでおいで。一緒にやろう』と」
とは、太田煙火製造所の5代目・太田恒司さんの思い出話。
同社の噴出花火「ドラゴン」シリーズは、70年以上もの間不動の人気を誇るロングセラーだ。愛好家には「太田のドラゴン」として親しまれている。
広場にドラゴンを置き、てっぺんから突き出る導火線に火をつけてパッと飛びのく。このスリリングな瞬間も花火遊びの醍醐味だ。まもなくシューシューと音を立てて火の粉が噴き出し、みるみるうちにひとの背丈を追い越して立ちのぼる。ときに小花のような玉を飛ばしながら銀色の炎をまき散らし、やがてシュウッと消えていく。ふいに戻ってくる静寂と火薬の匂い。そしていつまでも瞼の裏に残るきらびやかな残像。
ドラゴンは純国産品である──これはとても貴重なのだ。なにしろ日本で買える花火の9割が、いまや中国を主とする外国製なのだから。
かつて火薬や材料費の高騰を受けて、ドラゴンは製造中止に追い込まれた。太田さんはクラウドファンディングまで活用して支援を呼びかけ、5年前、長く愛されてきたこの花火をよみがえらせた。
「内容や品質では、中国製品はライバルではないよ。ただ価格の問題だね」
ドラゴンはひとつひとつ、手作業で丁寧につくられる。調合された火薬を紙筒に詰め、フタをして導火線を差し込む。太田さんのマスクは舞い上がる火薬で真っ黒だ。油断すると粉が口のなかに入ってくる。金属っぽい味は、銀色の炎を出すためのアルミニウムだ。
火薬を扱うから、電気も容易には使えず、作業場に冷暖房も入れられない。それでも国産花火にこだわるのには理由がある。
燃焼時間の長さが違う。精緻に設計された色や形の美しさが違う。なにより、花火への思い入れが違う。
花火は日本の伝統文化だ。江戸のころから市中では子ども向けの花火を売り歩く花火売りが「花火花火、鼠、手牡丹、天車……」と呼び声を上げていた。
「いつでも誰でも、おもちゃ花火で遊ぶことができる。実はこれ、世界でも日本だけなんだ。なのに最近では家のなかもオール電化になって、ガスの火さえ見たことのない子どもが多い。だから私は年に数回、市内で花火教室を開いています。最初はおそるおそる花火を手にする子どもでも、一度体験すると『もう一回』と目を輝かせるんだよ」
文=瀬戸内みなみ 写真=阿部吉泰
──この旅の続きは、本誌でお読みになれます。一時は外国製に駆逐されていたところを復活させた純国産の線香花火や、メロディーに合わせて打ち上げる花火を生み出した、日本を代表する花火師のもとを訪れます。“世界に誇る芸術”である日本の花火のすばらしさを伝える7月号を、ぜひご一読ください。花火写真家の金武武さんが、花火大会への想いをつづるエッセイと金武さんが捉えた、各地での美しい打ち上げ花火の写真もお見逃しなく!
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出典:ひととき2023年7月号