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もしこの土地で生活することになったら?|燃え殻(作家)

各界でご活躍されている方々に、“忘れがたい街”の思い出を綴っていただく連載あの街、この街の第52回。作家の燃え殻さんが登場です。旅をしたときの、燃え殻さんなりの旅先での楽しみ方を綴っています。

いま、この原稿を三島のビジネスホテルでカタカタとノートパソコンに打ち込んでいる。三島から一駅行った沼津が父方の実家で、一昨日、親戚の法事があったため、三島のビジネスホテルに泊まった。

一昨日終わってすぐに帰ってもよかったが、切羽詰まった仕事がいまのところないのでゆっくりしている。その土地の名物とか名所を巡るのも旅の醍醐味だが、僕は昔から、旅先でそこに住んでいる人たちと同じように過ごすのが好きだ。沖縄の離島にふらっとひとりで行ったときも、地元の人たちが利用する居酒屋で飲んだり、不動産屋で家賃などを無駄にチェックしたり、図書館で本を読みながらウトウトしたりしているときが、なにより楽しかった。

「もしこの土地で生活をすることになったら、どのマンションに住んでみたいだろう?」とか「もしこの土地で仕事をしていたら、ランチはどの店に入るだろう?」などなど、そんなことをぐるぐると考えながら、街を散策するのが好きだ。昨日はせっかく三島に来たのだから、三島大社や、少し足を伸ばして、『炭火焼きレストラン さわやか』などに行ってようかと一瞬思ったが、気づいたら、駅から少し離れたところにあるスナックで、ママ特製のキーマカレーを食べていた。

現在、午前八時を少し回ったところ。今日、チェックアウトをしてもいいし、しなくてもいい。コーヒーを一杯飲んでから全部決めようと思っている。近くに純喫茶があることをネットで知り、これから行ってみるつもりだ。チェーンのカフェもそれはそれでいいが、地元に根付いた喫茶店は、その土地の空気を知るのにもってこいだ。できれば、そんなにやる気のないオーナーの店だと嬉しい。

「野心的」と「喫茶店」は水と油だ。「モーニングをひとつ」とこちらが頼んだら、「ふう〜、はい」とため息まじりの返事をされたことがあった。それも沖縄の離島の喫茶店だった。モーニングは、バタートーストにミニサラダ、それにコーヒ―が付いて四百五十円。なにも文句を言えないくらいの安価。店にはテレビが一台あって、沖縄の地元のニュースが流れていた。僕がぼんやりニュースを目で追っていたら、コーヒーを淹れていたオーナーが、リモコンでサクッとニュースからアニメにチャンネルを変えた。「おいっ!」とは思った。だが、不思議と悪い気はしなかった。その店には結局、昼近くまでいた気がする。

店全体に緩い空気が漂っていて、とにかく客を放っておいてくれる感じがよかった。いまから行く喫茶店が、そんな当たりの店だったら、三島にもう一泊してしまおうかと密かに思っている。

文・写真=燃え殻

<燃え殻さんの新刊(2025年1月29日発売)>

それでも日々はつづくから

まーまー好きな人と号泣しながら観た、まーまーな映画。観客6名のトークイベント。疲れると無性に顔を見たくなる友人。「好きな男ができた」と3回ふられた彼女からの最後の電話。明日からつづく日々も案外悪くないと思える、じんわりと効く栄養ドリンクのようなエッセイ集。大橋裕之氏のマンガとのコラボのほか、「締切」をテーマにした「考えるな、間に合わせろ」を文庫特典として収録。(新潮文庫)

燃え殻 / もえがら (作家)
1973年生まれ。2017年『ボクたちはみんな大人になれなかった』で小説家デビュー。同作はNetflixで映画化、またエッセイ集『すべて忘れてしまうから』はDisney+でドラマ化、『あなたに聴かせたい歌があるんだ』がコミック化とHuluでドラマ化された(原作と脚本)。著書に長篇小説『これはただの夏』、エッセイ集『それでも日々はつづくから』『ブルー ハワイ』ほか。

オフィシャルサイト http://moegara.com/
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