旧里や臍の緒に泣としの暮|芭蕉の風景
「NHK俳句」でもおなじみの俳人・小澤實さんが、松尾芭蕉が句を詠んだ地を実際に訪れ、あるときは当時と変わらぬ大自然の中、またあるときは面影もまったくない雑踏の中、俳人と旅と俳句の関係を深くつきつめて考え続けた雑誌連載が書籍化されました。ここでは、本書『芭蕉の風景(上・下)』(ウェッジ刊)より抜粋してお届けします。
旧里や臍の緒に泣としの暮 芭蕉
涙腺を刺激する句
貞享四(1687)年の年末、芭蕉は、故郷の伊賀上野に滞在している。江戸を十月下旬に発って、十二月末には故郷の伊賀に入ったのだ。紀行文『笈の小文』の旅である。掲出句は『笈の小文』に所載されている。
句意は、「ふるさと伊賀に帰って来ている。たまたま見せられた、自分の臍の緒に泣けて涙が落ちてしまう、年の暮であることよ」。
芭蕉には「涙」「泣く」を詠んだ句が多いが、その中で掲出句は、ぼくにとってもっとも涙腺を刺激してくる句である。
芭蕉は伊賀に帰ってくると、伊賀上野赤坂の家に滞在した。その家は、当時、兄半左衛門が継いでいた。そこで、おそらく兄から自分の臍の緒を見せられたのだろう。兄は母の遺品整理をして、芭蕉の臍の緒を発見した、と想像することができる。母は、天和三(1683)年没。当時、芭蕉は四十歳、江戸に滞在していて、母の死を看取ることはできずに終わったのだ。
* * *
今日は芭蕉生家を訪ねたい。伊賀上野駅で関西本線から伊賀鉄道伊賀線に乗り換え、上野市駅下車。秋晴れで、空には雲が見えない。駅の地下道を通って城側に出て、西へ行く広い通りを十分ほど歩くと、芭蕉の生家がある。
古い木造の建物である。狭い玄関を潜り入って土間に立つと、冷え冷えとする。建て替えられてはいるが、この家で芭蕉は父松尾与左衛門と母との間に生まれたのだ。与左衛門は、農民であったが、かつては名字帯刀も許された、武士に準ずるクラスの農民であった。分家によって、与左衛門はその資格を失っているが、別格の地位をもつ農民だったのだ。父は芭蕉が十三歳の時に死去している。
のち芭蕉となる青年は、藤堂新七郎家の長男良忠(蟬吟)に仕えている際にも、この家から通っていたはずだ。芭蕉は二十九歳の時、俳諧師になることを志して、伊賀から江戸に出るが、それまでこの家で過ごしていたことになる。その後も帰郷するごとに、この家へと帰って来た。
芭蕉は漂泊の詩人といわれる。その彼が漂泊を始める以前の原点ともいうべき場所がここなのだ。久しぶりに帰郷して、臍の緒を見せられて落涙している芭蕉が、この家のどこかにいたのだ。
芭蕉翁生家(インディ / PIXTA)
臍の緒は、人生の原点
掲出句の「臍」の字であるが、かつては「へそ」と読むか、「ほぞ」と読むか、説が分かれていた。「へそ」と芭蕉自身がひらがなで書いた掲出句の資料が見つかって、現在は「へそ」と読みが定まっているようだ。たしかに濁音はないほうがいい。「ふるさとや」の上五と「へそのおになく」の中七とが、ささやくように響き合うのを楽しんでいる。
「臍の緒」は、人生の原点を示すものである。母とつながっていた臍の緒が取れて、芭蕉の生涯が始まった。その臍の緒を母が生涯たいせつに保管しつづけてくれたことに、芭蕉は感動している。「ふるさと」は、父母と兄、またそこからひろがるひとびとの住む地なのであった。それらのひとびとがいなければ、芭蕉は存在することができなかった。「ふるさと」は「臍の緒」のようなものだ、と芭蕉は言いたかったのかもしれない。
伊賀上野城から見た伊賀市の市街
「年の暮」も偶然その時期だったというだけではあるまい。当時、年齢は数え年であった。元日を迎えると、年齢には一歳が加えられた。年が増える日を間近にした、いのちそのものと向き合うのに、もっともふさわしい時期であった。
さて、掲出句は芭蕉が母の死後、二度目に郷里に帰った際の句である。最初に故郷に帰った際には、次の句を遺している。「手にとらば消んなみだぞあつき秋の霜」(『野ざらし紀行』)。兄に母の遺髪、白髪を見せられての句である。句意は「秋の霜のように薄く白い母の遺髪、手にとったとしたら、わたしの熱い涙が落ちて、消えてしまいましょう」。
字余りの句であり、技巧的である。秋の霜が遺髪の比喩として用いられている。「なみだぞあつき」は実感ではあるが、技巧が先立ってしまって、ぼくには芭蕉と感動を共有することができなかった。掲出句は「手にとらば」の句から比喩の技巧をはぎ取り、「臍の緒」という「もの」をただ置いている。そこに打たれるのだ。
芭蕉の母のことは、ほとんど記録に残されていない。名前すらわかっていない。しかし、芭蕉のもつ深いやさしさ、ことに弟子と対しているところに現れる限りないやさしさは、母から得たものではないか。
土間を抜けると庭に出る。青々と芭蕉の葉がそよぎ、薄が穂を出しはじめている。女郎花や野菊も花を付けている。まるで小さな花野のようで、立ち去りがたい。
蟻と蟻遭ひたり芭蕉広葉の上 實
芭蕉広葉歩める蟻の透けゐるよ
※この記事は2012年に取材したものです
小澤 實(おざわ・みのる)
昭和31年、長野市生まれ。昭和59年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。15年間の「鷹」編集長を経て、平成12年4月、俳句雑誌「澤」を創刊、主宰。平成10年、第二句集『立像』で第21回俳人協会新人賞受賞。平成18年、第三句集『瞬間』によって、第57回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。平成20年、『俳句のはじまる場所』(3冊ともに角川書店刊)で第22回俳人協会評論賞受賞。鑑賞に『名句の所以』(毎日新聞出版)がある。俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞などの俳壇選者、角川俳句賞選考委員を務める。
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※本書に写真は収録されておりません
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