黒崎の鼻で、アイルランドと和田義盛を追憶する|新MiUra風土記
ときどきアイルランドの風景が思い浮かぶ。その草原や海岸が見たくなる。荒涼としたアランの島ならばなおいい。孤島の南岸は吹きつける風で、土も積もらない岩と礫の地。何も無いこと、虚無だけど豊かだと感じる光景に包まれたくなるのだ。
三浦半島にもそんな思いが叶う場所がある。黒崎の鼻から荒崎への海と崖。
京急線三崎口駅は、半島遊歩のおなじみの駅。いつもならここでバスを選ぶが、目指す岬には歩いて行く。「東京から電車で1時間あまりでアイルランドが味わえる」と同伴者がいればこう言いふくめよう。
駅前の国道134号線を横断して、海に向かう脇道に入ると、畑作農地が広がり、狭いはずの三浦半島をいっとき忘れる。野菜類の代わりにラベンダーが咲いていたら北海道だろう。ここは三浦市初声町、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のひとり和田義盛のゆかりの地だ。
遠くに相模湾の水平線が引かれて、日によっては伊豆半島や富士山がくっきり望める。浜風が塩分を帯びて、さえぎることのない陽光で特産の三浦野菜が育つ。夏野菜が終わり、あぜ道の農家の人から「これから大根だなぁ」と聞くと種まき前の土の匂いに包まれた。
めざす黒崎の鼻へは、直線道路をもくもくと進むが、ここは終戦時には飛行機の滑走路だったらしい。追浜の横須賀海軍航空隊の増設の飛行場として造られたという。そして農道はとつぜん行き停りになった。
黒崎の鼻の入口は、しばらく行かないうちに薮に覆われていて、見つけるのに難儀した。三浦独特のやぶ笹の迷路だ。ここからは僕の「ワンダーランド」、仮想アイルランド、アラン島への異界への誘い路になるのだが。
密生したやぶ笹はときに頭上をふさぎ、潮騒だけが茂る葉の重なりをすり抜けて聞こえてくる。歩行者が無くなれば、またたく間に元の自然に閉じてしまうだろう。登山でいうやぶ漕ぎで抜けると、180度以上に視界が開いて突端にでた。黒崎の鼻だ。
海岸段丘の草叢の向こうの岩礁が、よせ波をはね返している。季節ならば、色とりどりの日除けテントが点在して、まるでイングランドの海浜の光景だ。ただいつもは人が少なくて、やがてアイルランド風に錯覚させてくれる。秋や冬はとくにそうだ。
アイルランドを「岩盤の野」と記したのは司馬遼太郎だった*。地殻変動で侵食と隆起をくりかえしたこの断崖に立つと、映画『ライアンの娘』**のシーンが蘇り、耳にはアイルランドの国民歌としての「ダニーボーイ」が、エンヤやケルティック・ウーマンのケルト風音曲に変わって脳内を駆けめぐる。
アラン諸島は、アイルランドでより厳しい自然の島だ*。一番大きな、イニシュモア島の南側ドン・エンガスには、ケルト人がやってくる3千年も前から先住民らが城塞を築いてきたという。不毛な絶海の地の文明を思い描いた。
黒崎の鼻からの夕陽は絶景だが、アラン島の幻が消えないうちに、海の淵に降りた(表紙画像参照)。僕はここをディングルの入江と呼んでいる*。
畑道を下ると延寿寺と門前に初声町下宮田の集落があって、入江の奥でひっそりと息づいていた。ここは中世、水軍としての三浦一族の湊だった。
再び国道134号線にでて三浦市初声市民センターに入ると図書室の三浦史の棚が良かった。元三崎警察署長が著した『栄光の三浦水軍』(原博良著 三浦商工会議所)なんていう希少本がおもしろい。センター隣に初声小学校があり、三浦市文化財収蔵庫の木造建築が昭和な香りを残していた。市民センターの壁面に、矢のレリーフのデザインがあるのに気づいた。ここは三浦党和田一族の矢作り伝説の場だという。
初声町入江から、初声町和田に向かおう。あの和田義盛*の里だ。
次のバス停は矢作入口。義盛は初期鎌倉武士の猛将だったが、小柄で、弓の名手だったらしい。三浦一族じしんも弓術に秀でていた武士団で三浦市や横須賀市には赤羽根、武、一騎塚の地名がいまも残る。
初声町和田は義盛の本拠地。彼は平家討伐で凱旋。白旗(源氏の旗)を立て「初声の舞」を演じて戦勝を領民と祝ったという。元より豊かな穀倉地で糧秣を供出、多くの武士が出立し善政の武将として慕われた。バス停和田から旧道をとると白旗神社だ*。和田合戦で没した義盛を郷士が偲び天照大神とともに祭神として彼を祀る。神社の山上から和田入江、下宮田の田園風景が眺められ、いまも義盛の鎮魂と顕彰がつづく。
白旗神社の裏参道を下ると、義盛ゆかりの天養院が甍に三浦党の紋を頂いている。和田城館の趾を探して村里を歩く。義盛旧里碑の社から和田城趾にたどり着くと先客?がいた。訊けば「鎌倉殿の13人」めぐりで三浦一族の本拠地、横須賀市の矢部から来たという。
バス停の近くに「三浦パン屋 充麦」がある。初声の地で育てた自家製小麦のこだわりの人気店だ。彼らもまた義盛の領民だと思えた。そして市境をまたいで、地産野菜の巨大即売所「すかなごっそ」(JAよこすか葉山)を覗いた。これが遊歩あとのいつもの仕上げになっている。
黒崎の鼻に巨石時代とケルトの残像を重ねて、中世三浦の海と郷を旅した。帰路は横須賀線に乗り現世に戻ろう。
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