日本武尊と芭蕉に“挨拶”した場所|対談|小澤實×浅生ハルミン#1
芭蕉も私も三重県人ですが…
小澤:浅生ハルミンさんは、『芭蕉の風景』を装丁されたデザイナーの山口信博さんにご紹介いただきました。山口さんが主宰する折形デザイン研究所の句会に見えていたんですよね。
ハルミン:そうです。山口さんとは、展覧会のポスターのイラストをご依頼いただいたのが最初で、お仕事ではもう二十年以上お世話になっています。
小澤:かわいくて、すごく気に入っている表紙です。山口さんの提案で、「澤」*と込みで依頼したんです。二年間、句誌の表紙を描いていただいて、終わる頃に完成予定の本の挿画にした。だから「澤」の仲間は、この二冊の本を見てびっくりしたと思います。
ハルミン:芭蕉が旅しているところを描いていますが、山口さんから「師匠と弟子の関係だけど、二人はそれを超えた間柄だったという話もあるんですよ」と伺って、友情、恋、ペアになっている感じを意識して描きました。
小澤:そうだったんですか。山口さんが、そんなことを……。曾良は幕府の隠密だった可能性があります。単なる同行者ではなく、恋の対象だった可能性もあります。
ハルミン:私は芭蕉と同じ三重県の津市出身ですが、芭蕉は教科書にも載るすごい人という程度の認識で、伊賀上野の人というのも二十歳過ぎてから知ったぐらいです。伊賀上野といえば、子どものころは忍者村の方にしか興味がなくて。
故郷の津は、伊賀上野とは文化圏がちょっと違って、伊賀上野の人は大阪方面、津の人は名古屋方面が文化圏という雰囲気がありました。近いようで遠い感じですね。津も伊賀上野も、藤堂家のお城ですが。
小澤:芭蕉の主君の藤堂つながり。句は残っていませんが、津も通ったと思います。
ハルミン:私が知っているだけなので決めつけはできませんけど、津の人には、自分で自分をけなして笑いをとって心を落ち着けるって感じの人が多いんです。私もその見本だと思いますが(笑)。伊賀上野の近くの名張の人に会ったとき、同じような気質で、とても面白い方だったので、名張もそうなんだ……芭蕉はどうだったのかなってちょっと思いました。
小澤:それは新しい視点ですね!
ハルミン:おしゃべりが面白い人が多い気がします。
小澤:その面白さというのは、俳諧につながるかもしれないですね。伊賀独自のものですかね。そういう人間性みたいなのは。
ハルミン:滋賀との県境あたりの人のその雰囲気を、津出身の私は見覚えあるなぁと感じましたよ。
杖衝坂で泉下の先人に挨拶
小澤:大阪もそうじゃないですか。西は、そういうちょっとひねくれた味があって、俳句がいいんですよ。東はもっとストレートだという感じがします。
ハルミン:西の俳人って、どんな方がいらっしゃいますか?
小澤:蕪村にしても西鶴などの談林派にしても、近世の主な俳人はだいたい西ですね。東の俳人は一茶ぐらいで、近代になってようやくバランスが取れてきて、東の方も強くなってくるけれど、それでもやっぱり西は強いですよね。言葉に味があるというか、歴史性が乗っているというか。
ハルミン:小澤先生も歴史を重ねて詠んでいますよね。三重県だと杖衝坂の句とか。四日市から鈴鹿に向かう坂道で、どんなところだろうと思ってグーグルマップで見てみたんです。舗装された割あい幅の広い道で、石垣があって、ズボンッとした長い坂でした。
芭蕉がいて、小澤先生は俳句をやることができていると本にお書きになっています。そして、同じ坂で「汗落とす」いまの瞬間を俳句に詠まれている。「すてきだ!」って思いました。
われも旅人杖衝坂に汗落とす 實
小澤:ありがとうございます。「われも旅人」なんて、ちょっとうっとりしていて恥ずかしいものもありますけれども(笑)。でも、杖衝坂は行きたかった場所の一つですね。芭蕉が無季の句を作っている、とても大事な場所です。あえて無季にしたことで、日本武尊の末期の苦しみの深さと共鳴していることを示しているような気がしています。
日本武尊が杖をつきながら瀕死の状態で歩いていた伝説から名前がついた場所で、芭蕉は日本武尊に対する敬意を込めて俳句を詠んだ。その日本武尊と芭蕉に対して、僕は杖もつかないし、落馬もしないけれども、汗を落として登っていますよと、泉下の先人二人に対する「挨拶」ができたことがとても嬉しかったですね。
ハルミン:すてきですね。小澤先生の後ろに、先人たちがつながっている感じがします。あと、そこに来て、普通に人が住んでいることに驚いているのがまた面白かったです。ここに小澤先生はびっくりするんだと思って。
小澤:杖衝坂というのは生活とは別の空間で、詩歌の聖地みたいに思って来たら、普通に人が住んでいたので驚きました。しかも昔ながらの家じゃなくて、なんか今風の家が並んでいたので(笑)
楽しい俳味のハルミン俳句
小澤:そういえば、ハルミンさんも俳句を作ってらっしゃるんですよね。事前に二十句ほど見せていただいたのですが、とてもうまくて。
ハルミン:嵐山光三郎さん、南伸坊さんと安西水丸さんのお三方で「俳画カレンダー」をお作りになっていたのですが、水丸さんが亡くなって、その代打として私もご一緒させてもらっています。今年で七年目。私は年に一回、この時だけ猛烈に集中して俳句を作っています。三人で、十二か月分。
小澤:え、年に一回だけ?! 十二割る三ということは……年に四句。それで、あれだけの作品を……名作主義ですね。いい俳句が多いのにもったいないなぁ。気に入ったものを五つ選んできたので、講評してもいいですか。
ハルミン:ぜひお願いします!
啓蟄やタイムカプセル開く兄 ハルミン
小澤:まず春は、この句。「タイムカプセル開く兄」というのが面白い。あまり時間が経っていないのに、開けちゃったんじゃないかという感じもある。「啓蟄」がうまくて、巣ごもりしていた虫が穴から出てきて「こんにちは」という季語と、地中に秘めておいたカプセルを開けたというところの距離が近いけれども、その距離の近い味わいがあると思います。夏は――
夏館備品猫型魔法瓶
小澤:全部漢字で、技を見せています。楽しいです。「猫型魔法瓶」というのがハルミンワールドで、魔法瓶にまで猫型を要求している(笑)。「夏館」は、涼しさを旨とすべきものですけど、猫型魔法瓶というのは、ちょっとうざい感じです。それが面白い味になっています。「備品」とあえて言ったことも面白い。この猫型魔法瓶って本当にあったんですか?
ハルミン:はい! 本当にあるんです。プラスチック製ですけど、俳句で思い浮かべてほしかったのは、真鍮とか金属のつるっとした表面に、冷たいものが入っていて結露した雫の粒がついている、そういうものでした。
小澤:そこまでは無理じゃないかな(笑)。秋では――
ふたりいて歩き足りない月夜かな
小澤:これは芭蕉の世界でもありますよね。この「ふたり」は、芭蕉とその連衆のような気がします。「雪月花のとき、最も君を憶ふ」(白居易の漢詩の名言)という感じがよく出ている。ストレートに月と友情を詠んでいていい。
ハルミン:嬉しいです。
小澤:秋はもう一句あって――
じつは僕化け狸なの秋彼岸
小澤:「僕」が告白するんです。猫だと思っていたら、猫じゃなくて、化け狸だと告白されちゃうわけですね、秋の彼岸に。
ハルミン:彼岸というのは、去って行くときじゃないですか。それで、「今まで人間のふりをしていたのだけど、ゴメン。本当は化け狸だったの、バイバイ」と言って、去っていく。その狸の後ろ姿を思い浮かべて作りました。
小澤:これは俳人には作れない。僕は、俳人には作れない句を貴重に思っているんですが、「化け狸なの」というのは、僕は絶対言えない。妖怪の句ですよね?
ハルミン:妖怪の句です。いままで親しくしていたのに。
小澤:かわいい妖怪(笑)。冬では――
足裏で廊下すと撫で煤払
小澤:師走の大掃除、ちゃんとやらなきゃいけないんですけど、足裏で廊下をスッと撫でて、煤払いをしたつもりになると。ふざけた煤払いですねぇ(笑)。でも、なんか面白い。これは、もう取り合わせというよりも滑稽で、古い面白さ、楽しい俳味があると思いました。
ハルミン:ありがとうございます。
小澤:「浅生ハルミン ブック・パラダイス展」を見たら、選んだ五つのうち四つに絵がついていて、絵つきの作品を見られたことが嬉しかったです。現代俳人は離そう離そうと思って、離し過ぎちゃって、味気のない句になってしまうんだけど、ハルミンさんの俳句は、距離がとても面白い、近さがいい。
ハルミン:季語との距離ですか? 近いのって、いけないんだと思っていました。
小澤:いけないと言うんだけど、いい。一周り回って、いいんです。近さが魅力的です。
>>>第2回に続く
撮影・三原久明
撮影協力・町田市民文学館ことばらんど
◉浅生ハルミンさん展覧会のお知らせ
伝説の古本屋で店番中に見出されて以来、イラストレーター・エッセイストとして約30年にわたり、しなやかに創作活動を続けてきたハルミンさんの、初めての本格的な展覧会。猫、古本、こけしなど幼少期から現在に至るまで好きなものにこだわり、好きなものを集めながら、自らの手でも好きなものを作り出してきたハルミンさんの、創作の源泉が見えてきます。「町田市民文学館ことばらんど」の開館15周年記念展。
会期あとわずか。お見逃しなく!
▼本書のお求めはこちらから