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カオスな神岡!東洋一の鉱山が造り出した街|飛騨さんぽ

飛騨さんぽは、紆余曲折を経て雪国・飛騨に移り住んだ浅岡里優りゆさんが、日々の暮らしの中で感じた飛騨の魅力を飾らない言葉で綴る連載です。第8回は、かつて東洋一の鉱山の街として繁栄をきわめた神岡町をご紹介いたします。

これまで飛騨の大自然や伝統ある文化を紹介してきたが、飛騨市にはまたひと味違った魅力のあふれる街がある。それが「神岡町」だ。

東洋一の鉱山とも謳われた神岡鉱山を有するエリアで、明治から昭和にかけて繁栄した街の様子がいまも色濃く残っている。

今回は、歴史の風情と時代の最先端が入り交じるカオスな街・神岡の魅力をご紹介したい。

神岡市街地の風景 Ⓒ飛騨市観光協会

鉱山とともに繁栄してきた町

飛騨はもともと、山国で米があまり獲れなかったため、平安時代には「下下の国」と言われるほど貧しい地域とされていた。なかでも神岡町エリアは飛騨山脈とその支脈に囲まれ、平地も少なく農地も限られていた。現在の市街地も、乗鞍岳に源を発する神通川水系高原川沿いの河岸段丘の上に発達している。

これでもかとばかりに建物がひしめき合う神岡市街。人々が生活を営める場所が限られていることがわかる。 Ⓒ飛騨市観光協会

神岡町は昭和25年(1945年)に一町二村が合併して出来た町で、当時の人口は24,000人。県下第一の人口を誇る町として誕生した。そして人口の約半数が、この市街地を中心とする船津地区に密集していた。地元の人によると、最盛期は映画館が3〜4軒あったという。(ちなみにいまの飛騨市には映画館がひとつもない。映画を観るには隣の富山県まで足をのばす必要がある)

神岡にこれほどの街ができあがったのはもちろん、東洋一と謳われた「神岡鉱山」の存在があったからだ。人口がピークを迎えた昭和35年、その約半数が鉱山関係者だったと言われている。

基盤産業として「鉱業」が発達し街が繁栄していったのは、明治7年(1874)に三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を取得し、近代的な鉱山経営を開始したことによるものだが、鉱山としての神岡の歴史はもっと古くに遡ることができる。

たとえば、奈良時代の養老年間(720年頃)には、この地より産出された黄金が朝廷に献じられたとの言い伝えが残っており、鎌倉時代や戦国時代にも鉱物が採掘されていたとの記録がある。長い歴史においても、鉱山は神岡にとって大切な資源のひとつだったことが窺える。

現在は鉱山の跡地を利用し、素粒子・宇宙の謎の解明を目指す実験装置スーパーカミオカンデ(東京大学宇宙線研究所が運用)が設置され、最先端研究の拠点にもなっている。ちなみにスーパーカミオカンデは、小柴昌俊氏(東京大学特別栄誉教授)、梶田隆章氏(東京大学教授)のノーベル物理学賞受賞にも貢献している。

スーパーカミオカンデの構造などを知ることができる「ひだ宇宙科学館カミオカラボ」 Ⓒ飛騨市観光協会

ディープでカオス!街すべてが観光スポット

神岡の街を歩いてまず目につくのが「神岡城」だ。その建造年は意外に新しく昭和45年(1970)、戦国時代に江馬氏が城館を築いた跡地に建てられた。内部には、鎧、刃剣、馬具などの展示があり、最上階からは、戦国時代と同じ視点で町や街道を眺めることができる。

河岸段丘の上にそびえ立つ「神岡城」

街すべてが観光スポットと言えるくらい、神岡の街は面白い。一緒に散策した旦那は、「カオスなアジアの街を歩いているときのワクワクする感じに近い」という。

神岡町の中心部を流れる高原川に架かる藤波橋
山田川に架かる月見橋。川沿いは風情ある景色を楽しむことができる。 Ⓒ飛騨市観光協会
どこに繋がるのか気になる路地をあちこちで見かける Ⓒ飛騨市観光協会
河岸段丘の上にひしめく家屋 Ⓒ飛騨市観光協会
渓谷の上に建つ家々。こわい気もするが、ちょっと住んでみたい。
神岡は水が豊富な土地。町のいたるところで、湧き水を分配する給水塔を見かける。

ほかにも、レトロな看板が残る商店街や、全国的にも珍しい共同水屋など、紹介したい場所は尽きない。ぶらりと街を歩いてみるのも楽しいが、神岡のディープにぐっとのめり込みたければ、街歩きガイドと一緒に巡るのがおすすめだ。今回、私もよりディープな神岡を味わうためガイドを依頼した。

ワンダーガイド飛騨の大田利正さんは、40年近く古川や神岡の隠れた魅力を発掘してきた大ベテランのガイドさん。ガイドブックには載っていない、ひと味違う街の魅力を伝えてくれる。(写真提供:ワンダーガイド飛騨代表大田利正)

当時の姿がそのまま残る遊郭建築

ガイドの方と一緒でなければ巡ることが許されないとっておきのスポットがある。それが遊郭建築の「深山ふかやま邸」だ。

明治40年(1907)、岐阜県の三大遊郭のひとつに数えられる『船津花園遊郭』が神岡町に誕生した。鉱山がもたらす街の繁栄とともに、明治、大正、昭和にかけて発展。11軒もの遊郭が軒を連ねたこの一角は、一大不夜城を思わせるほどの賑わいを見せていたという。

今回ご紹介する深山邸は、いまも当時のままの姿を残している。

深山邸(当時の屋号は若松家)
2階には、5つの客間がある
表玄関とは別に、上客専用の隠し部屋とそこへ続く階段
遊女が客寄せに座っていた1階の部屋には、当時の様子を伝える資料も展示されている。

遊女が普段生活していた部屋には窓がなく、3畳ほどの広さ。「ここに2人1部屋で暮らしていたんだよ」と太田さん。

華やかさの裏にある、遊女たちの厳しく悲しい境遇が突きつけられる。戦後の日本が歩んだ発展の影に埋もれた貴重な歴史を知る場と言えよう。

今回は市街地を中心に紹介したが、神岡には「日本の里100選」に選ばれた天空の里・山之村や深洞湿原など自然豊かな場所もある。毎年7月24日に行われる聖徳太子ゆかりのお祭り「常蓮寺太子踊り」は300年以上の伝統を誇る。別の機会にまた、神岡町の尽きせぬ魅力を掘り下げてみたい。

文・写真=浅岡里優

浅岡里優(あさおか・りゆ)
1990年生まれ。九州大学芸術工学部卒業。大学卒業後、新卒採用支援の会社を立ち上げるも挫折。0からビジネスを学び直そうと、株式会社ゲイトに参画。漁業から飲食店運営まで、一次産業から三次産業まで一気通貫する事業を経験。その後、クリエイティブの力で環境問題などの解決に取り組むロフトワークへの参加を経て、2021年に飛騨へ移住。自然に囲まれた暮らしに癒されながら、飛騨の魅力を発信している。

◉ひだ宇宙科学館カミオカラボ
岐阜県飛騨市神岡町夕陽ヶ丘6番地
https://www.city.hida.gifu.jp/site/kamiokalab/

◉高原郷土館(神岡城)
岐阜県飛騨市神岡町城ケ丘1−1
https://www.hida-kankou.jp/spot/3171/

◉深山邸
神岡町船津1990-1
https://www.city.hida.gifu.jp/site/hida-loca/06-01.html

◉ワンダーガイド飛騨
岐阜県飛騨市古川町信包180
https://wonderguide-hida.localinfo.jp/

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