父のかき氷|文=北阪昌人
奈良の氷室神社が見えてきたあたりで、母から電話があった。
「夏希、ねえ、たまには、お父さんに電話してあげてよ。ああいう人だから、口には出さないんだけどね、一人娘の顔を見たいのよ。このところ、すっかり歳とっちゃって、元気ないの」
「ごめん、お母さん、仕事中だから」
「あ、ああ、ごめんねえ、電話、切るね」
仕事中というのは半分嘘で半分本当。
奈良には出張で来ていて、さっきまで新しいプロジェクトの打ち合わせをしていた。この春、部長に昇格した。喜んだのもつかの間。やることが多くて、頭が追いつかない。常に何かに追われているような焦りがあった。
むしろ出張に出たほうが、自分の時間が持てる。心を落ち着かせるために、氷室神社に向かった。なぜ、氷室神社か……。
早めに会議が終わった。ふと、同じ部内の女性が言っていた言葉を思い出した。
「部長、今、奈良って、かき氷がすごいことになっているんですよね。ああ、かき氷好きの部長はきっとご存じでしたね」
知らなかった。あわててネットで調べてみて、驚いた。奈良は、この10年で確かに、かき氷の聖地になっていた。その中心が、氷室神社。
毎年4月1日から9月30日まで平城京に氷を献上した、氷室の守り神を祀る由緒正しい神社。境内近くに、かき氷の店があった。
ガリガリガリ~。
氷を削る音がする。胸の奥が、かすかに疼く。そうだ……幼い頃、私は、同級生が持っていた、クマさんの可愛いかき氷器が欲しくてたまらなかった。何度も何度も、親にねだる。でも、願いは聞き入れてもらえなかった。
父は小さな町工場を経営していたが、資金繰りがうまくいっていないようだった。
子どもなりに、家の経済状態がよくないことはわかっていたが、氷を削るたびにクマの目がくるくる回るかき氷器が、欲しかった。
ある暑い夏の午後。「ほら、これ」と父がぶっきらぼうに指さした。ちゃぶ台の上に、ものものしい機械があった。母が、氷をのせる。やがて、ガリガリガリ~。父のお手製、かき氷機だった。
氷を削る音が、怖い。物々しい。
「こんなのいらない!」私は泣きだし、その場を立ち去った。
去り際に見た、父の横顔。薄笑いをしていた。それが、なんとも哀しかった。
父のかき氷機が、その後、どうなったか、わからない。その機械でかき氷を食べた記憶がないので、怒った父が捨ててしまったのか……。
ガリガリガリ〜。かき氷屋さんから、相変わらず涼し気な音が続く。
私は、電話をかけた。
「もしもし、お父さん? 元気? うん、こっちはまあ、相変わらず。あのね、来週の週末、帰ろうかな、そっちに。うん、別に、何もないけど。あ、そうだ、ひとつ、聞いてもいい? 昔、私が小さい頃、お父さんが作ってくれたかき氷機、もしかして、まだあるかなあ……。」
文・絵=北阪昌人
※この物語はフィクションです。次回は2023年9月号に掲載の予定です
出典:ひととき2023年7月号
▼連載バックナンバーはこちら。フォローをお願いします!
この記事が参加している募集
よろしければサポートをお願いします。今後のコンテンツ作りに使わせていただきます。