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「目の前の好きなことをやり続けたらこうなったの」平野レミ(料理愛好家・シャンソン歌手)|わたしの20代 

わたしの20代は各界の第一線で活躍されている方に今日に至る人生の礎をかたち作った「20代」のことを伺う連載です。(ひととき2023年6月号より)

 父*がフランス文学者だったから、シャンソンは幼い頃から耳にしていたの。日本の曲にはないような、とってもきれいなメロディーラインでね。歌詞の意味なんてわからなかったけど、聞こえたままを真似してよく歌っていました。高等学校はつまらなくて「やめたい」と父に伝えたら、「やめてもいい。その代わり好きなことは徹底的にやりなさい」と言われて。私がシャンソンを好きだと知っていたから、オペラ歌手の佐藤よしさんに習うことを勧めてくれたんです。

*詩人、フランス文学者の平野威馬雄[1900〜1986]

 当時暮らしていた千葉から、東京を横断して先生のお宅がある神奈川まで、週2回通っていました。歌うことは楽しかったけど、先生はプロのピアニストというわけじゃないから、たまに伴奏をミスするのね。その度に「本格的なバンド演奏で歌ったら気持ちいいだろうな、一回歌ってみたいな」と夢に描いていたの。

 20代前半の頃、銀座日航ホテルにあったミュージックサロンでオーディションをやっていると聞いて。プロ歌手を目指していたわけじゃないけど、「バンド演奏で歌えるなら」と受けてみたら、受かっちゃった。サロンで歌い始めてすぐに、同じ銀座にあったシャンソン喫茶のぎん巴里ぱりからも声をかけてもらって、掛け持ちで歌うことになったの。譜面をもってドレスの裾をたくし上げて、銀座通りを走って2つのステージを行ったり来たり。大忙しだったけど、楽しくて仕方なかったわ。自分の中の感情が歌と一緒に全部外に吐き出されるようで、スカッとするの。シャンソンは曲によっていろんな人間を演じられるのも楽しいのよね。そうやって自分を表現することで、幸せな気持ちになれるんです。

銀座のサロンでシャンソンを歌っていた20代前半の頃

 今は料理家としての活動のほうがメインだけど、好きなことを表現するという点では、歌も料理も同じよね。「いい声で素敵な歌を歌いたい」も「おいしいお料理を作りたい」も表現。どちらも、周りの人を喜ばせることができるしね。

 今の私があるのは、夫(和田誠氏)のおかげでもあるのよ。結婚したのは、20代半ばの頃。和田さんは、それまで出会ったどの男性とも違ってたの。博識で、どっしりと落ち着いた人柄にひかれて、出会って10日で結婚しました。

 家には、和田さんの友達がたくさんやって来たの。渥美清さん、黒柳徹子さん、永六輔さん……。和田さんが、「レミの料理をみんなに振る舞ってあげて」と言うので、子供の頃から料理が好きだった私は、思いついたものをパパッと作って出したんです。そのうち「和田さんの女房はおいしいものを作ってくれる」という話が広まってね。それが今ではテレビや本でレシピを紹介するまでになっちゃった。何より感謝したいのは、和田さんが私の料理を一度も「まずい」と言わなかったこと。「今日はちょっと味が濃いかな」なんて言われる日もあったけど、少し味付けを変えると「すっごくよくなった」って褒めてくれるの。それがうれしくて、もっともっと頑張ろうと思えたんです。

20代半ばで結婚、家族や来客のためにキッチンに立つ

 20代は思うように生きてきたから、悔いなんてな〜んにもない! だから、その先に楽しい人生が待っていたんだと思うの。野心も野望も抱いたことはないけど、ただ目の前の好きなことをやり続けていたらこうなっちゃったんです(笑)。

談話構成=後藤友美

平野レミ(ひらの・れみ)
東京都生まれ。20代でシャンソン歌手としてデビュー。イラストレーターの和田誠氏と結婚後、雑誌に創作料理を発表。主婦として家庭料理を作り続けた経験を生かし、おいしく簡単でアイデアにあふれた料理をさまざまなメディアで発信し続ける。『平野レミのオールスターレシピ 家族の絆はごはんで深まる』(主婦の友社)をはじめ著書・レシピ集多数。

◎6月18日(日)まで、美術館「えき」KYOTOにて「和田誠展」が開催中です

最新刊『エプロン手帖』(ポプラ社)。子供時代の味覚の記憶から、料理にまつわるさまざまな思い出をつづったエッセイ集

出典:ひととき2023年6月号

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