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かくれけり師走の海のかいつぶり|芭蕉の風景

「NHK俳句」でもおなじみの俳人・小澤實さんが、松尾芭蕉が句を詠んだ地を実際に訪れ、あるときは当時と変わらぬ大自然の中、またあるときは面影もまったくない雑踏の中、俳人と旅と俳句の関係を深くつきつめて考え続けた雑誌連載が書籍化されました。ここでは、本書芭蕉の風景(上・下)』(ウェッジ刊)より抜粋してお届けします。

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かくれけり師走の海のかいつぶり 芭蕉

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可憐な鳥の命を詠む

『おくのほそ道』の旅を終えた後、芭蕉はしばらく故郷の伊賀と京都と近江とを行き来して過ごしていた。元禄三(1690)年の旧暦十二月半ばに、芭蕉は京都から大津に来て、越年している。琵琶湖南岸に近い、門弟乙州おとくにの新築した家や、義仲寺ぎちゅうじで過ごしているのだ。掲出句はそのころ、詠まれている。

 金沢の俳人友琴ゆうきん編の俳諧撰集『色杉原いろすぎはら』(元禄四年・1691年刊)に所載。

「海」という表記になっているが、これは湖のこと、琵琶湖のことである。かいつぶりは水鳥。大きさは鳩よりもすこし小さい。かいつぶりの古名は「にお」、「鳰の海」は琵琶湖の別称である。琵琶湖に棲む水鳥を代表する鳥ということになる。かいつぶりは明治以降現在に至るまで、冬の季語となっているが、芭蕉のころはまだ季語として扱われていなかった。それゆえ、掲出句の季語は「師走」一つである。

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 句意は、「水の中に隠れてしまった、師走の琵琶湖のかいつぶりは」。大胆な倒置はなされているのだが、平易なことばだけで、可憐な鳥の命を詠みえている。

 この句に詠まれた風景を訪ねて、かねてから琵琶湖南岸を歩いてみたいと思っていた。ただ、乙州の住まいのあったといわれる大津の松本や義仲寺から湖岸に出て歩いたことはすでに何度かある。しかし、波の上にかいつぶりを見たという経験はいまだなかった。

 そのような時、琵琶湖東岸の烏丸からすま半島にある滋賀県立琵琶湖博物館で、かいつぶりの餌やりが行われていることを知った。ぜひ芭蕉が詠んだかいつぶりをつぶさに見てみようではないか。

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 東海道新幹線京都駅下車、東海道本線(琵琶湖線)に乗り換え、新快速で約二十分走ると、草津駅である。西口発の近江鉄道バス「からすま半島」行きに乗って二十五分で、博物館に到着する。

 琵琶湖博物館には、琵琶湖の歴史や人々の暮らしに関する展示とともに、琵琶湖に棲息する生物が飼育展示されている。水族館が併設されているのだ。

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滋賀県立琵琶湖博物館

かいつぶりと芭蕉は一つ

「水辺の鳥」という水槽の前に立って、餌やりの開始を待っていると、小さな一羽の鳥が、あしの枯葉を嘴に挟んで活発に潜水している。水槽なので、鳥の水中での動きもよくわかるのだ。

 飼育員の方が登場、まず水槽内の四種の鳥の名を教えてくれた。ヒドリガモ、カルガモ、ユリカモメ、そして、カイツブリである。潜水していた小さな鳥が、やはりカイツブリだった。生きた小さな魚が入った容器の中を見せ、「この魚を放ちます。カイツブリがどうやって魚をつかまえるか、よく観察してください」とのこと。遠足の小学生がぞくぞくと集まってくる。

 銀色の魚が放たれると、カイツブリは勢いよく潜水して魚を追って捕らえる。カイツブリより先にユリカモメが首を入れて、すばやく魚を獲ってしまうこともある。しかし、三十センチ以上の深さにはカイツブリしか潜れない。数分ですべての魚をカイツブリは獲ってしまった。

 飼育員の方と話をすることができた。カイツブリは琵琶湖では通年見られる鳥で、時間としては二十秒から三十秒、水深は二メートルぐらいまで潜る。餌の魚はカワムツの稚魚であったこと。博物館のカイツブリの子は夏にかえって、着実に育っているが、十月に、また産卵がなされたこと。葭の葉をくわえていたのは、巣をつくる気持ちがあったこと。湖岸の葭が減って、カイツブリも減ってしまっていること。カイツブリについてだいぶ詳しくなった。

 芭蕉の句に戻ろう。上五「かくれけり」だが、K音を三つ含み、きびきびした印象があるのも、小さく機敏なこの鳥にふさわしい。下五になってようやく「かいつぶり」が現れるのも、潜水後思わぬ場所に浮上する性格を思わせて、巧みだ。ただ、この鳥は実際には水中で小魚を獲っているのだ。「かくれ」という動詞を選んだことには、師走のあわただしいちまたを厭う芭蕉自身を反映しているのではないか。かいつぶりと芭蕉はこの句において、一つだ。

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 かいつぶりといえば、人類学者の中沢新一氏の著書『アースダイバー』(講談社・平成十七年・2005年刊)に記されていたアメリカインディアンの神話を思い出す。神話の中でかいつぶりは、大洪水の後に水底の泥を取ってきて、その泥から新しい世界を生み出したという。師走の琵琶湖のかいつぶりも、その勇敢さを受け継いでいるのかもしれない。また、芭蕉自身の印象もこの鳥に重なる。深く潜行して真実を摑もうとしているのだ。

かいつぶり水に顔入れすすむなり 實
かいつぶりのはしに稚魚消ゆきらめいて

※この記事は2014年に取材したものです

小澤 實(おざわ・みのる)
昭和31年、長野市生まれ。昭和59年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。15年間の「鷹」編集長を経て、平成12年4月、俳句雑誌「澤」を創刊、主宰。平成10年、第二句集『立像』で第21回俳人協会新人賞受賞。平成18年、第三句集『瞬間』によって、第57回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。平成20年、『俳句のはじまる場所』(3冊ともに角川書店刊)で第22回俳人協会評論賞受賞。鑑賞に『名句の所以』(毎日新聞出版)がある。俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞などの俳壇選者、角川俳句賞選考委員を務める。

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