台湾で“王爺”が崇拝されるワケ|立冬~小雪|旅に効く、台湾ごよみ
この連載「旅に効く、台湾ごよみ」では、季節の暦(二十四節気)に準じて、暮らしにとけこんだ行事や風習、日台での違いなどを、現地在住の作家・栖来ひかりさんが紹介。より彩り豊かな台湾の旅へと誘います。
今年も残りの日数が見えてきた。陽が落ちるのも早くなり、夜は長くなった。いくらか空気が澄んで、外界の物音もよく聞こえる。しんと静まり返った深夜に、隣家の庭の椰子の葉がバサバサっと落ちる。南国のイメージがある台湾だが、台北の冬は寒い。今朝は気温も15度まで下がった。
この季節に好まれる台湾の「おやつ」
この頃から、夜に出かけると道端で白い蒸気に包まれた屋台の車を見かけるようになる。看板に書かれた「菱角(リンジャウ)」とは、菱の実のこと。台湾南部を主な産地とするヒシ科の水生植物で、秋から冬にかけて多く実が採れる。
近づいてみると、真っ黒で牛の角のような形をしたものが籠に敷いた白い布の上で湯気を立てている。山盛りになった黒い異様な形状の物体に最初は驚くが、硬い殻をむくと中から白い実が顔をのぞかせ、噛むとふわっと栗のような香りが広がる。台湾の人々が好む秋冬の「おやつ」である。
台湾の気候が複雑なワケ
二十四節気、今年の「小雪」は11月22日。
古代中国で生まれたこの時期の七十二候は
初候:虹蔵不見(にじかくれてみえず)
次候:天気上升,地気下降(天地の寒暖が逆になる)
末候:閉塞而成冬(天地の気が塞がって冬となる)
初候はちょうど、4月の「清明」の頃の末候「虹始見(にじはじめてあらわる)」の対となっている。これから半年ぐらいは、空気中の水分が減り虹を見かけることが少なくなる。しかし昔の人は陰陽の気が混じり合って「虹」ができると考えていたらしい。陰の気に覆われる冬は、虹が見えなくなると思ったのだろう。
江戸時代にできた日本版の七十二候では
初候:虹蔵れて見えず
次候:朔風葉を払う
末候:橘始めて黄なり
「朔」とは北のことで、朔風は北風のこと、木枯らしとも呼ばれる。台湾では、この頃から吹く東北季節風を「東北風」と呼ぶ。この風が東北の寒気団の冷えをジトジトとした雨と共に台北に運んでくるので、九州や西日本あたりがガクンと寒くなれば台北も同じく冷え込むという寸法だ。しかし地理と位置の関係で、台湾南部は北部と逆となることもよくある。
冬ばかりは、寒くてジトジトした台北を脱出して中南部で過ごしたい……毎年のようにそう思う。台湾本土は九州と同じぐらいの大きさだが、途中で北回帰線が通って亜熱帯と熱帯に属し、標高3,952メートルの玉山をはじめ3000メートル級の山々の連なる中央山脈との関係で複雑な気候を持っているのだ。
台湾各地で信仰される“王爺”とは
この時期の台北で行われる盛大なお祭りが、王爺(ワンイエ)という神様のお誕生日をお祝いする「艋舺大拜拜」である。現在の中国福建は泉州のあたりから数百年も前に移民してきた人々が1856年に建てた「艋舺青山宮」を中心に行われるお祭りで、毎年旧暦の10月21日ごろに三日三晩盛り上がり、今年のメインイベントの巡行は11月26日である。
台湾独特の文化や季節を背景に俳句の「季語」を編んだ書籍『台湾俳句歳時記』では、「青山王祭」と記載があり、こんな風に紹介されている。
特に昔、移民とは暴挙に近かった。海のあちら側は霞でしかなかったのだから。禁令を犯してまでして台湾に渡った移民たちは、水神媽祖の神像のほかにも郷土神を奉持し、ともかくも天つ渚に辿りついた。兄弟縁者、相抱いて慟哭し、その涙で海峡の水位が一メートルも上昇した。しかるに台湾は楽園ではなかった。天災地変、疫病土匪、他国者との地盤争いや原住民族の首狩り…かくして同郷者は砦をつくり、その中心に郷土神の廟が鎮座した。――『台湾俳句歳時記』(黄霊芝・著)
台湾で廟に出会い祀られている神様を見れば、その土地の居住者がどこにルーツを持っているのか推測できる事は多い。同じく福建にしても泉州と漳州、そして更に細かく分類でき、廟に祀られている神様は、誰がその土地の勝者であるかを示してくれる。
例えば、「清水祖師」は福建泉州は安溪人を守護する神様である。だからもし「清水祖師」を祀っていれば、そこは泉州安溪人によって開墾された土地ということになる。鉄観音で知られる安溪は昔からお茶の名産地で、多くの人が茶葉産業に従事していた。幾度の干ばつで雨乞いに成功し茶葉に慈雨をもたらした清水祖師は、安渓人の守り神である。
しかし、そうしたローカルを超えて人々の信仰を集めたのが「青山王祭」の主役、疫病を鎮める神様・王爺だった。台北はもともと水運で栄えた都市で、殊に台北一の港・艋舺(今の龍山寺周辺)には、各国の港から様々な商人や船乗りが疫病を持ち込み、爆発的なエピデミックを何度も起こした。異なる土地の出身者同士の土地争いも壮絶を極め、1853年には多くの死傷者を出す土地戦争が勃発。遺体が腐敗して更なる伝染病が広まった。
そこで泉州惠安出身のひとびとは、郷土神である「王爺」のお神輿をつくり街中を練り歩いた。すると、ある通りでお神輿が止まってしまいどうにも先に進めない。「タンギー」(神との間に介在するイタコのような存在)がいうには、そこにあった古井戸に1000年以上生きたコオロギが閉じ込められており、この度の伝染病を引き起こしているという。
1856年、人々はその古井戸の場所に廟を建て王爺を祀った。すると人々を苦しめていた疫病はウソのように収まり、以来「王爺」は疫病の多い台湾で、絶対的な信仰を集めるようになった。このときに建てられた廟が「青山王祭」の行われる艋舺青山宮で、今も廟に祀られた神像の下には古井戸があると言われている。
その後も疫病のたびに王爺の霊験あらたか、一説では2003年に台湾でSARSが勃発した際、11月の青山王祭の巡行後にSARSの流行が収まったともいう。しかし今回のコロナ禍には王爺も歯が立たないのか、昨年の巡行後も収まる気配がなかったのは残念なことだ。
今年の巡行に期待したい。
文・絵=栖来ひかり
栖来ひかり(すみき ひかり)
台湾在住の文筆家・道草者。1976年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。台湾に暮らす日日旅の如く新鮮なまなざしを持って、失われていく風景や忘れられた記憶を見つめ、掘り起こし、重層的な台湾の魅力を伝える。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(2017年、西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路~記憶のワンダーランドへようこそ』(2019年、図書出版ヘウレーカ)。
最後までお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、ウェブマガジン「ほんのひととき」の運営のために大切に使わせていただきます。