ミャンマー街のメロディー|へうへうとして水を味ふ日記
「ひかりさん、来週、あのA川さんのご案内でミャンマー街に行きませんか?」
と、先日、馬場克樹さんが誘ってくださった。馬場さんは日本の外交官として台湾に赴任した際、台湾に惚れ込んでしまい退職して台湾に移住。現在は台湾でシンガーソングライターや俳優、ラジオパーソナリティとして大活躍する、皆の兄貴分的な頼れる存在である。そして「あのA川さん」とは、台湾の大学に留学中の日本人院生で、毎週のようにミャンマー街に通い詰めている「ミャンマー街の達人」として知られるブロガーさんだ。
ミャンマー街には10年ぐらい前に一度行ったことがある。その時はちょっとお昼を食べて帰っただけだが、目の検査の記号が並んだように丸っこく可愛いミャンマー文字に囲まれ、超アウェイなのにゆったりとした空気の流れる、しかし深い歴史を背負っていそうなあの街をまたじっくり訪れたいと思っていた。しかも達人にご案内をいただけるなんて願ってもないことで、二つ返事で「行きます!」と返信した。
さて、さっきからミャンマー街、ミャンマー街っていったい何のこと? 台湾の話だよね?
そうお思いの読者も多かろう。ミャンマー街とは、文字どおりミャンマーからの移民「ミャンマー華僑」がつくった街で、目抜き通りの名前を取って「華新街」と呼ばれ、台北郊外は新北市中和に位置する。台北市内からはMRTに乗って20~30分、オレンジ色の線の終点となる南勢角駅から、徒歩500メートルほどで到着という手軽さ。散歩で行ける「東南アジア」という雰囲気の華新街だが、実は、台湾の複雑な歴史のはざまに生まれた街でもある。
台湾にはミャンマーから移民してきた「ミャンマー華僑」が多く暮らすが、そもそも彼らがミャンマーにいた理由も、台湾に来た理由も、じつにさまざまだ。
まず、最初に移民が始まったのは、1949年以降のことである。先の戦争で日本軍と戦うためにミャンマーに派兵されていた中華民国の軍人さんたちが、国共内戦で敗れて台湾にやって来た中華民国に「帰国」したのだ。
更に今度は、国共内戦で雲南から追われタイやミャンマーに逃れて孤立してしまった人々が、生死のあいだを彷徨うような大変な生活のすえに1950年代より台湾(中華民国)へと「帰国」し、桃園や南投県にできた「復員」のための村に腰を落ち着ける。
そして今回おとずれた華新街は、ミャンマー国内で起こった華僑への政治的、経済的な排斥や教育などの目的で、1960年代以降に移住してきたミャンマー華僑たちによってつくられた。‘70~80年代には、高度経済成長した台湾に、先に移住した親戚をたよって仕事を求めて移り住んでくる人も増えた。また、そこを足掛かりにさらに好景気に沸く日本へと出稼ぎにいったミャンマー華僑も少なくない。台北市内で評判のいいお寿司屋さんや和定食店のオーナーが、じつはかつて日本で和食を修行したミャンマー華僑なんてことも少なくないのだ。
「10時ごろに托鉢が見られるから、その前に行きましょう!」
A川さんの提案に合わせて10時前に南勢角駅前で待ち合わせた。A川さんにお会いするのは初めてだが、SNSやブログでよくお見掛けしている好奇心と聡明さに満ちた発信と同じく、溌剌とした様子がこの先の旅の期待をふくらませる。「日本の若いひとは内向き」なんて話を最近よく耳にするが、A川さんみたいな頼もしい女性に会うと日本もまだまだ大丈夫、なんて気楽な気持ちになってしまう。
駅を出て、「テキサス・インストルメンツ」という企業の前を通り過ぎる。
「ここはアメリカ系の半導体の会社で、ミャンマー本国で英語教育を受けたミャンマー華僑が多く就職してるんですよ」
なるほど、そういう事情もあってミャンマー街がこの近くで発展し続けているのか。
それからまた少し歩き、いよいよミャンマー街に差し掛かる。
まず、A川さんが案内してくれたのは、NGOが運営する「燦爛時光書店」。看板には、「光」という漢字のほか、インドネシア語やミャンマー語などさまざまな言語が書かれている。おそらくどれも「光」という意味に違いなく、わたしの名前は東南アジアではこうも書くのか、と知れて少し嬉しみがわく。
残念ながら平日で閉まっているが、東南アジアをテーマに、移民の人々が故郷の文字を通して様々な思考に触れたり交流が出来るようにと2015年より始まった。「売らず(書店にあらず)、貸出期限はなく(図書館にあらず)、貸出料は全額返金(貸本屋にあらず)」という、3つの「あらず」をモットーにしているユニークさである。
華新街にはいると、「騎楼」とか「亭仔脚(ting-a-kah)」と呼ばれる建物の一階部分のアーケードが、他所の台湾の街より幅広い感じがする。
だからだろうか? ゆったりした感じのするアーケードには椅子とテーブルが置かれている。それに座って、年配の男たちがお茶を飲みながら飽くことなくお喋りに興じるわきで、大量のらっきょうを剥く年配女性。
A川さんによれば、東南アジアなどで街ゆくひとびとが水をかけあいながら新年を祝う「水かけ祭り」が、ミャンマー街でも新年を祝う毎年4月頃の恒例行事だった。しかし、近年では水不足を理由に、ちょうど同じころのお釈迦様の誕生日を祝う「浴佛節」を名目にしたイベントとして形を変えている。
それから、お店を出たり入ったりする上座部仏教の托鉢の尼僧たちに会った。薄桃色の服をまとい、赤土で染めたようなだいだい色の衣を肩にかけ、足元には深紅の下履きをすこしのぞかせて、なんだか蓮の花が歩いているみたい。食事を提供するお店のひとも僧侶と同じように靴を脱いでいるのは、托鉢のお作法なのだろう。
アーケードやお店のあちこちに、六根色旗がはためく。青・黄・赤・白・橙、さらに五色が混ざり合った「輝き」色をあわせた「六色」は、悟りを開いたお釈迦様のからだから放たれる光の色だそうだ。輝きは目に見えないから、5つの色で「六色の旗」をあらわすとは。そう考えると、街にただよう敬虔さや慎み深さが目に見えずとも感じられ、先ほどの書店の名前が「光」であることを道理でとおもう。
ミャンマー街には、本国ミャンマーを構成するのとおなじく、ミャンマー、タイ、雲南、広東飲茶に、インドやムスリムなど多文化を背景とする40軒ほどの飲食店や雑貨店が立ち並んでいる。路地には、服や野菜を売っている市場もある。どこで昼食を食べようとあれこれ目移りするなかで、ミャンマー伝統料理「モヒンガー」を食べさせてくれるA川さんおすすめの食堂に入った。
モヒンガーは様々なスパイスを組み合わせて作られる、さっぱりした魚スープの麺料理だ。ココナッツ味を求めていたわたしは、ココナッツスープの麺を選んだ。タイ料理のように刺すような辛さやはっきりした甘味があるわけでもなく、ゆったりした味わいが街の雰囲気と似ている。それから入った茶室のミルクティーの甘さもまたゆったりして、とっても美味である。
アーケードの切れ目に物干しザオがあり、沢山の鉢植えがぶら下がっている。台湾には沢山の種類の蘭があるが、花の時期が終わっても葉と根は生きていてまた花を咲かせるので、屋外に「寄せ植え」のように置いておくことが多い。緑をたたえた鉢植えがベランダや道端に上下互い違いにならんで街のなかにリズムを作り出す、わたしはそれを「街のメロディー」と呼んでいる。
「あ、街のメロディーだ」
わたしが鉢植え群をみてそう口にだすと、馬場さんが物干しザオを五線譜の一番うえに見立て、
「♪ふーふーふふ ふふふー」
と、いい声でハミングしてくれた。どこか、東南アジアの情緒をおもわせるメロディーだ。
白く照り返る午後の熱されたアスファルトの道路にお店のおばさんが打ち水をする。夏の日の午後の、ちいさなちいさな「水かけ祭」の追憶。馬場さんのハミングに合わせてきらきらと、その水のしぶきに六番目の色がみえた。
文・写真・イラスト=栖来ひかり
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