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藤沢宿の飯盛女と「小鳥の街」|新MiUra風土記
この連載「新MiUra風土記」では、40年以上、世界各地と日本で20世紀の歴史的事件の場所を歩いてきた写真家の中川道夫さんが、日本近代化の玄関口・三浦半島をめぐります。第11回は、三浦半島の北西部を訪ねます。
知ったようでいて知らない町が藤沢だった。
人口の減少がつづく三浦半島の玄関口、藤沢市は増加中で県内の第4位。そして藤沢駅—大船駅間にJR東海道線の新駅ができるという(藤沢域2032年頃)。いま何が藤沢に人を呼んでいるのだろうか?
藤沢はこの東海道線が町の中心部を南北に分け、南は鵠沼や辻堂の湘南ビーチで、あの江の島も藤沢市だ。駅南口にはJRに小田急江ノ島線と江ノ島電鉄の駅舎が集まり、観光客もいて賑わっている。
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僕が知るのは、冴えない時代の駅北口だった。藤沢のほんとうのおもしろさは、こちらの北側にあるとは知らずにいたのだ。
駅とつながる北口のサンパール広場のペデストリアンデッキ(駅舎歩道広場)が、3年前にケヤキなどが植えられて一新、藤沢市のキャッチコピーである“みどりと太陽と潮風のまち”らしくなっていた。
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銀座通りに下りるとまず寄ってしまう古書籍の(有)大虚堂書店。店先のゾッキ本*やガラス越しの趣向をこらした古書並べに神経が届いている。昭和26年[1951]創業、昔は2階まであったという店内には意外にも鉄道書が充実している。
店を後にすると柳通りで、この辺りには映画館もあったはず。
*古書店などでとても安価な値段で販売される新品同様の本
「柳並木の向こうにはあやしい街がある」
こう耳にしたのは高校生のときで、藤沢のさる県立高校の友人がおしえてくれた。妖しい街?はずっと気になっていたものだった。
古地図のコピーを手に柳通りを渡った。そこは明治には旧地名から辰巳遊郭、藤沢新地と呼ばれた場所だった*。
*『地図に刻まれた歴史と景観 藤沢市』高木勇夫編著 新人物往来社
*『全國遊郭案内』日本遊覧社 昭和5年 復刻版(平成26年 カストリ出版)
「やはり遅かったか!?」三角形の廓を示す街灯の柱は立っていたが、吉原をまねた大門は消え、かつて妓楼や旅館が並んでいた跡地にはポツポツと香ばしい飲食店が営業している。敗戦で遊郭が廃止され、後にいわゆる〈原色の町〉になってゆく。
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ケバい敷石の路地をめぐると『驟雨』*を書いた吉行淳之介の姿が想い浮かんだ。土地の縁か、その淫らな気配は消えないものなのだろうか。
*『驟雨』(昭和29[1954])新宿二丁目の赤線を自伝的に描いた吉行淳之介の芥川賞受賞作品。
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旧辰巳町には鳥の名の店が集まる「小鳥の街」という一角もあったという。そこはいま高層マンションが建ち、向かいには「ひよこ」、「せきれい」の看板の店が残っていた。駅直近のアーバンマンション街に激変した場所で化石を発見したような気がした。
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さて藤沢のルーツである北の藤沢宿(現・本町)をめざそう。
藤沢市役所は辛うじて東海道線の北側にある。明治20年[1887]横浜―国府津間に東海道線が開通して藤沢停車場ができる*。それは東海道五十三次の宿場町を避けた、松林と桃畑の地だった。
*『神奈川の鉄道 1872-1996』野田正穂編著 日本経済評論社
藤沢宿の遊行寺(清浄光寺)へ、かつての江ノ島道をたどる。途中、小泉八雲が江の島詣で記した庚申供養塔がある。蔵のギャラリー*が開いていて、藤沢最古の商店*が健在だった。
*蔵まえギャラリー 旧米穀商店 築昭和6年[1931]
*畑畳店 創業元禄14年[1701]。遊行寺御用達
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後方は遊行寺。
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遊行寺前の大交差点にでると、正月の箱根駅伝でおなじみの難所の遊行寺坂が伸びていて、その先は戸塚宿になる。橋のたもとに江の島弁財天一の鳥居趾に道標の石柱*が置かれる。
*江の島信仰の盲目の鍼灸医・杉山検校が建てたという。市指定重要文化財
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藤沢は日本橋から6番目の宿場だが、大山、厚木、八王子、鎌倉、江の島道を束ねる人とモノと観光詣の一大ハブ宿場町だった。
江戸方の見附から京方のそれまで1,340メートル。藤沢宿には徳川将軍御殿、本陣、脇本陣があり、旅籠が45軒(江戸後期)、茶屋に商家や店蔵、問屋場*が並んでいた。
*人や荷物を運ぶ人足や馬、飛脚を用意する場所。人馬の継立
家康が東海道の宿場を制度化(慶長6年[1601])する前には、ここは寺社の門前の町だった。
その中心、まずは遊行寺へ。
高札場のあった大鋸橋を渡ると、黒い惣門が迎えてくれる。いろは坂をすすむと脇の墓地の案内板には「板割朝太郎の墓→」とある*。聞き覚えのある名。季節はお盆だ、寄り道すると浪曲や芝居の「赤城の子守唄」の国定忠治に忠義をはたした渡世人だった。晩年仏門入りして後述の藤沢の大火で活躍、遊行寺の僧職で没したという口承。気ままな遊歩らしい逸話だった。
*佐江衆一『藤沢のさんぽみち』(藤沢風物社)
遊行寺の境内は思いのほか広い*。踊り念仏の遊行の聖、一遍上人が宗祖で鎌倉新仏教の時宗の名刹だ。一遍が義経と同じく鎌倉入りができず、藤沢の地に留まる思いはどうだったろうか?
*遊行寺・藤澤山 無量光院 清浄光寺(正中2年[1325])遊行四代他阿呑海上人が開山。
小栗判官の照手姫の墓が、この本堂の裏手にあり参拝した。浄瑠璃や歌舞伎で人気の綺想の流離譚だが、照手姫伝説がここ藤沢の地にゆかりがあるとは知らなかったのだ。
門前の市の「ふじさわ宿交流館」でひと休みして再び通りへ。履物の石曽根商店(築大正13年[1924])と紙と茶問屋の桔梗屋(築明治44年[1911]、創業寛政12年[1800]頃)の日本家屋が現れて、指物の内田商店(築明治3年[1871])の金文字が輝いている。
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「のれん分けです、うちが本店」というのは和菓子の(有)豊島屋本店(創業嘉永2年[1849])で、水羊羹を買いつつ鎌倉を代表する同名店について、訊ねたことがある。ここには鳩サブレーは無いのだった。
徳川御殿趾の脇を境川が流れて、カワウとサギが羽を休めていた。武蔵国と相模国に分つ川。鎌倉時代にワープする河岸の景色だ。
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義経首洗井戸に立ち寄る。頼朝の怒りをかい奥州で果てた義経の首を里人が洗ったという言い伝え*。まんざら信憑性がなくもなく、至近の白旗神社(源氏の旗色)には義経も祭神とされ、鎌倉入りが叶わなかった弁慶と共に、近年石像も建立されている。
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*NHK『鎌倉殿の十三人』でもこの井戸の解説がそうされていた。石碑・源義経史蹟 藤澤市
飯盛女の墓の文字を見つけたときはおどろいた(『藤沢宿絵図』ふじさわ宿交流館発行)。それは義経の井戸から旧東海道(国道467号)を渡った永勝寺(創建元禄4年[1691]浄土真宗)にあるらしい。
山門を入ると、飯盛女の墓は39基(他含み48基)あり、脇には施主小松屋源蔵と刻まれている。旅籠屋を営み、苦界に生きたおんな達を供養するために墓地を設けた主だ。
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飯盛女は、宿場の旅籠屋では飲食の世話をしつつ、春をひさぐ私娼で、全盛期には藤沢宿の旅籠屋のおよそ30軒に100人ほどが居たらしい。小松屋は明治期には旅籠業をやめたという。
墓域のかたわらに藤沢市教育委員会の立派な解説板が設置されている。秘めたい事実かもしれないが、歴史に光を当てる市の英断だと思った。
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藤沢宿は明治期に3度大火にさらされた。明治35年[1902]、旅籠屋と飯盛女らは、妓楼と娼妓となり、宿場(現・本町)から辰巳の方角へ移転した。そこは藤沢駅に近い、遊郭、藤沢新地(後の「小鳥の街」含む)になるあの辰巳町だ。
そして東海道線の西への全面開通により、宿場町藤沢は衰退し、町はやがて問屋商の街に脱皮して、藤沢商人をはぐくんだ。
藤沢宿をめぐる新しい波といえば「関次商店 パンの蔵 風土」だろう。穀物肥料商の土蔵(築明治19年[1886]国指定登録有形文化財)をリノベーションした人気のオーガニック系パン屋。宿場町から問屋町への古い器への21世紀のささやかな試みだ。新たな藤沢商人は北口に光を与えて、三浦半島に多彩な魅力を加えていた。
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文・写真=中川道夫
中川道夫(なかがわ・みちお)
1952年大阪市生れ、逗子市育ち。高校2年生の時、同市在の写真家中平卓馬氏と出会う。1972年から同氏のアシスタント。東京綜合写真専門学校卒業。多木浩二、森山大道氏らの知遇をえてフリーに。1976年、都市、建築、美術を知見するため欧州・中東を旅する。以後、同テーマで世界各地と日本を紀行。展覧会のほか、写真集に『上海紀聞』(美術出版社)『アレクサンドリアの風』(文・池澤夏樹 岩波書店)『上海双世紀1979-2009』(岩波書店)『鋪地』(共著 INAX)。「東京人」、「ひととき」、「みすず」、「週刊東洋経済」等に写真やエッセイ、書評を発表。第1回写真の会賞受賞(木村伊兵衛写真賞ノミネート)。「世田谷美術館ワークショップ」「東京意匠学舎」シティウォーク講師も務める。
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