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鬼の季節、阿里山の茗荷に日本を想う。|小暑~大暑|旅に効く、台湾ごよみ(10)

この連載旅に効く、台湾ごよみでは、季節の暦(二十四節気)に準じて、暮らしにとけこんだ行事や風習、日台での違いなどを、現地在住の作家・栖来ひかりさんが紹介。より彩り豊かな台湾の旅へと誘います。

 二十四節気のなかで、最も暑いのが小暑から大暑にかけてで、今年は7月7日から8月6日までの一か月である。台湾の廟にいけば、門の後ろ側に描かれた神様の姿をした「二十四節気」に出会うことがある(参照:「鬼」はなぜ、神様として描かれるようになったのか)。

 そこには冬の「大寒」につづき、「小暑」「大暑」も恐ろしげな鬼の姿で描かれる。鬼のもたらす毒気ほどにこの時期の暑さは身体に堪え、疫病を流行らせ、脱水症状などで多くの人を果敢(はか)なくしてきた。日本でも京都をはじめ、全国の「祇園社」で疫病祓いの祭りが行われるのはこの為だ。

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洋の東西を問わない「犬」と「夏」の関係

 二十四節気以外に、最も暑い季節を表わす「三伏(さんぷく)」という時節もある。

 三伏や猫の寝そべる風の道 ― 芝尚子

 俳句の季語にもなっている「三伏」。暑中見舞いの挨拶で「三伏の候…」というのもあるが、具体的には何をいうのだろう?

 三伏の由来は古代中国に遡る。期間は「夏至」の後に迎える3度目の庚(かのえ)を「初伏」とし、それから10日後の4度目の庚の日を中伏、立秋を迎えて最初の庚を末伏とする。

 台湾では『農民暦』といって、大安や友引が記されている日本の六曜カレンダーを更に複雑にしたようなものが毎年発行されている。年始の仕事はじめや、冠婚葬祭にまつわる日取りを決めるのに重要なものだが、それによれば今年2021年の初伏は7月11日。中伏が7月21日で、末伏は8月10日である。

「伏」とは、「人」と「犬」の象形文字を組み合わせた漢字である。古くから「犬」は人の生活のそばで伏せていた様子から、この字が生まれた。つまり「伏」とは頭を低くして身を隠すことで、三伏の頃の陽の光は身体に毒なので、出来るだけ日中に出歩くことを避けろというのである。

 欧米でも夏の盛りを「ドッグ・デイズ(The dog days)」といい、このころ天上に輝くシリウスの別名である「Dog star」からこの名が出来たらしい。西洋と東洋で同じくこの季節に「犬」という共通点を持っているのが、ただの偶然なのか、はたまた何かしらの影響があるのかは知らないが興味深い。

 そういえば台湾でも、犬が寝そべる姿は暑いときの風物詩だ。ときに「息をしているのかな?」と心配になって見つめてしまうほど、道端で平たくなってじっと眠り込んでいる。暑さでエネルギーを消耗しないようにする動物の知恵を、東西に限らず古代の人々が学んだという事かもしれない。

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 その点、うえで挙げた一句は犬ならぬ猫の知恵が感じられて面白い。家の中で一番風のとおる涼しい場所に猫が一等詳しいことは、猫飼いの方であればよくご承知のことだろう。

台湾にいると恋しくなる日本の食べ物

 三伏といえば、中医学では独特の鍼灸療法があるほか、精力のつくものや暑気払いしてくれる野菜や果物を食べて体内の水分や温度を調節するのも大切だと言われる。キュウリやニガウリ、スイカといった瓜系のほか、新ショウガやミョウガなども、そうした役割を果たしてくれる。ショウガは温度を加えると身体を温めるが、生で食べると身体を冷やす。ミョウガもショウガの一種だが、温帯性の植物のため台湾では殆ど見かけない。

 コロナ禍のおかげで日本への一時帰国のハードルが上がり、以前のようには気軽に移動できないでいる。こうなってくると、食べ物が恋しい。いくら台湾が日本から近く、近年は大抵何でも買えるようになったとはいえ、なかなか手に入りづらいものも勿論ある。

 たとえば近海魚のお造り。マグロやサーモンじゃなくて、コチやアイナメ、カワハギなんかの引き締まった肉を噛むと広がる淡い甘みが懐かしい。できれば、米の薫りのしっかりしてコクのある故郷の日本酒を、きゅっと冷やしてお造りと共に飲み干したい。お造りの横には、シソの花に大葉やミョウガが欲しい。大葉は大型の日系スーパーでも見かけるが、なかなか高価である。

阿里山ミョウガとの出会いに想う

 人は、当たり前のように食べていたものが無くなって、ようやくその重要性に気付くものだ。大げさなようだが、毎夏の訪れを告げるミョウガの爽やかな薫りと苦み、シャクシャクとした触感を思い出して身もだえするぐらい食べたい!と思っていた矢先、同じく台湾に暮らす日本人の友人が「阿里山のワサビ農家がミョウガを売っているよ!」と報せてくれた。

 阿里山(アーリーシャン)とは台湾南部の嘉義県にある台湾五大山脈のひとつ、阿里山山脈一帯を指す。日本時代にはヒノキなどの木材の産地として、ここから多くの木が日本へと運ばれ、神社の築造などに使われた。明治神宮の大鳥居(二の鳥居)も、阿里山から切り出され海を渡ったヒノキである。

 木材を運ぶため日本時代に造られた「阿里山林業鉄路」という登山鉄道があり筆者も乗ったことがあるが、標高が上がるにつれ窓の外の植生が熱帯から亜熱帯、温帯、寒帯へと移り変わるのが圧巻であった。ミョウガは温帯で育つ植物なので、亜熱帯~熱帯気候の台湾で育てるのは難しいと思われるが、聞けばこちらのミョウガは山に自生しているものを収穫したらしく、標高の高い阿里山ならではといえるだろう。

 大興奮で早速注文し、ワクワクしながら到着を待った。クール便で到着したミョウガは少し小ぶりだが、日本で馴染んでいたものより色味が濃く、少し緑がかっているのがいかにも自生という感じがする。早速、ひとつ洗って噛み締めてみた。ほんの少し灰汁のような野性味ある苦みが舌をはしる。しかし鼻から抜ける独特の香気はほかの何でもない、まさしく茗荷である。

ミョウガ

 注文時にこのミョウガの歴史について尋ねてみた。どうやら戦前に阿里山に住んでいた日本人が植えたものらしく、そのまま野生化したという。この業者さんのお祖父さんも「日本人」で(これが、実際に当時の台湾に移民していた日本人なのか、それとも当時の台湾の方々も「日本国民」とされた事から、そのように説明をしてくれたのかは不明である)、その代から食用に自生しているミョウガの収穫が始まったそうだ。

 つまり台湾が日本の植民地だった時代が無ければ、今このミョウガは阿里山には生えておらず、私がいま台湾でミョウガを食べることもなかったのだ……。

 今年は特に、帰国を見合わせている在台日本人から注文が沢山入っているらしい。国籍、出身、ルーツ……何をもって「日本人」なのか?最近とみによく考えさせられる機会の多いテーマだが、この小さな食べ物は確かに私の「日本人アイデンティティー」の一部を成している、そんなことを感じた「阿里山ミョウガ」との出会いであった。

文・絵=栖来ひかり

栖来ひかり(すみき ひかり)
台湾在住の文筆家・道草者。1976年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。台湾に暮らす日日旅の如く新鮮なまなざしを持って、失われていく風景や忘れられた記憶を見つめ、掘り起こし、重層的な台湾の魅力を伝える。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(2017年、西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路~記憶のワンダーランドへようこそ』(2019年、図書出版ヘウレーカ)。


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