【ニッカリ青江公開展 かがやく日本刀の饗宴】讃岐の刀剣文化を体験(香川県丸亀市)
「ニッカリ青江」だなんて、日本刀なのに、おかしな名前だと思うかもしれません。「にっかりと笑う女の幽霊を斬った」という逸話が名前の由来です。
"青江"とは、南北朝時代に活躍した備中国(現在の岡山県倉敷市)の青江派と呼ばれる刀工集団のこと。ニッカリ青江は彼らによって作られた脇指です。豊臣秀頼より京極家に贈られたとされる品で、1940年には国の重要美術品に認定されています。
そんなニッカリ青江の公開は、回を重ねるごとに話題に。前回公開された2021年度は、まだコロナ禍で入場制限があったにもかかわらず、熱狂的なファン約11,000人が来場しました。
3年ぶりの今回の展示は「ニッカリ青江公開展 かがやく日本刀の饗宴」として、ニッカリ青江の公開とともに、さまざまな時代や産地の名刀が集結するという、まさに日本刀の「饗宴」がテーマ。
日本刀だけではなく刀装具なども集まり、刀剣文化に関わる約 70 点の展示をまとめて鑑賞することができる、非常に貴重な機会なのです。
会場は、丸亀城(亀山公園)の敷地内にある丸亀市立資料館1階企画展示室。チケットは展示室で購入できます。
展示会場では、*古刀から順に*新刀、*新々刀と、時代が下っていくように刀剣や鑑定書である折紙などが展示され、讃岐の刀工などによって制作された郷土刀も紹介されています。中央のメインショーケースにはニッカリ青江が飾られています。
ニッカリ青江脇指は、戦乱が続いた南北朝時代の作刀にみられる大切先と呼ばれる5センチを超える切先(鋒)を持っています。元々太刀だったものが、*大磨上によって持ち手部分の茎が磨り上げられ、刀身60.3センチの脇指となりました。
そのため、脇指でありながら、切先が大きく、身幅は太くずっしりとした姿で、かつての太刀だった姿を思わせます。
当時の武士が腰に指すのに、ともに指す打刀(63.6センチ前後)とさほど変わらない長さです。
刃文には短めの逆足(刃の働きの一種)が入っています。
ニッカリ青江は、柴田勝家の手を経て丹羽長秀が所持しました。*金象嵌の所持銘は「羽柴五郎左衛門尉長」とあり、磨り上げられているが故に途中で銘がなくなっています。
豊臣秀吉に献上された後、大坂冬の陣の功労を称え、京極忠高(京極高次の子)が拝領し、その後、讃岐国(現在の香川県)丸亀藩の京極家に伝来しました。
若狭守護歴代録によると、文中に「斯時秀頼公賜青江刀一口於忠高」と記されています。京極家にニッカリ青江が渡った経緯が分かる一文です。
このようなニッカリ青江に関連する古文書など、関連資料も併せて展示されており、二ッカリ青江をより詳しく知ることができます。
また、前からだけではなく、横・後ろなどからも鑑賞できるように展示が工夫されているのが、今回の特徴。角度を変えて眺めたとき、また違った美しさや魅力に気づくかもしれません。
ニッカリ青江は、丸亀城築城 400 年を記念して、平成 9 年(1997)に丸亀市が刀身と拵を合わせて購入しました。丸亀市がニッカリ青江と共に購入した糸巻太刀拵も登場しています。
金梨子地桐四つ目結紋散鞘糸巻太刀拵という、華やかな拵。四つ目結紋が鞘や鐔、目貫にたくさん(約 80 個)あしらわれています。平成 5 年(1993)に重要刀装に指定されています。
青江派の特色を色濃く残す刀
刀 無銘 伝青江恒次は、備中青江派の中の刀工「恒次」のものといわれています。ニッカリ青江より古い時代につくられたもので、青江派特有の「段映り」を見せています。ずっしりとした印象のニッカリ青江に比べると、華奢なつくりであることがうかがえます。
青江派の作刀は、勝海舟の愛刀だった「青江の太刀」(古青江)も展示されています。
そのほか、安綱・虎徹・清磨の刀剣、讃岐の郷土刀など、みどころある刀剣が、全部で28振りも集結。
讃岐古鍛冶の作刀とされるこちらは、鎌倉時代のもの。現在も讃岐に残る「高篠」の地名にもなっている剣で、郷土の貴重な作品とされています。
讃岐の刀剣文化は、江戸時代に、特に高松藩のお抱え刀工を中心に栄えました。また刀剣を彩る刀装や刀装具は、讃岐漆芸(漆を塗り重ね、彫刻刀で模様を彫り表す技法)の祖といわれる玉楮象谷とその一門によって讃岐ならではの作品が生まれ、展開していきました。
刀剣には刃文や地鉄、姿、刀身の長さなど、それぞれに違いがあります。
今回の展示では、ニッカリ青江と他の刀剣はどういうところが違うのかを見比べて鑑賞することができます。たくさんの刀が一同に集結しているからこそできる、ぜいたくな鑑賞の仕方ではないでしょうか。
また資料館の2階では、1階の展示に合わせて安来市協力の展示コーナー「たたらと玉鋼」と、常設展示室の「生駒・山﨑・京極の歴史と文化」「ニッカリ青江を拝領した男 京極忠高」を開催中。資料館全体の展示を見ることによって、ニッカリ青江や刀剣のことについて、さらに理解が深まるのでおすすめです。
島根県安来市といえば、鉄のまち。日本古来の製鉄法「たたら製鉄」が一大産業とされています。豊富な砂鉄を原料にし、「たたら製鉄」で生産されるのが、質の高い日本刀の材料である玉鋼。
1階で日本刀の美しさに触れたあとは、その姿に欠かすことのできない素材について知ることで、より日本刀の奥深さを垣間見ることができます。
常設展示室の展示は、讃岐の土地を治めていた生駒氏・山﨑氏・京極氏について、また、ニッカリ青江を京極家にもたらした当主・京極忠高にスポットを当てた企画。当時の時代背景が見えてくると、丸亀市のことをもっと知りたくなるかもしれませんね。
近年の人気の背景には「刀剣乱舞 ONLINE」というゲームで、刀剣が擬人化した戦士の姿「刀剣男士」になっているという背景があることは知られている話です。ただ、丸亀市が購入し、ニッカリ青江が丸亀市に里帰りを果たしたのは、"にっかり青江"という刀剣男士が顕現する前のこと。初めは男性の来館者が多かったのですが、近年は女性や過去に来館されたことのない新規の方、遠方からの来館者が増えたそうです。
そんな背景を踏まえ、資料館の担当者は、「この展示を通して、丸亀にはどういった文化財や歴史があるのか、どのように守り伝えられているのかを理解していただけるとてもよい機会だと思います。当館では毎年企画展を開催しており、その際にも丸亀の郷土や歴史にまつわる展示をしております。文化財を残すためには、まず「知ってもらう」 ことが重要であると考えておりますので、歴史資料の収集・保管、展示による情報の発信を今後も続けていきたいです」と語ってくださいました。
発信された文化を受け止め、知り(識り)、残す。今の時代に生きる私たちが体験するのは、地元の人が守り伝えようとしている日本文化と向き合うこと、なのでしょう。
さて、丸亀城と言えば、「石垣の名城」と呼ばれるほど美しく高く積まれた石垣が特徴。高さ日本一の石垣が現存していることでも有名です。
勾配のある坂道「見返り坂」を登りながら扇状の石垣を見上げると、容易には敵を近づけまいとする、丸亀城の気概すら感じます。
資料館の展示を鑑賞した後、天守まで登ってみましたが、息も絶え絶え。足はがくがくに震えていました。当時の人も、きっと登るのは大変だと思っていたのではないでしょうか。少し同じ気持ちになれた…?ような気がしました。
江戸時代に庶民が作った狂歌に「京極にすぎたるものが三つある にっかり茶壺に多賀越中」というものがあります。庶民が謳わずにはいられないほど、当時からニッカリ青江は京極家の家宝として広く知られており、大事にされてきたことがわかります。
そして現代では、市民のみなさんが歴史や文化を発信することで、丸亀市=ニッカリ青江 というイメージが全国的に広がっています。
展示期間は丸亀市内の至る所で、関連する様々なイベントやおもてなし事業が開催されています。ニッカリ青江や讃岐の刀剣文化を鑑賞したあとは、城下町をめぐって思い出を作ってみてはいかがでしょうか。
その時代の文化を学び、今も残るその土地を体験する。丸亀市ではそんな理想的な旅ができることでしょう。
文・写真=濱口真由美
写真提供=丸亀市立資料館
参考資料=「京極家の至宝 ニッカリ青江のすべて」
(当展覧会パンフレット)
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