太陽と音楽の光が差す街|岩澤侑生子(俳優)
小さいころ、生まれ育った京都には海がないと思っていた。周りの大人が冗談交じりにそう言っていたような気もするし、建物の高さに制限がある京都はどこからでも街を取り囲む山が見えて、遠くにある海の存在を感じることができなかった。盆地暮らしの私は、爽やかな潮風が吹く海辺の生活に憧れていた。
初めて淡水に降り立ったのは台湾に来たばかりの冬の時期で、重たい雲が太陽を隠していた。旧正月前で人も少なくて、細い雨が降る淡水を歩きながら「台湾のベニス(と、よくガイドブックで紹介されている)は寂しいな」と思った。日本でも人気の台湾人シンガーソングライター、盧廣仲(クラウド・ルー)もこう歌っている。
淡水は台湾北端に位置する。かつて港町として栄えた淡水の歴史は古い。スペイン、オランダ、清国、イギリス、日本に関係がある歴史的建造物や史跡が残されていて、散歩するだけでタイムスリップしてしまう。なんだか毎日旅をしているようだ。
大学院の図書館や自宅で勉強していると、あっという間に太陽が海に近づいていく。一瞬の輝きを逃したくなくて、いつも慌てて河口に向かう。余裕があるときは馴染みのお茶屋さんに寄り道して、焼き立てのパンと台湾茶をいただく。淡水は台湾烏龍茶を世界に広めた場所だ。太陽が沈む方向へ、これまで多くの人や物が旅立って行った。
河口へ向かっている途中で、以前住んでいたシェアハウスの管理人さんと偶然出会う。「まだ台湾にいるんだね」と、にやっと笑う口が檳榔で真っ赤に染まっている。顔見知りが増えると、ずっと前からここに住んでいるような気分にもなってくる。
ほとんど毎日夕陽を追いかけていると、大気や雲の状態をみるだけで、どんな写真が撮れるか何となく分かってきた。夕方急にザザっと雨が降ると、雨で洗われた空が真っ赤に染まる。子供がちぎって投げたような雲のキャンバスには、黄金色の光のシャワーが降り注ぐ。台風が来る直前に偶然見ることができた極彩色の光景は忘れられない。
用事があって夕方淡水河口まで行けないときに空が絶好のコンディションだったときの悔しさは言葉にならない。今日の空は今日しか見られないから。
淡水河口から夕陽が見える絶景スポットはいくつかある。買い食いしながらのんびり歩いて今日の鑑賞場所を決める。家族連れやカップルが身を寄せ合ってそれぞれの時間を過ごしている。淡水河はいつも穏やかに波打っていて安らかだ。対岸には観音山が悠々と聳えている。
山の輪郭が観音様の横顔に見えることから観音山と呼ばれている。観音山の東南に位置する尖山(占山)は、日本時代に淡水富士と呼ばれていた。観音山全体を見ても、大きさは富士山に遠く及ばないが、時折山頂に小さな雲がかかり、それが富士山の雪化粧のように見えることもあった。
観音山を背景に、大道芸人やストリートミュージシャンが人々の足を止めている。ギターを演奏する青年、カラオケセットで台湾語の歌を歌うおじさん、赤ちゃんをおんぶしながら歌うお母さん、どこを歩いても音楽で溢れている。
遠くから聞こえる音楽に引き寄せられて歩いていくと、テレビで見たことのある顔が目に映った。盧廣仲(クラウド・ルー)だ。偶然、淡水の音楽イベントに出演していたところに遭遇した。そこで彼が私の“學長”(学校の先輩)であることを初めて知った。彼は大学生のとき、事故に遭って入院したのをきっかけにギターを弾き始めたそうだ。
彼の歌声を聞いて、淡水に来て良かったと心から思えた。30歳を過ぎて単身台湾に来て辛いことも多かったけれど、涙は淡水河口から海に流れて、太陽が濡れた頬を優しく撫でてくれた。盧廣仲の輝くような笑顔と音楽は、淡水を照らすもう一つの太陽だ。
司会者が「“淡水人”の人、手を挙げて!」と呼びかけた時、うっかり反応しそうになった。帰国の日が迫っているのに、すっかり地元の人の気分でいる自分に気が付いた。
文・写真=岩澤侑生子
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