ひと粒の命を輝かせる人々|真珠のゆりかご 伊勢志摩へ(ひととき6月号特集)
“ハネ珠”に価値を与える
尾崎ななみさんにとって、志摩市英虞湾にある祖父・中北敏広さんの真珠養殖場は遊び場だった。学校が休みになると、両親に連れられて伊勢市から会いに行ったのだ。祖父の操る船が軽快なエンジン音を立てて、青い空を映した穏やかな海をすべっていく。入り組んだリアス海岸で水平線は見えないけれど、どこまでも続く緑の海岸線と、その間に浮かぶ真珠養殖の筏を眺めていた。船に乗るのは楽しかったし、日に焼けた頑健な祖父は頼もしかった。筏に着いて船が停まると、小さな波が音を立てるのを聞きながら、アコヤガイを引き揚げる祖父の手元を見つめていた。
ずっと胸の中にあった、自分のルーツだ。それが初めて形になるのを感じたのは、2013(平成25)年にミス伊勢志摩に選ばれ、故郷のために何かをしたいと思い始めたときだった。
「1年かけて、養殖真珠のことを勉強しました。なにをするのか、どんなものができるのか。こんなに近くにあったのに、よくわかっていなかったんです」
同じ仕事はできないけれど、なんとか祖父を応援したい。祖父のつくる真珠をもっとたくさんのひとに知ってもらいたい。2018(平成30)年、その思いを込めてパールジュエリーブランド「SEVEN THREE.」を立ち上げた。
注目されているのが「金魚真珠」のシリーズだ。丸い頭に、尾ひれのような突起がひらりと付いている真珠。これまでは規格外とされ“ハネ”られていたものだが、祖父を手伝って真珠の選別をしていた尾崎さんはそのかわいらしさに気が付いた。これって金魚みたいじゃない? 泳いだり、跳ねたり、くねったり。そんな真珠がいくつもあった。ネックレスやピアスにして自社サイトに出すと、あっという間に人気商品になった。
養殖真珠は完璧に丸いかたちを目指してつくられる。しかし何万個ものアコヤガイを育てても、まず半分は死んでしまう。気候や環境による影響のほかに原因となるのが、「核入れ」という作業だ。貝の口を開き、メスを使ってアコヤガイの体を切り、真珠をつくるための核と外套膜を挿入するというまさに外科手術。この核の周りに貝自身が、貝殻の内側の部分と同じ「真珠質」を幾重にもまとわせて出来上がるのが真珠である。
だがどんなに慎重に手順を追っても、生き物である貝にとっては負担になる。それを乗り越えて真珠を抱えても、良品として流通に乗るのは丸いかたちのみ。さらに、真円・無調色の最高ランクとして取り引きされるのは2割ほどに過ぎないという。
こんなに手塩に掛けたのに、こんなにすごいかたちを貝がつくってくれたのに。それなら私が買おう。優良品は、ほかに買ってくれるひとがいる。
「でも祖父は『このかたちがいいのか?』と不思議そうに言うんです。そうですよね、ずっと丸い真珠をつくるためにがんばってきたんですから」と笑う。
中北さんは今年で88歳。この道72年、いまも現役だ。この歳で養殖作業のすべてをこなしているひとは志摩ではほかにいない。手元には、肌身離さず着けているという大粒のパール・ブレスレットが光る。最近は男性もアクセサリーとして真珠を着けるのが流行しているが、
「そんなお洒落なもんじゃないよ。肩こりが治るかと思ってね、つくったのは10年前くらいかな。でもこんな大粒は、近頃ではなかなかできなくなってしまった」
生き物が相手、そして国際市場が舞台の事業は一筋縄ではいかない。中北さんの道のりは苦労の連続だったという。
スタートは上々だった。1952(昭和27)年、中学卒業と同時に兄の養殖場を手伝い始めた頃、真珠養殖は日本の独壇場だったのだ。真珠は世界を席巻して外貨を稼ぎ出し、つくればつくるだけ高値で売れた。7年後、独立して一国の主となった。
けれども凋落はすぐにやってきた。つくり過ぎがたたって養殖真珠全体の品質が落ち、またファッションの流行も変わったことでぱたりと売れなくなったのだ。中北さんは船に釣り客を乗せ、また水道工事の資格を取って副業で必死に家族を支えた。養殖場は妻がやりくりしてくれた。やがて高度経済成長期、バブル期を迎えて今度は国内市場での需要が一気に高まる。ほっとひと息ついた頃、バブルがはじけてそれも終わった。
海の環境も変化し、いまでは昔ほど思うような真珠がつくれなくなっている。2019(令和元)年以降、アコヤガイの稚貝が大量に死ぬ被害*1も続いた。同じ地区に130人ほどいた同業者はばたばたと辞めていき、もう30人ほどになった。
「おれはどうしてやめなかったのかって? やめたら何も残らんと思ってな。それでなんとか続けてきた。いままでようやってきた」
午後、作業小屋や船のある入り江に続く坂道を、ランドセルを背負ったひ孫たちが元気に駆け下りてくる。養殖場を手伝う尾崎さんたち孫が笑顔で出迎える。
冬の寒い日、アコヤガイを引き揚げて真珠を取り出す*2のは、中北さんの子供、孫、ひ孫も加わる一家総出の作業だ。そして同じ顔ぶれで年に一度、そろって旅行に出かける。滋賀、大阪、さあ次は? 大家族で過ごすにぎやかな時間が、中北さんの元気の源だ。
真珠の輝きが、家族の弾ける笑顔をつくってきた。手首に光るブレスレットは中北さんの誇りそのものだ。
文=瀬戸内みなみ
写真=阿部吉泰
──この続きは本誌でお読みになれます。特集第2部では、SEVEN THREE.の金魚真珠ジュエリーのほか、あこや真珠にガラスを組み合わせた清らかな趣のアクセサリーや、“丸くない真珠のプロフェッショナル”が生み出す個性的なバロックパールジュエリーなど、伊勢志摩発のパール製品の魅力をお伝えします。ぜひご一読ください。
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出典:ひととき2024年6月号