メキシコシティの街並みに残る“革命”の痕跡|鹿島茂(フランス文学者)
パリ以外の町にはあまり行かない私が、珍しく2019年に訪れる気になったのがメキシコシティである。現代建築マニアの配偶者がメキシコの代表的建築家ルイス・バラガン*の傑作建築を巡る見学ツアーが組織されているので参加したいと熱望したからである。
調べてみると日本からメキシコシティまではかなり遠い。直行便でも16時間近くかかる。七十近い老体には堪えそうだ。おまけに、メキシコシティといえば治安の悪さで有名だ。
だが、マイレージが貯まっていたので思い切って行くことにした。で、結果はというと、苦労して行った甲斐はあった。
* * *
メキシコシティは素晴らしい都市であった。ジャガランダーの花が咲き乱れる街の中に点在するバラガン建築を巡るツアー参加者は私たち夫婦だけだったので、通訳兼ガイドは独占貸し切り状態。思いのままに名作を見て歩くことができた。とりわけ、バラガンの個人邸とサン・クリストバル厩舎は形容のしようもないほどの感銘を受けた。
しかも、メキシコシティの全体が「これからおおいに発展し、豊かになるぞ」という中進国特有の希望に満ちていたので、旅行者まで幸福な気分になってきた。
だが、それ以上に感銘を受けたのは、建築は「集団の意識」の表れであるとするベンヤミン*のテーゼが正しいと確認できたことである。
その理由はというと、これがメキシコの歴史と深く関係している。
メキシコの売りは「革命の国」である。スペインからの独立以後、何度も革命が起こっている。そして、いったん政権が樹立されると革命の英雄は独裁者になり、統治が何十年と続く。そのあげくに民衆の不満が溜まってまた革命が起きるというパターンを繰り返している。
ところが、建築的観点からすると、このパターンがいいのだ。
つまり、独裁政権が続くあいだ、ひとつの建築様式ができあがる。建築というのは「集団の意識」が最も端的に表れやすいジャンルなので、その建築様式には時代の無意識がはっきりと反映される。独裁者のまわりに集まった新興財閥たちは豪邸を建てるための広い敷地を求めて新しい街区を形成する。メキシコシティには、このように、その時代時代の金満家たちによってつくられた新しい街区が層を成して存在し、時代様式を強く反映した建物が多く建てられているのだ。
パリもこうした傾向が観察されるが、メキシコシティはそれがよりはっきりと表れている。建築史マニアとしてはまさに垂涎の都といわざるをえない。
そのことは、メキシコシティの目抜き通りであるレフォルマ大通りを端から端まで歩いてみるだけで確認できるが、より興味深いのは新市街まで足を伸ばし、現代建築の立ち並ぶ公共建築を見学することだろう。
なかでも絶対的にお勧めが、バスコンセロス図書館。アルベルト・カラチ&フアン・パロマールの設計になる「空中図書館」という異名を取るアヴァンギャルド建築である。私が撮影した写真をツイッターに投稿したら、いつもは「いいね」は最大でも100なのに、バスコンセロス図書館に限って2,000近い「いいね」がついて、リツイートが900にも及んだ。それくらいに驚天動地のとんでもない建築なのである。
メキシコシティにはぜひとももう一度行ってみたい。片道ノンストップ16時間はいかにもつらいが、バラガンとバスコンセロス図書館が見学できるのだから、それくらいの労苦は耐え忍ばなければならない。
メキシコで見るべきところはティオティワカンなどの古代遺跡以外にもまたまだたくさんありそうだ。
文=鹿島茂
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