「変な人」の力
私は子供の頃から、「変な人(おかしな人)」とうんざりするほどたくさん言われてきました。
自分ではなんでそう言われるのか分からなくて、「変だよね」「あなたっておかしな人だね」という人に直接「どういう風に変なのか」と訊いてみたこともあります。
でも、ほとんどの場合は「いや、なんとなく」とか「いや、だって変だから」とか、相手もうまく返答できないような曖昧なニュアンスで発言されることが多いことばのようでした。
多分、相手の基準から少しずれていたり、世間一般の「普通」から少し外れていたりすると「変」ということになるのでしょう。
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私の両親は「普通」を尊ぶ人たちでしたから、私が「変」であることは大問題で、とにかく否定され続けました。
なので、私の価値観も「変なのはダメ」になり、大人になった今もそれを引きずっています。
子供たちの多くは「変」なのをとにかく排除しようとするので、中学、高校生くらいまではとにかくつらい思いをしました。
でも、大学で心理学を専攻し始めてからは、先生も生徒も「変」な人が多く、「変」な人ってたくさんいるんだな、私なんて「変」レベルで言ったら普通以下だわ、と少しずつ自分の許容範囲を拡げることができるようになりました。
この体験が今につながっています。
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人って、「自分より上」な「変な人」を見ると安心するんですよね。
私はHSPでかなり人の気持ちに敏感なので、今でも人からどう思われているかということに関して恐怖を感じるのですが、「自分が変なのではないか」と悩んでいる人に対しては積極的に「ほら、私は変でしょう?だから安心していいんですよ」と言います。
そうすると、相手は「ほんとだ!あなたみたいな変な人、人生で初めてです!!」と大喜びします。
自分とちょっと似ている要素があって「分かる分かる」と共感できるけれど、相手の方が自分より「変」レベルが高い場合は、『同じような人が他にもいるんだから、私だけがおかしいと怒られなくてもいいんだ』と思えてホッとできたり、『私なんて全然普通だった』と安心できたりするんですよね。
私は、どんな人も本当は自分のことを認めて大事にしたいと大なり小なり思っていると考えています。
私みたいに、過去に色んな人からダメだダメだと否定され続けたとしても、自分を肯定したい、受け止めてあげたいという思いは完全に消えることはない気がするからです。
その人それぞれに心の段階というか、階段がありますので、私のこの考えが当てはまらない人がいたとしても、それはそれでオーケー。人生で必要なことと不必要なことはそれぞれ違っていますからね。私には「自分を大事にする」というステップが必要だっただけです。
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「変な人」は、「ちょっと変な人」を受け止めて肯定し、安心させる力を持っています。
「ちょっと変な人」は、「ごくまれに変な人」と共感することができます。
「かなり変な人」は理解されずに苦しむことが多いですが・・・大体の場合はその人独自の解決法を編み出して、みんなの何歩も先を歩いて道を作ります。
「変な人」はつらい思いをすることが多いかもしれないけれど、その分、人の痛みが分かる人間らしさが身につくんだろうなと思います。
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本当は普通の人なんていないんですよね。みんなどこか「変」で、みんなそれを自覚しながら隠していたりします。
だから安心してくださいね。
あなたの「変」なところは、誰かの力になれます。
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