心の栄養も鮮度が命(日記)
ここ最近、仕事でもプライベートでも肉体を酷使していたためか、だいぶ疲れが溜まっている。私の場合、肉体的疲労が一定を超えると眠れなくなる(寝るエネルギーがなくなる)ので、2~3時間で目が覚めるようになると「ああ、ちょっとやばいかも」と考える目安にしている。
私は昔から(肉体的にも精神的にも)エネルギーの備蓄が下手で、実際、食も細い。10~20代の頃は平均体重を超えるくらいまで太ったこともあるけれど、基本的にはストレスが過剰になったり、疲れたりすると体重が落ちる(これは自慢ではなく、コンプレックスでもある。だって、事あるごとに「もっと食べろ」「そんなんじゃダメだ」と言われるから)。
胃が弱く一度にたくさん食べられないので、個人的には少量をちょこちょこ食いが合っているのだが、社会生活を営む上で、休みの日以外なかなかそんな食べ方はできない。
そのため、お腹が空いていても「食べすぎて胃の調子が悪くなるくらいなら(食べない)」と考えてしまい、どうしても食べる量が減る。私は食が細い割にちょこまか動くため、必然的に消費カロリーの方が多くなって、さらに体重が落ちていく。そして、みんなに心配されて餌付け(?)されたりもする。負のループだ。
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精神的なエネルギーも同様で、人に気を遣うたちの私はどんどん心のカロリーを消費する。心の栄養が尽きかけてくると、「考えられない」状態になり始める。
ここ2・3日はそんな感じになってきていて、知らないうちに頬もだいぶこけてしまい、『まずい、いよいよ赤信号だぞ』と思ったので今日は半休を取らせてもらった。
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心の栄養補給をしたい時、私は、その時々で見たい文章や聞きたい音楽、動画などを短時間でもいいから徹底的に吸収する。「その時に欲しい情報・要素」というのがポイントだ。
ただでさえ枯渇しているのだから、自分の心が欲しがっているものを惜しみなく与える。植物が、水をあげると生まれ変わったように元気になるのと一緒で、しばらくすると自分の心が潤ってみずみずしくなってくるのが分かる。
吸収するものは、別に、なんにもプラスにならないようなものだっていい。ゴシップでも、ネガティブなものでも。見聞きしてみて「これは違うな」と思えばやめればいい。頭で考えず、心の感覚器官に直接、鮮度のいい情報のシャワーを浴びせるのだ。
(鮮度というのは、情報の新旧というより、今の自分にとってタイムリーかタイムリーでないか、という意味で。)
ある程度、栄養が補給できてくると、自然とストップするので「もういいや」と思うまで続ける。今日は文章を読んだ。他の人の脳内に入り込んだような気になって、現実世界のことも時間という概念も忘れていた。
忙殺され、肉体を酷使しすぎてインプットしないでいると「自分」が枯渇していくし、かといって頭を使いすぎても肉体がおかしくなったりするので、上手なバランスというのは本当に難しいな、と思う。
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私は「普通そこまでやらないよね」という領域まで足を踏み入れてしまう傾向が多々あるから、常々気をつけてはいるんだけど・・・結構危ないところまでいかないと分からなくて。
以前よりはずっとましになったけれど、なんでなんだろう。癖なのかな。そういう意味ではだいぶ危なっかしいです。でも最近は体を壊す前に気付けるようになったので大丈夫なんですけどね。
根が真面目だから(自分で言うか)、つい「控える」方に力を使ってしまう気がします。なぜか自分を甘やかす方にはいかないというか。エネルギー不足で動けなくなる前に、心の栄養もちょこちょこ食いできればいいのにね。
息抜きにカードリーディングしたかったけれど、上の人に「やめなさい」って言われたのでやめました。笑
その時の自分が求めている鮮度のいい情報は、たった30分でも心を生き返らせるよね。というお話、でした。
サポートありがとうございますʕ•ᴥ•ʔいただいたお気持ちは、カードリーディングで循環させていただきます😊