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「自分自身」との距離感

たまに、ちょっとしたことで心が波打ち、何かをするたびに動揺してしまう日がある。

別に、大それた失敗をしたわけでもなく、相手の語気や表情、目線といった些細な要因が引っかかるというか、『相手が怒っているのではないか』などと疑心暗鬼になる日というか。元々の過敏な自分が顔を出して、自分自身をうまく制御できなくなり、振り回されてしまうのだ。

そういう時、私は心の周りにくるっと雲のようなものを巻き付けて密やかなバリアを張り、いつもより少し入念に自分自身と対話する。もしくは、少しでもいいから自然がある場所に行き、心身の中の不安やモヤモヤを吸い取ってもらう。そのうえで、できれば「動揺しそうな」相手との接触を極力避け、エネルギーの温存を図る。

しかし、そういう時は何故か「動揺しそうな」人との関わりが立て続けに起きる。あの現象はなんなんだろう。でも、その現象は長続きしないことも知っているので、とりあえず帰宅するまで乗り切れれば、あとは自分で自分のリカバーをするだけだ。まぁ、毎回うまくリカバーできるとは限らず、グダグダになることもままあるけれど。

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昔は、自分で自分の機嫌を取るのが苦手だった。なにか落ち込むことがあると、しばらくそれを引きずり、夜眠れなくなったり体調を崩したりしていた。でも、今も引きずる時は引きずるが、以前ほどではなくなった。『自分の取説というか、制御法が分かったのはなんでだったっけ』と考えて、ふと思い当たることがあった。

私は自分自身との適切な距離=深入りしない線引きができるようになったのかな、ということだ。

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ちょっと禅問答のような感じだけれど、「自分自身でいるけどいない」を常にやっているような感じなのだと思う。私は普段生活している時、身体はそこにいるし、体感もあるし、ちゃんと外界と関わる自分もいるのだが、自分の心の大元、むき出しの魂や感受性みたいなものをこの肉体の中に置いていない。

頭のちょっと左上、後ろのあたりに意識があるような感じ。まるで幽体離脱しているようなイメージ。だから、きっと今現実で起きていることに対して、ちょっと他人ごとみたいに感じるというか、少し距離があるのだろう。

あまりこれをやりすぎると解離的になったり、多重人格的になったり、失感情的になってきたりするけれど、意図的に切り離しているわけではなく、本来の私の肉体と精神の距離がそのくらいの距離なのではないかと思う。

多分、人はみな、自分が自分を保てる適切な心身の距離があって、それを善かれ悪しかれ逸脱すると「自分が制御できない」事態に陥るのではないだろうか。

盲目的に自分自身に近づきすぎると、「自分はこうだ」という思い込みや自己評価などしか見えなくなって苦しくなるかもしれない。逆に離人的になりすぎても、生きている実感を失ったり身体を壊したりして、現実世界での生活が立ち行かなくなる。自分に近すぎても離れすぎても、生きづらくなってしまうのではないかと思うのだ。

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私は元々、精神的にも肉体的にも過敏で神経質すぎて色々大変だった。けれど、そんな自分を活かしつつ生きていくには?と考えて試行錯誤した結果、今の「自分を制御しつつ、かつ本来の自分でもいられて、社会生活も(何とか)それなりにこなせる距離感」をいつの間にか見つけ出していたらしい。

私はきっと外向的な人に比べたら、自分や他者との間に「一定の距離感」があった方が元気でのびのびできるんだと思う。人は好きだし交流するのも好きだけれど、誰も入れない自分の世界が必要なので、他の人の存在を肯定しつつ、自分の世界の領域に人を入れない。極論を言えば、自分のことも入れていない。だから、私の心の大元はこの肉体の中にはないのだ。

これは冷たいとか避けているとかそういうことではなく、自己管理の一貫であり、自他に対するマナーのようなものだと思っている。何にも壁を作らず、かつ全ての存在に対して健全な境界線は保つ・・・かなり突拍子もないことを言っている自覚があるが、他に説明のしようがない。

自分自身と距離を取ることが、こんなに楽だなんて思わなかった。離れてみて初めて分かったことだ。

そうしよう、と思ってやったことではなかったが、結果的に生きづらさも減ったし、自分との距離感が分かったら、他者との距離感も何となくわかるようになった気がする。

私も人間なので、いつも穏やかなわけではないし、冒頭に書いたように、被害妄想的な不安感に取り憑かれることももちろんある。しかし、自分自身との適切な距離感が分かっているのといないのとでは、雲泥の差があると感じる。

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では、自分自身と適切な距離感でいるためにはどうしたらいいか。

自分に傾注しすぎないように、自分の中で自分自身との間に線を引くのだ。自分の嫌いな部分や見たくない部分を“切り離す“のではなく「肉体という同じ家で同居している家族・同居人」くらいの距離感で”受け入れる”感じ、と言えばいいだろうか。

切り離したり抑圧したりすると、あとで反撃されたり反動が来たりしてさらにひどいことになるので、I'm OK、You are OKの精神でやると良いと思う。

要するに「自分自身に深入りしない」、ということ。

深入りしないといっても、自分をないがしろにするのではなくて、ちゃんと自分の声にも耳を傾けて対話し、五感で感じたことも大事にし、尊重する。しかし、盲目的にならない。他者の言葉に耳を傾ける余裕や、1つの方向性に固執するのではなくて「第2・第3の選択肢」を考えたり受け入れたりする余白を持とう、という意味だ。

自分を好きになることや大事に扱うことは前提条件だが、自分自身に肩入れしすぎないさじ加減が大事ではないかと思うのだ。他者に対して一定の距離感があった方が関係が円滑に行くように、最も近しい自分自身にこそ「親しき中にも礼儀あり」が必要なんじゃないだろうか。

自分ではいいと思っている部分も、盲信してしまうと偏りが出るので、ちょっと一歩引いているくらいの方が自分自身を扱いやすくなる気がする。

今、自分自身を生きるのがつらい人は、まず自分と距離を取ってみて欲しいな、と思う。例え今できなくても、必要なタイミングでできるようになるものなんだと思う。焦らないことが一番大切。

大丈夫、全てはうまく流れていくから。

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先日、自分と他人との距離感に関する記事を書いたので、今日は自分自身との適切な距離感の話をしてみました。

想像以上に長くなってしまいました。たまにはいいかな😊

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