網膜は愛を求めて手を伸ばす
先日、右眼の具合を診てもらいに隣町の病院に行った。
昨年患った眼の病気の経過観察のためだ。
この病気は比較的高齢者に多いそうだが、現在30代の私は若年例に分類されるらしい。
小さい眼科では症例数が少ないようで、大きい病院を紹介された。
いろいろな検査をしたが、結局原因は分からずじまい。
割合軽症で済んだこともあり、大掛かりな治療はせずに経過観察になった。
「どうですか、その後」
あまり年齢の変わらない主治医が訊いた。
「症状とかはほぼ出なくなりましたけど、見え方は変わらないです」
「まだ眼底出血って残ってるんですか?」
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私が罹った病気は、眼球の奥の網膜につながる静脈が、血栓など何らかの原因で詰まってしまい、行き場をなくした血液や水分が漏れて(眼底出血)、出血した部分の視野が欠けたり視力障害を起こしたりするものだ。
静脈が詰まる部位によって、出血量も、症状の重さも変わる。
私の場合は、静脈の根元が閉塞してしまったため、網膜全体に眼底出血が起きた。
幸い、ものを見るのに一番大事な黄斑という部分の障害が少なかったため、視力はあまり落ちなかったのだが、視野がかなり欠けてしまった。
発症当時は右眼がほとんど見えず、出血したところは「フラッシュの光を見つめた後」みたいにギラギラ光って認識され、合わない眼鏡をかけた時のように気持ち悪くなった。
毎晩夜中に目が覚めて、暗闇を見つめるたび、右眼の前だけ花火が上がっているようだった。
このまま見えなかったらどうしよう、と内心すごく落ち込んだ。
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「いや、もう眼底出血はないよ」
主治医は笑って答えた。
「とっくに消えてる」
そうなんだ。なんとなく、予想はついていた。
「じゃあ、今見えてないところは出血が残ってるわけじゃなくて、もう治らないんですね」
「う~ん、そうだね。ちょっと難しいかなぁ」
「あ~、そうなんですね。どうなんだろって思ってたので、それが分かったから良かったです」
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最初に静脈が閉塞して出血が起きた時の後遺症で、網膜上の毛細血管が消え、網膜が機能しなくなったらしい。
ダメージを受けた網膜は薄くなり、一度そうなってしまうと、網膜の機能はもう戻らない。
現在の医療では、死んだ網膜の機能を回復させる術がないのだ。
なんで見えなくなったのかな。
私の周りの人への見方が間違ってた?
仕事をする時の姿勢に問題があった?
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グリュンワルトの空間図式によれば、右側は未来や外の世界を表すという。
私の経験上、身体の右側に何かが起こるのは、仕事への向き合い方など、自分の外の世界に関することで葛藤がある時が多い。
自分の眼の疾患を調べていた時、以下のような記述があった。
「網膜は血液不足状態になると「血液が欲しい」という信号(VEGFという化学物質)を出します。」
(上記ページより抜粋)
これを見て、私は学生時代に「血液は愛情の象徴なんだよ」とユング派の先生に教わったのを思い出した。
血液(愛情)の行き届かなくなった網膜は、血液を求めて新しく脆い血管(手)をつくる。
網膜は、私というフィルターを通した外界を映し出すフィルムだ。
愛情の欠如したフィルムに映る世界はきっと冷たい。
いや、愛はあったのか。
その愛が的はずれだったからか、目詰まりを起こして破綻してしまったけれど。
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眼底出血を起こした頃の私は、仕事が忙しすぎて、心身ともに疲弊していた。
仕事上で、知らない人の所に頻繁に伺って交流しなければいけない状態で、ただでさえ気を遣うたちの私は、気と一緒に愛情も枯渇していたのかもしれない。
もしくは、「気を遣う」という行為で自分のエゴを満たしていただけか。
私の右眼は、まだ新しい血管は作り出していないようだが、本当は手を伸ばしたかったのだと思う。
人とうまく関われないけれど、理解し合いたかった。
手を伸ばしたかったのは、自分か、あるいは親しい他人か。
両方のような気もする。
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私の右眼は、未だ見えない部分がある。
でも視力は保たれているし、運転もできる。
これ以上愛情が欠如しないように、私から私に手を伸ばそうと思う。
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