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読書日記〜アメジストの詩人〜
一八八六年五月、エミリ・ディキンスンは、「呼び戻されました」("Called Back")とだけ走り書きをしたメモを彼女の親しい従姉妹ノークロスに宛てて送った。その後、エミリは昏睡状態に陥り、この世を去った。
私は、宝石を一つ手に握って
眠りについた
その日は暖かで、風はありきたり。
私は、宝石は大丈夫、と言った。
目覚めると手を叱りつけた
宝石はない。
今、残っているのは
アメジストの記憶だけ。
「ありきたりってことを、私がどんなに嫌っているか、よく知っているでしょ」
エミリ・ディキンスン アメジストの記憶
大西直樹著
詩というものに触れたのは大人になってから。
ボードレールやヘッセや有名な詩人の本を色々読んではみたものの、何だかしっくり来なくて、自分だけの詩人は長らく見つかりませんでした。
ある時、たまたま手にした本にとある詩人の生涯が紹介されていました。
白いドレスに身を包み、成人してからは家の敷地から一歩も出ず、自作を世に出す事もせずに死んだ人。
彼女の名前はエミリ・ディキンスン。
のちにアメリカを代表する詩人になった女性です。
この本は「日本エミリィ・ディキンスン学会」会長を歴任した著者が書いた一冊で、ディキンスンが生きた1800年代アメリカの文化や風習、彼女の身内を通して改めて「ディキンスンという神話」について考察を繰り広げてます。
キリスト教の教えが生活の根底にあり、自らも神学の学校へ通いながらも、一生を「詩」に捧げると決めたディキンスン。
まるで尼僧のような扱いを受ける事もあるけれど、この時代に女性が創作といういわば「自分のエゴ」を選び取るのは、パンクな精神じゃないと出来ないだろう。
死後、残された家族によってディキンスンは「神話の人」になっていきます。
きっと彼女にとっては、どうでも良い事なのでしょう。
だってディキンスンは「100年後の」読者に向けて、詩を書いていたのだから。