人生は所詮...「暇つぶし」
人は「生きる」ということに
とても「敏感」である
生まれたときから
死ぬそのときまで
様々な「理念」に苛まれて
この世を
生きるしかない
「人生は所詮…暇つぶし」
なんて
誰が思うのか
でも
深く
深く
ふかーーーーく
人生を見つめてみると
地球から自分の人生を見下ろしたときに
気づいてしまう
自分が「している行為」は…
本当に「必要」なのだろうか?
そこに
「一喜一憂」し
「喜怒哀楽」し
「切磋琢磨」し
「自問自答」し
日々「正解」を探して.…生きている
人の死を目の前にしたことがある
その「瞬間」は、実はとても
「静か」で「一瞬」であること
その時は、一切悲しくはない
でも
その後に
「ああ…もう二度と会えなくなるんだ」
「ああ…あの時、幸せだったな」
「ああ…もっと痛みを減らしてあげればよかった」
「ああ…一人になってしまった」
そうやって
今…亡くなった人が「居なくなってしまった現実」を
自分勝手に…
「悲しくなってるだけ」なんだということに
気が付いてしまった
人の死を目の前にして…
非常に
自分勝手に
「悲しみ」を味わっているだけなんだ
「そこ」に気が付いてしまった
そんな人生最大的に悲しみに或るときですら…
自分が「正しさ」の中から「外れた」り
誰かに「自分の存在」を「認めてもらいない」からと
いつだって
「自分勝手」に
「感情」にのまれて
悲劇のヒロインになれているのかと思うと
とても「滑稽」である
昔のように
手動で何かをするわけでもなく
全自動で何もかもが
「便利」になりすぎている現代
時間がとにかく余っている
だから
スマホをみて
「時間」を「潰している」
スマホ上で
「人気」とか「有名」とか
まったく知らない人の「いいね」が増えての存在価値
そこに「気が付いちゃえば」こっちの勝よ(価値よ)
その「仲間」がいることに
「安心」を覚えるてる「そこ」に「気が付く」と
余計なことで「気をもまなくなる」
人生は結局
「大したことではない」
ここに気が付いたら
もっと
怖がらずに
色々なことを
一生懸命に
出来る気がする
自分と人のために…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?