見出し画像

CITRUS CURIO CITY 感想

フレデリック「CITRUS CURIO CITY」の話。

街と聞いて、どんな街を思い浮かべるだろう。生まれ育った街、暮らしている街、憧れの街、思い出の街、大嫌いな街、大好きな街。どんな街も、変わらずにそこにあり続けると同時に、刻々と変わり続けている。
フレデリックが作った「CITRUS CURIO CITY」は、どんな街だろうか。わたしはこの、「CITRUS CURIO CITY」という街は、離れられない、忘れられない街になると思った。

アルバムを通して、収録されている1曲1曲が憧れで、全てを大切に抱えていきたいと感じた。全曲を座右の銘にしたい。生きる上での指針になる、そういうアルバムだ。


1曲目「CYAN」は、映画「数分間のエールを」の主題歌。映画館で、エンドロールに流れるこの曲もとても好きだったけれど、アルバムの始まりを飾るのにもぴったりな、開けるような爽快感がある。アルバムで聴くと、既存曲も違った聞こえ方をするのがおもしろい。

続く「煌舟」は、「ユウラ ヤイヤ」「デイセントカ クルージング」のコーラスが印象的な1曲。来年2月のアリーナでシンガロングする風景が浮かび、鳥肌が立つ。きっとこれから、ライブアンセムになっていく、なって欲しい曲だ。このアルバムには、アリーナ映えしそうな曲が多い。「『私しかできない』があなたに刺されば 今を煌めいていけんだ」に、フレデリックの信念を感じ、わたしもそうありたいと強く思う。このアルバムの中で、一番憧れる1曲が「煌舟」だった。最後の歌詞、「重荷にならぬ愛をあなたへ」を受けて、3曲目「Happiness」に続く。

正直に言う。「Happiness」には、「重荷にならぬ愛」では済まされないくらいの、重い愛がこれでもかと詰まっている。でも、この「煌舟」から「Happiness」への歌詞の繋がりにわたしはこのアルバムで一番震えた。フレデリックの考える「重荷にならぬ愛」が「Happiness」という曲なのだと、最高の答え合わせができた。

4曲目の「sayonara bathroom」は、3曲目までとは少し雰囲気が変わり、どこか寂しげで、抱きしめてあげたくなるような1曲。「流したって消えないな」「擦ったって取れないな」という歌詞に、リリリピートの「全部リセットするわけないわ 全部背負ったまま」という歌詞を思い出す。変わらないメッセージを、変わり続けながら伝えてくれる、フレデリックの一貫した姿勢を感じた。

5曲目「ひとときのラズベリー」はとても可愛らしい1曲。ベースのスラップが印象的なイントロに、思わずにやける。わたしは康司さんのスラップが大好きだ。サビの「あなたとわたしの夢の中」の浮遊感が癖になる。

6曲目「ハグレツバメ」は、これもアリーナ映えしそうな1曲だ。健司さんのロングトーンが映える。歌の後ろで鳴っているギターが、かなり歪んでいて、それがこの曲の持つ孤独感を際立たせている。曲後半、三拍子になるところでガッツポーズをした。途中で拍子が変わる曲には無条件で喜んでしまう。

7曲目「PEEK A BOO」、そしてラストを飾る「ペパーミントガム」は、どちらも既存曲でありながら、ここまでの6曲からの流れで聴くと、また違った表情が見えた。「PEEK A BOO」の「もうちょっとこっちおいでよ」は、ここまで6曲たっぷり聴いてきたあとに聴くと、もう逃さないぞ、という執念のようなものを感じて怖さすらある。そしてやはり「PEEK A BOO」という曲は異質だ。「ペパーミントガム」は、「一層輝いた街の明かりよ」と、街というワードが使われていて、歌詞全体が過去を振り返る内容になっている。この曲を最後に置くことで、「CITRUS CURIO CITY」という街は夢か幻だったのではないか?と急に不安になる。それが余韻となって、また1曲目から聴きたくなる。


「ハグレツバメ」に「僕の声は 変わらずに変わり続けていくよ」という一節がある。フレデリックがこれまでずっと見せてきた、変わらずに変わり続ける姿勢を「CITRUS CURIO CITY」という形にできるのは、そしてそれをわたしたちが受け止めることができるのは、メジャーデビューから10年変わらずに変わり続けたフレデリックの歴史があるからだと、強く思う。

改めて考えたい。フレデリックが作った「CITRUS CURIO CITY」は、どんな街だろうか。わたしにとって、あなたにとって、「CITRUS CURIO CITY」はどんな街だろうか。変わらずに変わり続けるであろうこの街を、わたしはずっと見続けたい。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集