182 ギャンブルがいまいち
賭け事をする人を好む人
賭け事が話題になっている。言わずと知れたあの話だ。
まことに残念な話だが、プロスポーツにおいて賭け事=八百長といった発想がある以上、今回の件で大谷さんにもなんからの、あるいはとてつもない悪影響が発生する可能性が出てきてしまった。スポーツ選手とブックメーカー(賭け屋)は、絶対に関わってはいけない。当人は知らなくても、関係した者からなにかしら情報がブックメーカーに漏れている可能性を勘ぐられてしまうだろう。水原氏はむしろ大谷をそうした関係から守るべき立場にあったはずだ。もちろん、スーパースターには清廉潔白なイメージを私たちは求める。それは一種の偶像崇拝だけれど、百も承知でそれを信じるのがファンというものだろう。
以前に、こういう記事を書いている。
この記事で『熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 増補完全版』(井川意高著)を取り上げた。そこに「私たちは負けることを含めて、それを人生として楽しんでしまう。恐ろしさがあるとすれば、犯罪や常習性以上に、この娯楽性があるような気がしてならない。」と書いた。
私は何度も書くけれど、大学時代にタバコ欲しさにパチンコをやり始めたのだが、パチンコで勝ち続ける才能がなくタバコもやめてパチンコもやめた。旅行で妙な空き時間が出来て京都タワー近くのパチンコ店で3000円プラスになったのが最後で、以後、パチンコ店には行ったことがない。些細な勝ち逃げである。その成功体験があってもやらないのだ。そのうち、パチンコの楽しみ方も大きく変わってしまったので、いまはやり方もわからない。
競馬は、知人が電話投票(JRAのちゃんとしたやつ)の会員になっていたので、彼の家へ行ってテレビを見ながら馬券を買ったこともあったけれど、やっぱり興味がわかなかった。競馬は当たったことがない。かつて一時は競馬新聞の入社試験を受けたぐらいなのに、だ。
つまり、私は「つまらないやつ」である。私のような者よりは、ギャンブルにのめり込んで破滅を味わうような人を好む人は多い。人間的である、あるいはもっとシンプルにおもしろいから。人の生き方を娯楽化するわけだ。
話としては理解できるものの、私としては自分でも賭け事をしない上に、賭け事に熱中している人を「おもしろい人」とも思わないから、「つまらない人でかまわないんです」と開き直る。
野球と賭博
野球と賭博については、いろいろな文献がありそうだ。しかし私自身がそのどちらにも、それほどのめり込んでいないから、あまり読んでいない。かろうじて、読んでいるものを思い出す。
オースターの『スクイズ・プレー』はハードボイルド小説だが、けしてつまらない作品ではないものの、オースターがニューヨーク三部作以前に別名義で書いていたという部分抜きではおそらく読むことはなかった。これはアメリカの野球界が舞台になったミステリーだ。人気急上昇中の選手が交通事故で足をケガして選手生命を終える。その男が私立探偵に依頼してくる。そういう話。
もうひとつは、馳星周『夜光虫』。台湾に渡った野球選手が八百長に手を染めて転落し、もがき苦しみながら生き抜こうとする話。とんでもなくダークながらも人間臭いストーリーは迫力満点で一気読みの作品だった。台湾は人気の観光地である。東京だって人気の観光地だ。だが、裏側へ踏み込むととんでもなくダークな世界が拡がっている。そこで生き残ることは至難の業だ。
フィクション、作品としての野球と賭博の関係は、私でも許容できる。ただリアルな話になってしまうと、これはもういただけない。よく言う「ファンへの裏切り」なんてことはさすがに私も思わない(だって、ファンは勝手にファンになっているから)。違法な行為に手を染めることそのものを単純に断罪する気もない。ただ、ガッカリ、残念な話なのである。
この残念さが、今後も何日も、何カ月も、あるいは何年も続くとしたら、これほどの不幸はないだろう。
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