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374 読了『何かが道をやってくる』(レイ・ブラッドベリ著)

モダンホラーとして

 『何かが道をやってくる』(レイ・ブラッドベリ著 大久保康雄訳)を読み終えた。ちなみに本作の舞台は十月である。
 時代が違うけれど、いま読むならこれはモダンホラーとして読めてしまう。「ああ、これはスティーブン・キングが若い頃に書いたんだ」と言えば騙せるかもしれない。
 読み終えて、昔、一度は読んでいる気がしている。ただ、その時、自分はブラッドベリのいい読者ではなかった。SF好きだったといっても、ジュール・ヴェルヌから入ってH・G・ウェルズへ進み、フレドリック・ブラウン、星新一、筒井康隆、小松左京へと進んでいたこともあって、その頃は妙に「サイエンス・フィクション」の「サイエンス」に感化されていたものだから、こうした非現実的なファンタジー要素の入った恐怖譚は、どうも読みこなせなかったようだ。以後、ブラッドベリは「いつか読む」と放置されてしまった気がする。
 その後、「火星年代記」のドラマ版を見てかなりハマったものの、本では読んでいない。
 それが突然、いまこそ読みたいと考えて読み始めた。
 すると、これがのっけからもの凄い。いや、ストーリーとしてスゴイのではない。物語そのものはそれほど複雑ではない。表現がスゴイのである。レトリックをこれでもかと詰め込んでいる。

アザミの冠毛のような淡いブロンドの髪をした少年……
磨きあげたクルミの実のようにつやつやとした色合いの髪が、……

『何かが道をやってくる』(レイ・ブラッドベリ著 大久保康雄訳)

 2人の少年の前に現われた避雷針売り。そこから物語ははじまり、やがてある夜にどこからか機関車でやってきた魔術団。少年たちは見てはいけないものを見てしまい……。
 それにしても、とんでもなく語彙がびっしり詰め込まれているのである。正直、この文体はちょっとやり過ぎ感もあるけれど、すでに名声を得ていたブラッドベリとしてはこの作品については、こうした技巧で勝負することにしたと解釈すればいいだろうか。

父と子、成長

 読みながら、スティーブン・キングのたとえば「呪われた町」であるとかのちの「IT」を思い浮かべてしまう。
 そもそもモダンホラーは、SFとミステリーから生まれて来た世界だと勝手に思っている。古くはシャーロック・ホームズの産みの親、コナン・ドイルも怪奇ものをいくつか書いているし、そもそもポーは探偵小説の産みの親でありながら怪奇幻想系の作品が主体だったはずだ。
 ハード系のSFを完全に諦めた私は、モダンホラーに、いや、キングに夢中になった。ディーン・R・クーンツ、ロバート・R・マキャモンも読んで気に入った作品もあるけれど、キングの圧倒的な量と質の前には霞んでしまう。
 それはともかく、キングもそうだが、作中で登場人物を成長させていくのがうまい。
 この『何かが道をやってくる』(レイ・ブラッドベリ著 大久保康雄訳)は、2人の少年が大人へ向かって歩みはじめているそのわずかな数歩をみごとに描いている。老いることへの恐怖。あるいは自立することへの不安。故郷や家族への思い。
 本書P162あたりからはじまる父と子の会話、とりわけ父親から子への思いを込めた言葉の数々は、もしかすると本書を著者が書きたかった本当の理由なのかもしれないと思わせる。ずいぶん年寄りな感じの父だが五十代なのだけど、少年からすれば老けて見えて心配なのだろう。そこで語られる恐怖や不安、善と悪についての見方は胸を打つ。
 そしてここで語られたことこそが、物語の結末部分で対峙する悪との戦いの中で試されるのだ。このあたりは、キングなら「デッド・ゾーン」に見られるような話であり、さまざまな作品で表現されていることでもある。つまり普遍性がある。
 とてもおもしろかったので、続けて『ウは宇宙船のウ』(レイ・ブラッドベリ著、大西尹明訳)を読み始めた。また10ヵ月ぐらいかかるだろうか。

※以前にこの本に触れたnote。


建物描くのも楽しい。


 

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