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日本の4大財閥とは何なのか?

 財閥について気になったので調べてみた。

 と言うのも、昨日のポートレート撮影に使った、小金井公園内の東京江戸たてもの園に三井八郎右衛門邸があり、壁や襖に絵が描かれ、高価な置物や家具が並び、贅を尽くしていたので、「この財力はどこから来たものなのだろう?」と思ったからだ。

 調べてみると、三井、三菱、住友、安田はいずれも明治維新以降に「金融業」で財を成し、「富豪の家族・同族の封鎖的な所有・支配下に成り立つ多角的事業体」という点がロスチャイルドなどの国際金融資本家と同じだなと感じた。

 戦後にGHQによって解体されたので違うのかなと思ったが、もしかするとこれら財閥は明治維新を契機に日本に入り込んだ国際金融資本家の支配下に入り、日本支配の片棒を担いだのではないかとの仮説を立てた。

三菱財閥


 調べてみたところ、三菱財閥を作った岩崎弥太郎は、以下のようにグラバーと繋がっていた!

「長崎のグラバー邸を少し下ると、それに隣接して香港上海銀行の長崎支店が大通りに面して建っている。今は記念館として。グラバーはこの香港上海銀行の長崎代理店になる。
 こうして長崎にはイギリス資本がたっぷりと流れていたのである。この資金が三菱財閥をつくる資金源になっていく。

 三菱財閥の創始者である土佐の岩崎弥太郎は、同郷の坂本龍馬がつくった海援隊の前身、亀山社中で会計係を務めている。
 ここから岩崎とグラバーのつながりができる。
長崎には三菱重工業の巨大な造船所がある。これももともとはグラバーがつくったものである。

 グラバーは三菱に払い下げたのだ。
 グラバー邸も長崎市の管理になる前は、ながらく三菱の所有であった。グラバーに関する資料が少ないのはこのためである。
 明治維新後、グラバーは東京に居を移し、三菱財閥の重役として仕事をしていく。三菱系のキリンビールもグラバーがつくったものである。」

安田財閥

 次に、安田善次郎について。

「善次郎は明治維新後に政府が発行した太政官札(最初の紙幣)の取引で、一躍財を成したと言われています。
 そして、当時の大蔵省にその実績を買われたことで、1876年には第三国立銀行の設立に携わることになります。」

 第三国立銀行とは、中央銀行のことではなく民間の銀行で、この第三国立銀行はみずほ銀行の源流の一つとのことだ。

 ちなみに第一国立銀行を作ったのが、新一万円札の顔となった渋沢栄一だ。

 江戸時代に生まれた渋沢栄一は、平岡円四郎の推挙によって一橋(徳川)慶喜に仕えることになる。
 1866年に徳川慶喜が将軍になると自身は幕臣となり、フランスやヨーロッパなどの諸外国へ渡航してその先進的な産業や軍備に感銘を受ける。
 帰国後、慶喜から「これからはお前の道を行け」と言われ、フランスで学んだ株式会社制度の実践などのために、1869年に静岡で商法会所を設立。
 その年の10月には、大隈重信からの説得により大蔵省に入省した。

 入省後に彼が行ったことは、度量衝の制定や国立銀行条例の制定など。

 1872年には紙幣寮の頭に就任しましたが、予算編成をめぐって大久保利通や大隈重信と対立、1873年に井上薫と共に退官した。
 退官後すぐに、第一国立銀行の頭どりに就任、それ以降は実業界に身を置くことになる。
 また、その他の多くの地方銀行設立も指導した。
 銀行以外にも、麒麟麦酒やサッポロビール、大日本精糖、帝国ホテルなど数多くの企業の設立に携わり、その数はなんと500以上に及ぶ。

 渋沢栄一はフランスで何をしたのか?フランスと言えばロスチャイルドの本拠地だ。

 調べてみると、やはりロスチャイルドと繋がっていた。

 第一国立銀行は中央銀行ではなかったが、国際金融資本家がアメリカに作った第一合衆国銀行、第二合衆国銀行を連想させるなと思ったところ、やはりそのような狙いを持って、ロスチャイルドが渋沢栄一に作らせたものだったようだ!

「維新政府が成立すると、アメリカで勉強した事のある伊藤博文と井上馨は(イギリスロスチャイルド派)アメリカで見たナショナル銀行を真似するように、渋沢に第一国立銀行を設立させた。

 渋沢栄一がこの第一国立銀行の頭取となった事で、イギリスとフランスのロスチャイルド家の日本支配の統合が成されたのです。

 ロスチャイルド家は日本の銀行制度を悪用してドンドン日本のゴールドを抜き取る事に成功する。

 この第一国立銀行は後に日本銀行になる。」

 渋沢栄一は、ロスチャイルドの手先となって、日本に中央銀行を作ったことになる。

 残りの三井と住友についても見ていく。

三井財閥


 三井について見てみると、

「1871年7月からは「大蔵省推奨新貨幣交換所」を掲げ、三井銀行の設立を大蔵省に提案。しかし、大蔵省の伊藤博文が国立銀行の設立を提案したため、三井の銀行設立は実現しなかった。

 1872年、政府は三井組と小野組を合併させ、それぞれが100万円ずつを出資して「三井小野組合銀行」を設立。この銀行が、のちに設立される国立銀行の第一号店となる。

 そして、アメリカのナショナル・バンク(銀行制度)を参考にした「国立銀行条例」を制定し、1873年6年6月、日本初の商業金融機関として「第一国立銀行」が設立された。

 国立という名称だが実際には三井と小野の出資による銀行で、つまりは民間企業であり、井上馨や渋沢栄一など政府の役職者も関与していたが実質的には三井が指揮をとり運営していた。

 また、第一国立銀行は三井組が所有する日本橋海運橋にある「三井組ハウス」が本店となり、国立銀行条例の制定に尽力した渋沢栄一が国立銀行の初代頭取に任命された。」
(https://rekishi-hack.com/mitsuizaibatsu-2/)

とのことで、三井財閥もロスチャイルドとどっぷりだった。

住友財閥

 住友財閥は、武家出身で、江戸時代の銅精錬業を起源とし、両替商を始めて財を成した。

 ざっと調べたところでは、国際金融資本家との関係は出てこない。



 日本銀行が作られたのは1882年だ。

 日本銀行の株主の半分はロスチャイルドなどの国際金融資本家だと言われているので、

まとめ

 本格的に調べたわけではないが、まとめると、三井・三菱財閥はロスチャイルドの手下として始まり、安田、住友財閥は少なくとも明治時代にロスチャイルドの手下ではなかったようだ。現在がどうなっているかは分からない。


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