
「本を拾う」とはどういうことか?
みなさん、はじめまして。
鈴木宣尚(すずきのりひさ)と申します。
2023年の初秋だったか。
突如、
「本を拾う」
という短いセンテンスが降りてきました。
そのときは漠然と、
「ああ、これから本拾いの旅にでるんだな」
と、ふんわりと思っていました。
当時は、派遣社員としてRPA(ロボティクス・プロセス・オートメーション:業務自動化のITツール)の使い手として、いくつかのプロジェクトに参加していました。
1つのプロジェクトが3か月ぐらいと、わりと短かったため、あっちこっち飛ばされて悪戦苦闘。
こんな毎日を送っていて、めったに楽しいことはなく、
ただただ、黙々とPCと向き合い、
ほかのメンバーとは最小限の会話しかしてなかったですね。
ふと、気が付けば、
レイモンド・カーヴァーの短編「ささやかだけれど、役に立つこと」を
何十回も読み返していました。
誕生日を迎えた息子を不慮の事故で失った夫婦に、
無慈悲にもバースデイケーキを取りに来い、
と何度も電話するパン屋の店主の話。
ラストの店主の独白。
悲しみ疲れた夫婦が温かいパンを口にし、朝を迎える……。
登場人物はお世辞にも「いい人」は登場しません。
悲劇があり、
理不尽があり、
それは不幸なことなのだけれど、
それでも、パンを食べる光景から、
人として「大切ななにか」は極めて自然に入り込んで、
ちょっとだけ気分が良くなっている自分に気づいた、ってことです。
「本を拾う」ことは、
こぼれ落ちた「こころ」を拾うことかもしれない。
拾うことで誰かのお腹が満たされるんなら、やってみよう。
そんな気になったので、
今日から、note、始めます。