#1 そして楽しくない日常へ(辻村深月・傲慢と善良)
結婚を間近に控えた男。「婚約者がストーカーに追われている」「前の彼女が忘れられない」ということを除けば、それなりに幸せなはずだった。そんな男の前から、婚約者が、姿を消した。男は婚約者を探す。すると、男の知らなかった婚約者の「素顔」が見えてくる。
あらすじだけ聞くと恋愛ミステリ小説に思えるかもしれない。ただ、この本を単なる恋愛ミステリ小説とするには、あまりに勿体なすぎる。この感想文では、物語の肝要な部分だけ(ネタバレを避けつつ)振り返って、その上でいかにこの本が素晴らしいか、3点にわけて力説を試みる。
あらすじ
結婚を近くに控えた男、架は40を目前に控えた男だ。親がやっていた会社を継ぎ、友人にも恵まれ、不自由ない生活を送っている。しかし、心はどこか満たされない。なぜなら、架は前の彼女を引きずっているからだ。
しかし、架が「結婚しても良い」という相手が見つかった。真実(まみ)だ。大学と最初の企業までを群馬で過ごし、30目前にして東京に出てきた。婚活アプリで出会った二人は、式場も決め、指輪も決め、まさに新しいスタートを切らんとしている。
だが、一つ架が気がかりな点があった。それは、真実がストーカーに付き纏われているらしい、ということだった。そしてある日、真実は忽然と姿を消してしまった。
架は自らの手で真実を見つけようとする。すると、いままで架が知らなかった真実の生い立ち、そして本当の姿が見えてくる。
物語は二部構成に分かれ、前半は真実を見つけようとする架視点、後半は失踪した真実目線で物語が進む。
二人は再び出会うことになるのか、そして二人はそれぞれどのような未来を選ぶのか、それは読者諸君が読んで確認してほしい。
いいところ
1. 絶妙な設定
この物語は、2つの軸で描かれている。一つは時間、もう一つは場所だ。この設定が本当に素晴らしい。設定されている時間が大きすぎず、小さすぎない。おかげですんなり物語が入ってくる。まず、二人の年齢だ。主人公の架は40目前、ヒロインの真実は30半ばとして描かれている。初婚にしてはすこし歳をとり過ぎているが、最近では別におかしなことではない。
そして、もう一つは場所の対比だ。主人公は東京の人、もう一人の主人公(ヒロイン)は群馬出身だ。素晴らしいのがこの「群馬出身」という設定だ。変に田舎すぎず(e.g. 岩手県の雫石のはずれとか)、やや都会でもない(e.g. 仙台市とか)。この設定がいい。うまい具合の設定が、読者の共感を惹きつけているのではないか。
2. 情報量の制御
情報量が本当によくコントロールされている。多くの小説と同じく、この小説にも主人公を引き立てる何人もの脇役が登場する。しかし、この脇役の情報量がうまく制御されており、主人公に集中して本を読み進めることができる。この塩梅が、たまらない。
3. メインメッセージ
最後に、本を読んで伝わるメインメッセージがいい。ほぼネタバレになりかねないが、二人はそれぞれ元の日常に戻る選択をする(さて、これが二人が出会う前なのか、二人が付き合った後の日常なのかは読んでお確かめください)。失踪して真実の人生が大きく変わるわけでもなく、創作を通して架の人生がガラリと変わるわけでもない。二人に残っているのは、失踪の騒動の処理や元の仕事のある毎日だ。このオチが素晴らしい。
少し話が変わるが、昨今人間関係や環境をリセットするのが本当に容易になった。縁を切りたいと思えば「ブロック」をすれば良いし、嫌な環境からは逃げていい、という風潮が跋扈している。もちろんクソみたいな環境からはとっとと足を洗って、逃げたほうがいい。
ただ、多くの場合は現実に向かい合って、対処しなければいけない。人間関係で不都合が生じたら、話し合って解決をしなければいけない。嫌な環境があったら、ちょっとずつ自分で変える努力をしなければいけない。忘れがちだが、生きる上で「何かと向かい合って相互に変わっていく」というのは必要なことだ。
物語のラストからは、「もし、何かから逃げたとしても、結局元の楽しくない日常に戻る。ただこの日常は少しずつ変えていくことができる。逃げずに向かい合って、できることを変えていこうじゃないか」という恋愛小説にしては少し味気のない(しかし、意義のある)メッセージを感じる。
その他にもこの本はいくつかのメッセージを感じざるを得ない。読者諸君、ぜひ手に取ってこの本を読み切ってほしい。辻村先生のその他の作品を読んだら、この作品と関連付けて感想を書くので楽しみにしていてください。
それではみなさん、良い1日を。