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備忘録. 機動戦士 ガンダムSEED FREEDOM ❷

同じ映画を映画館で自主的に観ようと思ったのは初めてで、なかなかのオタ活感があって感動できる。 

1回観て考えていたことはすでに備忘録に記載済みなのだけれど、小説を待たずにして2回目にて想起していたことをメモっておこうと思う。コズミックイラから帰還した民の独り言である。

2024,02/01 機動戦士 ガンダムSEED FREEDOM

こんな機会は僕にとって珍しいので2週目を踏んで, 考えてたことを書いておきたい.

そもそも, SEEDの作品は思想観の対立であり思考放棄へのアンチテーゼでもある. つまり, 考え方の基盤への回帰なのだけれど「悩む」という行為を妙に毛嫌いする思想が, 優生思想を加速する. でもそもそも「悩んで」はいけないのだろうか?と思いつつ.

キラが「選びたい。」と言っていたのはとても印象的だった. この背景が興味深い. 「優れた力」を持ってして, しかしその力を上回る別の力が現れる時, 「力を持っている」特権が脅かされる. まさにそうした境地に晒された時, 初めて?持たざる側の心情と同じような境遇に立ったのだと思う. そしてそこで, だ. アスラン... 彼の魂の呼び掛けと激励のパンチである. 選ぶということ, それこそが生きることだと言わんばかりの.

これを茶番として捉えるコンテンツ脳もなかなかにいいかもしれないけれど, 人間畑として眺めるとなんて素晴らしい瞬間なのだろうと思うわけ. 自分が救われた方法でしか救えないし, 愛され方でしか愛せなような主観ループで生きてる我々人類にとって, 自分以外の何者か, 特に親密な誰かからの叱咤は愛そのものである. 持つべきは, やっぱ友だよね!ね, アスラン!

測りたがる心性の下, 社会の空気もそうなっているし気づいたら秤に自分が乗っていることも多々あるような毎日のなかで自分の価値を誰かに勝手に決めつけられることへの拒否表明が必要なのだろう. ただそれは,ありのままの自分(思考放棄)でいいといった砂糖塗しの高血糖体質ではなく過度な執着のない健やかな状態.

いやー, 実に味わい深い.


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