Gのレコンギスタ、振り返り。
GWの時間を使って「Gのレコンギスタ」を鑑賞してあれこれ考えていたのを思い出して今書き留めている。見終わった後の一言はもうnoteに書いた。
今日はもっと解像度高い話だ。
富野監督自身がこれは“未来を生きる子どもたちへの種まき”としているのが頭の隅に入れておきたい。
鉄の塊が“かっこよく”駆動する作品としてでしか観ていない人とは一生分かり合えないだろうし「まぁそんなもんだよね。」との諦念感を鑑賞後に覚えるのはガンダムシリーズの後遺症だと20代になってから思うようになった。
そんなことはさておき、人間の未熟性と近接する大人の物語として素晴らしいものだと思うのだけれど“子ども”という人間の状態と向き合っていくあるべく大人の姿勢というのを考えている。
つまり、「他人に石を物理的にも非物理的にも投げない。」を伝えていけるかどうか。人の愛し方を知らない人に人を愛せようか?許すということを見下す一緒にセットで学んだ人間に「許す」と「赦す」の根源的な意味の違いが腑に落ちるには?
内面にある何かが蠢く。この気持ち悪さを感じ続けられるか?この前ドーナツの中にドーナツを入れるようなものだと書いたけれど、ここにも通ずるところがあって欲求を分析、解読、探求できたかがカギだと後進達を見ながらよく現場で考えてる。
畢竟、ガンダム見てプラモ作って飾ることだけが作品鑑賞とセットになったりゲームして機体の戦闘能力しか考えなかったりと想像力が乏しい大人には全くメッセージが伝わらないディストピアに一直線なのが今この現代なんだろう。
一方で、そのニュータイプとやらに近しい特性を持ち得た人々を守り共有しより良い世界へ向かって希望的前進をしていきたいものである。