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大人の特権と社会の接続
世間とのずれを, 埋めようとする努力の滑稽さに辟易してからが個性とやらの歩み初めなんじゃないかなとふと.
多分それは“適切に” 厨二病を通り過ぎているかが鍵なような気もしている. モラトリアムには儀式的な兆候があるものだ. 詰めの一点と言った方がいいのか.
世間全体が, 個性を全開にマジョリティとのズレを埋めようとすること自体が大きな矛盾を孕んでいる. 個々が生き生きとしている状態は, マジョリティからの脱獄ではなり得ないとそろそろ気がついてもいいじゃないですかね, しょうもない広告打ってないで.
世間との興味関心をデザインするのが, 社会に出た大きな人類の役割で尚且つ上機嫌でいることが特権だと極私的には想っている.
どんな状況に於いても上機嫌に世を渡り, 自己と社会という空間との接続を客観的に見ても感じてしまうような状態. 多分その方法の一つが創作活動なのかもしれない. 圧倒的な利己は利他に繋がる. 一即多, 多一即.
アーティストの背中からは学ぶことが多い.