「聞く」と「聞こえる」。"意思を持って聞く"ことは、聴力を放棄しても出来るのかもしれない。
「見る」と「見える」。
大好きな人は ”見る” し、日常の風景は視界に入って ”見える” だけ。
僕たちは、意識しなくても出来てしまう行動が、あまりに多い。
「聞く」と「聞こえる」。
先日見た映画のサブタイトルが、”聞こえるということ”。
「METAL OF SOUND ~聞こえるということ」
音楽に従事する人が聴力を失う絶望は、想像に難くない。
彼がいかに現実を受け入れるのかを描くのだけれど、そこは主題ではないのかもしれないと僕は感じました。
当たり前に音にあふれていた世界は、もう どうしても取り戻すことができず、
過去の自分と同じになろうとすると、金銭的にも無理をしなくてはいけない。
人工内耳を通した音世界は、あまりにもメタリックで不自然な世界で、
それでも、自分を取り戻し、自身を保つためには必要なことだと疑わない。
限界まで努力し、犠牲を払い、だからこそ、彼は現実を受け入れることが出来たのかもしれない。
彼が手に入れたのは、意思をもって生きるということ。
主体性を持って聞くことは、聴力を放棄しても出来るし、
ただ音が聞こえるだけということは、まるで味わうことのない食事のよう。
なんだかハードなジャケに、惑わされてはいけません。
これを表現しきっているという点で、僕はとても良い作品だと思います。
聞く、見る、食べる、動く、働く、生きる、...
動詞は全て、意思を持ってしていきたいと思うのでした。