ありあまる掃除道具に囲まれた汚部屋に見る「暮らしにくさの原因」
先日お伺いしたとあるお宅の話で考えさせられたので今日はそのお話。
家の中に山ほどある掃除道具を尻目に、部屋の奥まで突き進みました。
そこには大きなダンボール2箱分の「使い古しの汚れた衣類」が入っていました。
さすがにこれはもう着れそうにもないので「処分をご検討なさってはどうですか?」とご提案したのですが、返ってきた言葉は、
「これは 雑巾にする予定なので取っておいて欲しい」
とのこと。
その方がそんなにまめに拭き掃除をする方かといえば…どうでしょう(苦笑)
お片付けの現場ではあるあるなのですが、
この大量の掃除道具、中でも「雑巾にする予定(だから捨てられない)洋服」というのはよく見かけますね〜。
ですが、それが片付かないせいで場所を取り、掃除ができないという矛盾。
また、やってみた人はお分かりかと思うのですが、古着をちょん切ったあの布って、意外と掃除しにくくないですか…?
でもご本人は、「古着は捨ててはもったいない」「掃除に使わねばならない」と思っていらっしゃるようで、頑なに考えを変えようとはなさいません。
こちらの記事にも紹介されていたのでウンウンと頷きながら読んでしまいました。
「もったいない」「ものを大事にしたい」という気持ちを大切にしているようで一見よさそうにも思えるのですが、
片付かない原因を「自ら生み出している」ことに気づいていない、という可能性もあるのです。
似たような話に「怒りっぽい人は自分で怒る原因を作り出している」というのがあります。
いつだったか、アンガーマネジメントについてのニュースを見ていた時のこと。
アンガーマネジメントの講師はまず最初に受講者全員に「最近一番腹が立ったこと」をメモしてもらう そうです。
その紙を座席に置いて、全員で席をシャッフル。
受講者は誰かの最も腹の立った出来事を読み上げるのですが、みんな一様に「これのどこに腹が立つのかわからない」というそうです。
どういうことかというと。
腹が立っている人の多くは「自分のルールに従わない人に対して腹を立てている」だけ。
なので、そのルールが適用されない赤の他人は「なんでこんなことで怒るのかわからない」となる。
厳しい言い方をすると、「自分でわざわざきつめのルールを設定して自分を苦しめて遊んでいるだけ」という、ドМの所業をしてるわけですね(笑)
他人の家の掃除や片付けをしていると、その「ルール」が透けて見えることがあります。
もちろん、快適に過ごすために家族が守らねばならない最低限のルールというのは必要かもしれませんが、片付けの現場では、「こうあるべき」「こうでなければならない」という自縄自縛の苦しいルールを設定していないかどうか、自分で見直してみると、ずいぶん 暮らしがしやすくなるかもしれないですよ~。