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「朝活で人生に革命を起こす」

はじめまして。高橋拓哉(たかはしたくや)と申します。
SNSなどで、すでに自分のことを知っていただいている方は、「ていぽん」や「朝活王」というネーミングで覚えてくださっている方も多いかも知れません。

今回、人生をかけた挑戦をするにあたり、noteを始めることにしました。
自分のこれまでの生き方、そしてこの挑戦への想いをすべて、ここにぶつけます。


プロフィール

・高橋拓哉(たかはしたくや)
・生年月日:1990年10月17日生まれ(34歳)
・兄弟なし
・出身地:東京都あきる野市(イノシシや猿、たまにカモシカも出没する自然豊かな東京の田舎です)
・卒業大学:順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツマネジメント学科
・キャリア:
1社目:広告営業(5ヶ月)
2社目:公務員(市役所:7年間)
3社目:両面型転職エージェント(現在:3年間)、個人事業主(キャリアコーチ、ライフコーチ、オンラインパーソナルトレーナー)
・趣味:筋トレ(24時間ジムにいようと思えばいれる)、リトリート(非日常空間で非日常の体験をするのが好きです)
・特技:目覚ましなしで4時起き、好きなことにとことん向き合える(ポケモン28時間・モンハン47時間ぶっ通しでやっちゃう、声優のライブなどのイベントに年間50以上参加していた元イベンター etc.)
・現在:東京都福生市、妻と1歳の娘との3人暮らし


幼少期から20代までの私の生き方

人に伝えたり、目立つのが好きだった幼少期

父方の祖父・祖母も母方の祖父・祖母も兄弟が多く、本家だったこともあり、正月には40人以上はうちの家に来てみんなで箱根駅伝を見たり、いつも家に誰かしら親戚がいるような感じでした。
そのため、兄弟はいませんでしたが、人見知りになることもなく、両親含め、みんなから可愛がってもらってました。

自分がやったこと・学んだことを伝えて知ってもらえるのが嬉しい

常にこんなことを感じていた自分は、サッカーや水泳、ピアノ、英会話、習字など色々な習い事を経験させてもらいましたが、親から強制されることは一切なく、自分がやりたいと思ったことを両親に伝えて、習わせてもらっていました。

また、人前で何かをやったり、目立ったりすることも好きでした。
小学校の校歌がポップで明るく、とても好きだった私は、勝手に振りを付けてみんなに見せてしまう。それにとどまらず、仲の良い4人を誘って「校歌ーズ」というユニットを組み、水曜日の全校集会の場で披露したこともありました。
その他にも学芸会で2年連続主役をやったり、とにかく目立つことが好きでした。

ただ、小学校6年生の時のたった一度のトラウマが、自分の人生を変えました。

他人軸で生きると決めた瞬間

私は、幼稚園の時からサッカークラブに所属してサッカーをやっていました。だから小学校の時は、基本家にいることが少なく、いつもサッカーをしていたり、サッカー友達と遊んでいました。
小学6年生のある日、この日もいつも通り、サッカーの友人2人と市内の少し離れた体育館でバドミントンをしにいきました。

その帰り。

30分に一本しかない単線の駅の改札を入って、ホームに進もうとした瞬間、ぬちゃっとした感触とともに視界が突然空の方に。

大きな「うんこ」を踏んで、さらに滑って背中から転んでいました。
体はうんこまみれ。

「うわ、気持ちわる、、」
「近づいてくるんじゃねえよ、くせえから!!」

これまで、仲が良かったと思っていた友人二人からいきなり、人が変わったような言葉遣い、態度をされてしまった。
そして、その後も助けてもらうなんてことは一切なく、私は泣きながら駅員さんにお願いして、事務室で服を洗ってもらい拭き取ってもらうことに。

この時、実はすでに友人2人に対して恐怖心を抱いていたのですが、そう見せないようにいつもの表情を作って戻りました。

それから数分後、帰りの電車がやってきました。

友人二人と一緒に乗ろうとした瞬間、「入ってくんな、気持ち悪いから!!」と怒号のような言葉をかけられ、気づいたら私は突き飛ばされ、自分だけその電車に乗させてもらえませんでした。

おもしろおかしく自分のことを見て笑っている2人を見ながら、自分はただ立ち尽くし、そこからずっと泣きじゃくっていました。

翌日。

強張りながらも勇気を持って学校に行ってみると、さっそく「うんこマン」と自分に向け言いながら笑う男子。
そしてまさかの女子からもコソコソ自分を見ながら陰口を言われている状況。

完全にこの話が広まっていました。

小学校はそんなに大きな学校でもなく、自分もそれでは良い意味で目立っていた存在だったので、噂は瞬く間に広まっていました。
普通を装い、話しかけようとするも、反応はなく、避けられるように自分から去っていく。

それは数週間経っても周りからの反応が変わることはありませんでした。

たった1日で大きく人生が変わってしまった。

「人に話しかけることに対する恐怖」「周りの目を気にする」感覚が急激に芽生えました。

そして、この日以来、私は「他人の目を気にして生きる」人生を選択して生きていく決断をしました。

他人軸で生きると決めてからの自分の人生

サッカーは、幼稚園から中学まで同じ系列のクラブチームでやっていましたが、この出来事以来、サッカーをはじめ、何をしても急に成果が出なくなり ました。

今までのような思い切ったプレーはできなくなり、足を引っ張ってばかり。

気づいたら、レギュラーからベンチメンバーになり、中学生になってからはメンバーにも選ばれず、ずっと悶々としながらサッカーを続けてました。
正直、中学の時は惰性でやってしまっていました。

「ここで辞めたら、自分にもっと逃げるだけになる。」
「両親にも心配させたくない。」

その一心で続けていた感覚です。
学校生活も、中学は小学校の時から一変し、静かに目立たないように一部の仲の良い友人とだけつるむようなそんな3年間でした。

高校の時も、1年生のときは完全に孤立化し、人から話しかけられることもなければ、当然自分から話しかけられる勇気もなく、授業中に先生から刺されない限り、言葉を発しないようにしていました。
ずっと下を見ながら、クラスの唯一の友達は机。

正直、この時は「人生を早く終えたい」。
そんな気持ちを抱えたまま日々を過ごしていました。

大学・就活も成果が出せず

大学では、スポーツやウェルネス領域をもっと深く学びたい、また、アスレチックトレーナーになりたいという思があったため、医療やスポーツ領域に秀でた順天堂大学を早い段階から志望し入学しました。

部活は、1年次はフットサル部に入るも、夏に怪我した半月板の手術で思うように活動できず、結果的に1年で辞め、2年目からはスカッシュ部に入りました。

順天堂大学スカッシュ部はいわゆる名門校といわれるような全国優勝当たり前のようなところで、周りの環境やスカッシュの面白さに魅了され、気づけば「週7」で授業→スカッシュ・トレーニング→バイト(ラウンドワンのボウリング部門)というスカッシュ漬けの生活をしていました。

ですが、結論から伝えると、自分自身は思うような成果が出せない3年間となりました。練習では思い切ったプレーができても、いざ試合になると守りに入りまくり、自分からゲームを作れず負ける。このパターンを変えることができませんでした。
そして、自分に自信が持てず、自分にとって大事な試合になればなるほど、周りの目が気になり、この状況を作り、自分らしいプレーができませんでした。

大学3年生の時は団体戦メンバーを決める番手線でも負け、メンバーに入れず、4年生の時の全国をかけた個人の大会も結果を残せず終わりました。
(ちなみに、団体戦は私の代は全国準優勝という成績でした。)

3年生の後半から始めた就活はメディア系をメインに受け、そのための塾みたいなものにも通いましたが、某キー局で最終に行くも、理事5人の前に「周りの目を気にする」自分がもろに出てしまい、出しきれず結果は「お見送り」。就活は失敗に終わりました。

その後、ゼミの顧問の繋がりで、インバウンドを取り扱う広告プロモーションの会社でなんとか拾っていただき、入社することにしました。

新卒は5ヶ月の短期離職

入社してからは、週単位で決められたノルマを達成するために延々と営業する日々。自分がこの時、働いていた理由は「両親に心配かけたくない」、「自分の生活を守るため」の2つのみ。その他の想いは何もありませんでした。

飛び込み営業から1日50件以上の営業電話。始発の電車で出社し、終電近くの電車で帰るのが常態化しており、新人にとっては高い目標数値設定のため、土日の休みもほとんどない状況。
あえて心を無くし、淡々と日々のKPIをこなしていました。

そんな中、6月までの最初の3月間で一定の成果を出した社員に与えられる「新人賞」キャンペーンがあり、インセンティブも新人にしては多少出ることから、ここを目標に、とにかくがむしゃらに営業しまくりました。

結果、新人賞を獲得することができました。
もしかしたら、これがまともに成果を出した初めての事例かもしれません。

しかし、この時、身体の疲労や精神的ストレスがすでに限界にきており、翌月の営業中に突然倒れました。

意識が朦朧とする中、救急車で緊急搬送され、着いた病院では点滴を無数に打たれながら天井を見上げるだけの状態。

こんなに何もせずぼーっとしているのが久しぶりだったので、辛いはずなのに、なぜか安堵感さえ感じてしまっていました。

そして、その時、「このままだと死ぬな」と咄嗟に感じ、5ヶ月で退職する決断をしました。

この時、理由もなく、3年はとりあえず続けなきゃというイメージに縛られてた自分は、5ヶ月で辞める事実に対して、「両親に迷惑かける」、「周りにどう思われるんだろう」と頭の中で延々とこの言葉を繰り返してました。

退職後。
次の働く場所を考える中、親族が公務員が多い家系、かつ「両親を安心させたい」という想いが先行し、市役所の職員を目指すことにしました。

待っていたのは上司からのパワハラ

新人賞のインセンティブ分で1年間予備校に通い、毎日12時間以上勉強の末、特別区や政令指定都市など複数の内定を頂き、最終的に地元に近い市役所に決めました。

入庁後、最初に配属された部署は「スポーツ推進課」。
そこは、自分の経験が最も活かせる場所で、かつ最も入りたかった部署でした。
しかし待っていたのは、直属の先輩からのパワハラでした。
その先輩は以前にも別の職員にも同じことをしており、所属部署ごとでターゲットを変えていることで有名な人でした。

まさに自分はそのターゲットになった形でした。

毎日、自己否定する発言をされたり、「はいは?」との先輩からの問いかけに「はい!」と大きな声で返事すると「はいじゃねえよ!」と感情に身を任せるような発言をされたり、とにかく自分が生きてはいけないと日々思わされるような、生きるのがどんどん辛くなるような、そんな先輩でした。

結果、自分は鬱状態に陥りました。

診断は受けたくないという自分の思いから、庁内の産業カウンセラーに相談したり、紹介された心療内科で1年間、ひそかにカウンセリングを受け続けました。また、他の先輩や同僚からの支えもあり、休職せず、なんとか1年間働き続けることができました。

そして、翌年3月、その先輩が、奇跡的に出向という形で福島県に派遣となり、自分の精神状態は取り戻すことができました。

自分の能力が開花した瞬間

2年目からは、市が代表するマラソン大会の主担当になり、繁忙期は200時間以上の残業をすることもありましたが、1社目の時のような苦な感覚はなく、3大会無事に大会を運営することができました。

この時、自分の中である気づきもありました。
公務員は通常、慎重さが求められる仕事が多く、公文書1枚を作るのにも、部署の他の職員に文言を確認してもらった後に、上司や文書法制課の決裁など、とにかく工数がかかります。スピード感よりも誤りがない状態(プラスよりもいかにマイナスを作らない)を常に求められるのが市役所の大半の仕事です。

そんな中、マラソン大会当日は、上司に確認する間もなく、即断即ディレクションが常に求められる状況。2000人以上のボランティアや、それを率いる各部門のリーダーへ総指揮する上で、ボランティアには部長職の方やお偉い方もいる中、私自身、全く臆することもなく、終始冷静にディレクションし、大きな問題なく3大会を終えることができました。

正直、事務仕事においては、自分は決して優秀とは言えない職員でした。
誤字・脱字を頻繁にしてまったり、会議の席順を間違えたり、細かいところに目が行き届かず、その度に上司から怒られていました。

そんな自分を知っている上司陣からしてみると、大会当日の自分は別人のように見えたようで、信頼できる存在だったと言ってもらえました。

「もしかしたら、自分は公務員のような業務でなくて、即行動が求められたり、自分の知っている情報を人に伝えるような仕事の方が向いているのかもしれない。」

これが、自分が転職を意識し始めたきっかけでした。

他人軸から自分軸に変えるきっかけとなった2つの出来事

365日クルーズ生活を送る夫婦との会話

2019年、今の妻と結婚し、ハネムーンでは8泊10日の地中海クルーズに行きました。

その体験自体が自分の人生にとって大きな刺激となったのは間違いないのですが、ある朝食の日に、添乗員さんを介して少しだけお話しした外国人夫婦との会話が自分の人生にとって大きな出来事となりました。

その60代くらいの夫婦は、365日クルーズで生活しているとのことでした。そして、その夫婦は若い時から色々なチャレンジをしていました。
20代早々で会社員を辞め、世界で名だたる山を全て登頂したり、色々な事業を起こし、何度も失敗を繰り返しながらも成長させ、今に至るとのこと。

まさに、「自分達が生きたい人生を生きる」を体現している夫婦でした。
そんな夫婦に自分のことや悩みを少しお話ししたところ、

「なぜ、君はやりたいことをやらないんだ?自分の人生じゃないか。」

と、海外の方らしくどストレートに突き刺さる言葉を言われてしまいました。でも、その時の自分は苦笑いをすることしかできず、帰国の途に着きました。

友人の自殺

クルーズ旅行から帰国から2週間後。
久しく会っていなかった歳の差離れた友人から突然の連絡がありました。

「ていぽんさん。唐突のご連絡すみません。あ、お久しぶりです。お元気ですか?あの、落ち着いて聞いて欲しいんですが、〇〇が一昨日亡くなりました。」

「え???」

電話がかかってきた友人も亡くなった友人も、イベントにハマっていた当時に出会った仲間で、とても親しくしていました。

その友人は、24歳という若さでこの世を突然去りました。
彼は、ベンチャー企業のSEとして働いてましたが、激務の中、上司からのパワハラを受け続け、2年目の5月、いつも通り、会社に行く仕草を家族に見せた後、そのまま自宅のマンションから飛び降りて亡くなったとのことでした。

二日後、私は友人の通夜に参列しました。

彼は、誰からも愛されるような人柄で、特に妹2人からは溺愛されるようなお兄ちゃんでした。その彼の通夜。
多くの参列者がおり、泣きじゃくる人も多くいました。
そんな中、自分の番。
彼の遺影の前に立った時、私の耳に、この世にいないはずの彼の声が、メッセージが聞こえてくる不思議な体験をしました。

「俺みたいにならないでください」
「人生一度きりなんですよ」
「本当はどうしたいんですか?」

その時、全身が脱力に包まれた感覚は今も覚えています。
そして、この時に自分は、人生にとって大きな決断をしました。

「自分の本音、自分の生きたい人生で生きよう」


朝活で人生を変えた経験

この出来事がきっかけで始めたのが「朝活」です。
実はクルーズ以来、妻と将来の叶えたい夢ができていました。

それは「クルーズで365日生活する」こと。
そして、そのためには自分自身「英語」を勉強する必要があると感じていました。

あの時は、添乗員さんが通訳としてサポートしてくれていたので、そこまで苦労しませんでしたが、やっぱり自分でも話せたら、もっと活動の幅が広がるよなあと航海中ずっと感じていたことでした。

そして、手っ取り早く英語力をつけるためには、英語が日常的に使われる場で働く必要があると思った自分は、「転職」、そして「そのための英語力をつける」の2つを目標設定しました。

その英語力をつけるために始めたのが「朝活」でした。

でも、少しずつ習慣を変えようしたら、おそらくすぐ前の自分に戻ってしまう。極端にライフスタイルを変える必要がある、と感じていた自分は、4時に起きて、仕事まで勉強しようと決意しました。
とはいえ、4時に起きて何をやるか明確になってなかったら、起きてもダラダラしてしまうか、そもそも起きなくても良いやとなりそうだったので、そのために、下記のことを実践しました。


❶目標を明確にする
❷その目標をいつに達成するのか設定
❸仕事までにやることを分刻みで決めて実行


❶目標を明確にする
→英語が社内の公用語となっていて、人の人生の一歩を支援するような仕事に転職する=「TOEIC800」が必要

❷その目標をいつに達成するのか設定
→①2021年12月「TOEIC800」②2022年4月「転職」

❸仕事までにやることを分刻みで決めて実行

〜TOEIC試験勉強期間中の実際の平日ルーティン〜
4:00 起床→コールドシャワー→着替え
4:30 英会話予習
5:00 英会話
5:30 復習
6:00 朝ご飯
6:45 単語帳(例:金フレ)
7:15  英文法(例:出る1000)
8:00 出勤 

英会話は週3で入れていたので、それ以外の日は24時間ジムに通って40分ほど筋トレしていました。

最初は目覚ましを5分前にセットして、寝たい欲望と戦いながらなんとか起き続けてましたが、直近のTOEICの試験を先に申し込んでいたので、危機感を常に感じていたことから、途中からは目覚ましが鳴る前に起きるようになり、気づけば目覚ましをかけ忘れても自然と起きれるようになってました。

また、2021年はじめからはコーチングを受け始めたり、朝活コミュニティに入り、より目標にコミットする状況を自ら作っていました。

もうこの時の自分は、自分の世界に夢中になっている、「自分軸」で生きている実感を得られていました。

朝活を通じて獲得した成果

こうして朝活に毎日本気で取り組んだ結果、以下の成果を現在までに獲得することができました。

・TOEIC 2021年1月Score385 → 同年12月Score835

・英語が公用語のグローバル人材紹介に強みの持つ大手人材紹介企業グループの人材コンサルタント(両面型転職エージェント)から内定→転職(2022年2月)
・2級ファイナンシャル・プランニング技能士取得(期間4ヶ月)
・NSCA-CPT(National Strength & Conditioning Association Certified Personal Trainer)取得
・フィジーク:FWJ 名古屋大会ノービス4位、レモンクラシック東京ノービス8位、体脂肪率2.8%
→花粉症の症状が出なくなった、めったに体調を崩さなくなった
・睡眠コンサルタント取得
・睡眠健康指導士(初級)取得  ※上級:2025年5月受講
・読書年間100冊以上 など


サービスを立ち上げる決断

自分軸に生きると決断して以降も色々なことがありました。

・公務員から転職する際、妻が突然いなくなり、離婚の危機に陥ったこと
・人材紹介業では月間MVP獲得
・プロのキャリアコーチ・ライフコーチとしてこれまで合計100名以上の方に自分の人生をかけて人生を変える支援をさせていただいていること など

家族のことは、ここに書ききれないほど色々なことがありましたが、2023年8月には最愛の娘も生まれ、パパとしても日々成長させてもらっています。

嬉しいことや幸せなことを多く得られた一方で、その分辛いと感じた経験も他人軸だった時よりも増しました。

でも、それも全部ひっくるめ、心の底から後悔なく生きる選択を常に自分自身で行えていると感じられているからこそ、とても幸せなんです。

先日、「今、人生をやり直せるとしたら、いつに戻れますか?」と質問された際、「え、戻りたくないです。」と即答したくらいに幸せです。

自分自身にとって「朝活」とは、「他人軸から自分軸に生きる決断してからの生き様」そのものであり、人生に革命を起こした存在です。

自分にしかできないことで、自分の生涯をかけて価値を届け尽くす。

そのために、今回、サービスを立ち上げることにしました。


朝活習慣化を通して、他人軸の生き方から自分らしく生きる
「朝活で自己実現」するサポート
「朝活で人生に革命を起こす」サービス


コミュニティでは朝活を本気で習慣化し、成果にコミットするのが難しい理由


朝活を習慣化することが難しい理由。

それは、起床直後は人間の本能である「変わりたくない」が一番機能する時間であり、また、前提に人間の三大欲求である「睡眠」を満たす必要があるから。

すでに朝活を試みたことがある人ならわかるはずです。
最初の数日は頑張ろうと思って起きて、自分のやりたいことが夜にやるより集中もできて最高だなって感じる。
SNSでルーティン投稿なんかもして「自分やれるじゃん」って思う。
でも、夜の会合がある日は寝るのが遅くなった日は、「睡眠が大事だし今日くらいはいいや」ってなって。
「周りも遅くまで頑張っているし今日くらいはいいやって。」
気づいた時には、元の生活に戻ってしまっている自分がいる。

別に「じゃあ会合や飲み会は一切いかないようにしよう」とかを言いたいわけではないんです。1日も例外を作ってはいけないと強制するわけでもないです。
けれど、本気で習慣化されるまでは、それを断つくらいの覚悟と行動をしていなければ、習慣化しかけたくらいだと、ズルズルとまた元に戻っていってしまいます。

つまり、「朝活で本気で人生を変える」前提には、


本気で成し遂げたい目標を明確にする
→そのために朝活習慣化の必要性を認識
→決断
→そのための行動を無意識レベルの習慣化までやり続ける


というプロセスが必要となります。

そしてこの支援は正直、コミュニティでは難しいと私自身感じています。

コミュニティが良くないと言ってるわけでは全くありません。
私自身も朝活コミュニティに参加させてもらい、朝活仲間ができたからこそより朝活でブーストをかけることができました。
朝活のコミュニティは数多くあり、どのコミュニティも素敵なコミュニティばかりだと感じています。

ですが、コミュニティに所属していた身だからこそ、また私自身もコミュニティを立ち上げ運営経験があるからこそ感じることは、ずっとアクティブにそのコミュニティで活動している人は数割程度で、残りの方々はノンアクティブユーザー化傾向になりやすいということ。
最初は色々な企画も用意されているから頑張って参加してたけど、だんだんと参加頻度が落ち、気づいたらたまに見る程度だけになり、朝活もあまりできていない。

コミュニティでもアクティブで居続けられる人は
①明確なGOALとそれに伴う期限を設定し、朝の時間でやることが明確な人
②自制心が強い人
③コミュニケーション好き
のパターンのいずれかに当てはまる可能性が高いです。

①②はコミュニティに入るだけだと中々この状態は作れず、最初から①~③のいずれも持っていない状態で参加すると、朝活で自己実現どころか習慣化もされない=ノンアクティブユーザーになる可能性が高くなります。
※ノンアクティブユーザーでも朝活を習慣化し自己実現までしている方もいますが、そういう人はさらに少数派で、極論コミュニティに入る必要さえもない方々です。


どんな人に届いてほしいか

私のサービスは、マンツーマン体制になり、私がこれまで5年以上朝活を継続してきて、本当に効果的だと感じたメソッドのみを取り入れ、それをプログラム・資料化しています。

聞こえが良くない言い方をすれば、「スパルタ」式サービスだと思ってください。

それくらい徹底的に向き合わないと無意識レベルでの習慣化、そしてその先の自己実現には繋がらないと私自身強く感じているからです。

そして、受けてくださるお客様は本気で人生を変えたくて受けてくださるからこそ、私もここに全力でリソースを投下する必要がある。

そのための覚悟として、このサービスを本格的に始めるにあたり、人材紹介業を5月で退職し、独立することにしました。

だからこそ、下記いずれかに当てはまる人は、自分のサービスを受けてほしいです。受ける価値は必ずあります。


・周りの目を気にして生きてきて、本気でここから人生を変えたい方
・朝活を通して、ボディメイクやキャリアで実現したいことを掴みたい方
・人生の理想状態(目標)が曖昧


モニター募集のご案内

最後にモニターさんの募集案内です。

この2月に「3名」のモニターさんを募集します。
→2月9日時点で4名の方のご支援をさせていただくこととなったため、モニター募集は締め切らせていただいております。

モニター募集の詳細は下記のとおりです。


・3ヶ月のサポート
・下記以外については、本サービスのサポート内容と同じ
→各種サービスに関して随時詳細のフィードバックをいただく、モニターの声をいただく、サポートを受けての変化・実績のシェア


前提、「朝活習慣化を通して自己実現」のための3ヶ月間、私は本気で向き合い続けます。そのため、有償での提供とさせていただきます。
ですが、本サービス価格よりかなり抑えた価格でのご提供とさせていただきます。

サービス内容の詳細やモニター価格等については「1on1(事前カウンセリング)」実施時に説明いたします。
この1on1では「現状と理想の未来の言語化」と本気で向き合う時間にさせていただきますので、ぜひ、少しでも興味ある方は下記いずれかにてご連絡お待ちしております。

・公式LINE(https://page.line.me/323ivxkz)を登録いただき、チャットで連絡いただく
・Xアカウント「https://x.com/Teipon_ProCoach」のDMもしくは、このnoteに関する投稿に返信いただく

自分にしかできないことで、自分の生涯をかけて価値を届け尽くします。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

高橋拓哉


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