【ジャーナリング】誰にも相談できないことを、自分自身に相談する
人に優しい人ほど、本心を曝け出して人に相談できない。
すっごいネガティブな自分がいて、それを人に聞いてほしいけど、話したらどう返せばいいかわからなくなって困らせてしまうだろうな、と気遣ってしまい、相談できない。
なんとか「しんどいです」と言えたとしても、「いや、でもそんな大したことないですよ」と言って重くないふりをしてしまう。本当は大したことあるのに。
人に弱みを見せられない。弱みを見せて、人の反応を気にすることなく自分の言いたいことをガーっと言える方法がわからない。結局一人で悩みを抱えてしまって苦しくなる。
苦しさ、虚しさ、寂しさは一人のもの。ポジティブな気持ちだったら人と分かち合えて、ポジティブがさらに増幅してハッピーになるのに、ネガティブはそうもいかない。ネガティブを人に押し付けるわけにもいかないから、なんとか自分の力で昇華させないといけない。
誰かに、この辛さをわかってほしい。いつも元気そうにしている自分も、そんなことないんだよ、と。人に相談しようとするとやはり気を遣ってしまって、もはや誰と接している時の自分が本当の自分なのかも分からなくなってくる。人に相談したくても、話がまとまってなさすぎて、オチがなくて、言葉も全然出てこなくて、きっと相手を困らせてしまう。相手にアドバイスをしてほしいのではなくて、ただ聞いてくれればいいだけだけど、それが難しい。
自分が苦しくなって助けを求めたくなるほどに、どう「助けて」と言えばいいのか分からず、人に迷惑がかからない「助けて」の言い方を頭の中でぐるぐると考え始めてしまう。話したい言葉も、相手を困らせないようにと自己検閲が止まらなくなり、言葉が喉に詰まって息ができなくなってしまう。
かっこ悪くても、迷惑でも、「苦しいよ、助けて」と、何も考えず声を上げるのもグッジョブだと思う。人には欠けている部分があるから人と繋がりあえる。自分が苦しかった時に誰かに助けてもらった経験は、いつかまた別の誰かが苦しんでいる時に手を差し伸べる力になる。
人に優しくできる人ほど、自分にかける言葉は厳しいものになってしまう。自分はそこまで苦しいわけじゃない、自分は環境に恵まれているんだから、それに感謝して、しっかりしなきゃ、と。
「しっかり生きなきゃ」という思考に長年苦しんできた自分が、ある友達から言われて救われた言葉がある。
幸せを感じられていない、不甲斐ない自分を受容してくれるような言葉だった。苦しいししんどいけど、皆同じ苦しさを抱えているとか、自分は恵まれた環境にいるから客観的に不幸ではないとか、なんとかしてポジティブに変換しようとしていた。今がつらくて、不幸だと思うのなら、その本心を受け止めて、「今辛いんだね」と自分自身に声をかけてあげたい。
人に対する優しさや真面目さが、自分を苦しめることがある。いつも人にかけている言葉と同じくらい、自分にかける言葉も大切にしていきたい。
洗いざらいなんでも相談できる人がいないって話、突き詰めると誰しもそうだと思う。人間関係がある以上、少なからず相手のことを考えてしまうし、相手と自分の関係性の中で自分をキャラ付けしてしまう。これはしょうがないことだと思う。究極的には、人は孤独なんだ。
人との繋がりから一線を引いて、もう一人の自分と相談できるとしたらどうだろう。誰の目も気にせず、人を困らせてしまうのではないかという気持ちも気にすることなく、ただもう一人の自分に悩みを打ち明ける。紙とペンを用意して、思ったことを思った順に、時には言葉にならないことまで紙に吐き出していく。紙を介して、もう一人の自分につらつらと話をしていく。もう一人の自分は、何も言葉を発さない。ただ自分の言葉を聞いてくれる。
他の誰でもない自分が相談相手だから、本心を曝け出せる。誰といる時の自分が本当なんだろう、と考えるまでもなく、今もう一人の自分と会話している自分が本当の自分であることに気づく。
ただ思いついたことを大量に紙に書き出していくことで、「本当の自分」が抱えていた悩みが言葉となって整理されていく。ずっと頭の中で抱えていたものが外に放出され、楽になっていく。紙を3~5枚びっしりと書いたところでふとペンを走らせる手を止めて、ずらずらと書いた文面を読んでいくと、不思議とその文章が、自分とは別の誰かが書いたような気がしてくる。
ここで、「自分」と「もう一人の自分」が入れ替わるのだ。
相談としての形になっていない言葉のカケラたちを、今度はもう一人の自分が受け止める。誰にも言えなかったことが、自分自身に対して、今、打ち明けることができたのだ。
自分の思いを自分自身に打ち明けて、わかってもらう。そうすると、人に話してみてもいいかな、と自然と思えてくる。「悩みは人に相談しなきゃ」と思わずとも、自然と話したいと思った相手に、話したい分だけ話せばいいんだ。
大丈夫。人は弱い部分があるからこそそれを補おうとして繋がり、不完全でないその姿を愛することができる。自分自身に打ち明けられたのなら、きっと大切な人にも打ち明けられる。
ジャーナリングというものをやるようになって、ずっと誰にも話せず、自分自身も受け入れられなかったことを勇気を出して紙に書き出してみた。ずっと背負っていた荷物を、やっと地面に置くことができた気がした。不思議なことに、自分自身が受け入れたら、人にも話すことができた。
誰にも相談できる人がいなくて孤独で苦しんでいたら、まずはもう一人の自分と、紙と言葉を介して相談してみよう。もう一人の自分が、自分の良いとことも悪いところも、全てひっくるめて、受け止めてくれる。