見出し画像

藍色とネイル カランコエ

片隅に 君のギターが置いてある E minor以外も弾けるかな、もう

「私らJ Kなんやから笑」ミニスカートに透明ネイル 君の残像

 

 数日前、バイト終わりにスマホを確認すると、卒業以降殆ど動いていなかった高校のクラスラインから通知があった。LINEを開くと、
 〇〇が、亡くなったそうです。
から始まる一連の言葉が目にうつった。
信じたくなかった。本気で、嘘だと思った。嘘であってくれと思った。けれど、LINEにはその一文に続いて、法事は身内のみで執り行われることや、お悔やみの言葉が続いていた。こんな不謹慎な嘘がある筈がなかった。彼女が、そんな不謹慎な嘘に巻き込まれることを良しとする筈がなかった。信じるしかなかった。

 彼女とは高校3年間、同じクラスだった。軽音学部に所属していた彼女は、リボンの似合う、深窓の令嬢みたいな容姿を、可愛いと褒められるのを嫌った。洋ロックが好きだった。エレキギターを弾くのに憧れていて、何度も挑戦していた。けれど、彼女の手は小さくて、指の可動域も狭かったから上手く弾けなくて、私がそれを指摘するたびにちょっと怒った。化学が得意で、歴史が苦手だった。

 初対面は英語のペアワークだった。2人1組でディスカッションをしろという教師の指示なんて誰も真面目にする気はなくて、みんな教師の目を盗んで日本語で雑談をしていた。私は今まで関わる機会の無かった彼女と何を話せば良いのか分からなかったから、とりあえず音楽の話を振った。入学して2ヶ月は経っていたが、私と彼女はよく一緒にいるメンバーが異なっていたから、お互いのことをよく知らなかった。彼女はいつも軽音楽部の同級生に囲まれて大人しくにこにこしているイメージしかなかった。正直、音楽の話が弾むとは思っていなかった。ただ、英語のディスカッションを2人で真面目にするのは面倒だった。
 彼女は私の目を見て言った。
「ヴェルヴェッツ」
彼女は続けた。
 「知ってる?ヴェルヴェット・アンダーグラウンドっていうロックバンドなんだけど、私このバンド凄く好きで。歌詞も曲もぜんぶカッコよくて。」
 
 知っているも何も、私はヴェルヴェッツのThe Black Angel's Death Songが大好きだった。少し驚いてそれを伝えると、彼女はもっと驚いた。それから、私が1番好きなのはHeroinなんだ、とちょっと恥ずかしそうに教えてくれた。私は洋楽のうちのひとつとしてThe Black Angel's Death Songを聴いていたけれど、彼女はヴェルヴェッツが1番好きなバンドだと言った。レコードを除いたら、殆どのCDは持っていると、はにかみながら言った。

 家に帰ってから、彼女が好きだと言ったヴェルヴェッツのHeroinを聴いた。そういえば歌詞もめちゃくちゃ良くて、って言ってたよなと思い出して、和訳をネットで調べた。結構ぶっ飛んでんな、あの子は、と驚いた。

 それからしばらくして彼女と喋る機会があった時、Heroin聴いたよ、面白かった、と言ったら凄く嬉しそうに彼女は笑った。他にもいっぱい面白い曲あるから!と言った。
 彼女はそれから、勧めてくれたスシボーイズもめっちゃ面白かったよ!と私に言った。LOUDが良かった、今プレイリストに入れてる、と言って彼女は洋ロックだらけのプレイリストにスシボーイズが一曲紛れ込んでいるスマホの画面を見せてくれた。

 それから彼女とは仲良くなったけれど、四六時中一緒にいるような、そんな関係ではなかった。もし入学してすぐに彼女と話をしていれば、体育でも修学旅行でもペアになるような関係になっていたかもしれないけれど、私と彼女がはじめて話したのはクラス内で女子のグループが出来上がったあとの事だった。彼女は同じクラスの軽音学部の子達におっちょこちょいだといじられて恥ずかしそうに笑っていたし、私は弓道部や女子サッカー部の友達と朝練のダルさについて愚痴っていた。彼女と私は、たまに一緒にお昼を食べたり、放課後の教室に残ってちょっと喋ったりするくらいの仲だった。普段あまり一緒に話せないぶん、その時間はとても貴重だった。彼女は軽音楽部のライブで好きな曲を歌えない事に苛立っていたし、私は体育会系特有の面倒くさいノリが苦手だった。私たちはステレオタイプをひどく嫌っていたけれど、そのステレオタイプから本気で逃げる勇気もなかった。結局人のイメージに対応するように行動する方が楽だと、私たちは会話を重ねながらも理解していた。女子の世界は難しい。

 だけど、珍しく暇な日が重なったときには一緒に出掛けた。よく行ったのが古着屋で、その次が植物園だった。彼女の近くは居心地が良かった。いちいち面倒なノリも無かったし、先輩への悪口を言い合う時間も無かった。植物が好きだと言っても、彼女は他の友達の様に意外だと笑わなかった。彼女は多肉植物のカランコエが好きになったと言った。あなたがいないと私はカランコエが可愛い事に気付けなかったよ、と彼女は言った。無言の時間を気まずく感じないって、凄いよね私達、と彼女は言った。その言葉のひとつひとつが、嬉しかった。

 結局彼女は卒業するまでちょっとおっとりした、可愛らしい軽音楽部のボーカルだったし、私も大して結果の出ない弓道部の副部長だった。

 彼女は高校の近くの大学へ進学して、私は実家から遠い大学へ進学した。帰省するたびに彼女と会った。部活とか、女子のグループとか、そういう括りがなくなって、私と彼女が親しくしているのが意外だと言われるような事がなくなったのは単純に気が楽だった。

 私が一人暮らししている地域が田舎で、CDショップもないことを嘆きながら彼女に話したら、彼女はくすくす笑いながら私に新しいCDを見せびらかした。私は彼女の笑顔がすごく好きだった。

 夏休みに帰省した際、2人で出掛けたら彼女は髪にインナーカラーで青をいれようか悩んでいるのだと言った。じゃあ私も青でメッシュ入れるからお揃いにしよう、と2人で美容室へ行った。帰り道に早めの誕生日プレゼントだと言ってネイルを手渡された。
 家に帰って、彼女に貰った澄んだ藍と紫のネイルを眺めながら、遅生まれの彼女にLINE通話で誕生日プレゼントの希望を尋ねた。カランコエが欲しいな、と彼女は言った。じゃあ1から培養して、順化までしたのを冬休みにプレゼントするよ、と返事すると、はしゃいだ声でたのしみ!という言葉が返ってきた。

 それが、彼女と話した最後になった。
 彼女は、事故で、この世界からいなくなってしまった。

 彼女の訃報を何度も読み返した。嘘であってくれと願いながら何度スマホの画面を確認しても、無機質な文字列はそのまま何の変化もなかった。嗚咽がこみあげてきた。しゃくり上げながらアパートまで帰った。この時ほど田舎の人気のない道に感謝したことはなかった。やっとの思いで部屋に帰って、ベッドに突っ伏して泣きじゃくった。

 カーテンを閉め忘れたままお風呂にも入らず、そのまま寝てしまったせいで、翌朝朝陽が部屋に差して目が覚めた。妙に腫れぼったい瞼を持ち上げて、一番最初に目に入ったのが枕の隣に鎮座するぬいぐるみだった。彼女が旅行のお土産で買ってきてくれた、間抜け面したカンガルー。これをくれた彼女はもうこの世界にはいない。
 滲んでくる涙を無視して、大学に行くために食パンを焼いて、化粧をした。鏡にうつる自分の髪の青いメッシュが、ファンデーションを塗るためパフを持つ指に、塗られている藍のネイルが、彼女を思い出させて苦しかった。
 靴を履こうとして、靴箱の隅に飾ってあるカランコエの親株を見てしまったら、もう駄目だった。

 大学には培養しているカランコエがある。全て順調に育っている。コンタミもしていない。なのに、渡す相手はもういない。

 結局その日は大学に行けなかった。玄関に座り込んで、嗚咽を漏らした。

 彼女の痕跡が、私の周りにはありすぎた。彼女は私の生活にあまりにも密接に存在していた。時間が経つほどに、彼女の存在がどれほど私の生活に根付いていたのかが痛感される。ほんの少しの香り、目に映る小さな物、聴く音楽、小説の中の言葉さえ、彼女を思い出させる。

 それでも、日常は続いていく。いつまでも泣き続けているわけにはいかない。生活しなければいけない、と漠然と思った。彼女の存在を感じながら、生きていく。

 彼女が選んだカランコエの順化も、少しずつ進んでいる。私がちゃんと渡すべき相手はもういないけれど、それでも約束は守りたいと思った。

 時が経てば、思い出も少しずつ形を変えていくのだろう。今はまだ、彼女がいなくなったという現実を受け入れきれないままだけれど、それでも日々の生活の中で、彼女の痕跡を大切にしていこうと思う。彼女が好きだった音楽や植物が、私にとって彼女の記憶を繋ぐ鍵である限りは。

 彼女が教えてくれたものや、彼女と一緒に過ごした時間は、私の中で確かに存在している。いつか、この嗚咽も彼女を思い出すための糧に変わっていく日がくるのかもしれない。それまで、私は生きていく。彼女の存在を感じながら、生きていく。

 

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?