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金木犀とピストル モンブラン

また今度 いつか あすにも もういちど しんじていいの? しんじられるの?

君の望む 言葉が上手に並ばない 痛いよ喉が 食い込む爪が

甘過ぎる 深夜の夢が嫌いでした 誰かに今を知らされたくて

目の前で 揺蕩う貴方に憧れた どこにもいけない世界を愛す

手から滑り シンクに流れた生卵 
生きるって本当、難解過ぎて

 今日で19歳になった。友達がLINEでドーナツのギフトを送ってくれたり、マグカップをプレゼントしてくれたりした。落ち着いて誕生日を迎えられるのは6年振りだと思う。
 中学校入学以降は毎年、この時期に中間テストが被った。目の前にタスクがあれば、取り敢えずタスクに対して何らかのアクションをしなければならない気がして、その時期だけは真面目に勉強していた。
 中学生になる頃には家庭が笑えるくらい荒廃していて、誕生日を祝うような精神的余裕はなかった。だから正直、誕生日がテストと被る事には大して不満はなかった。あったとしたら、その期間は夜の散歩に行けないことくらいだったと思う。淡々と数式を理解して、英単語を、過去の事象を暗記した。
 勉強は嫌いじゃない。
 とにかく何かしらに没頭していられたらそれで良かった。部活の弓道も、勉強も、全て同じ線の上にあった。
 だから定期テスト自体は大して苦痛ではなかった。ただ、この時期は近隣の保育園、小学校では運動会シーズンとなる。私は運動会で鳴らされるピストルの破裂音がひどく苦手だった。運の悪いことに、中学の隣には保育園、高校の裏には小学校があった。在学中には何回か、定期テストの日程が近くの小学校や保育園と被ることがあった。
 変に鋭い、耳を刺す音。パーティーの時に鳴らされるクラッカーの音でさえ嫌いなのに、それよりも響くあの音に、集中力を乱されない訳がない。別に繊細とか、神経質とか、そういう特性が顕著にある訳ではないのだけれど、どうしてもあの音だけは嫌だった。
 こういう些細な事でコンディションを崩すのは良いことである筈がないけれど、たまたまテストに運動会が被るとその日のテストは散々になる事が多かった。普段は解くのが苦にならない数学の問題でさえ、ピストルの音が隣から響くたびに気が散って普段の倍の時間をかけて解いていた。
 帰り道、返却されるテストの点数を想像するのも嫌だった。この時期の通学路には甘過ぎる金木犀の香りが充ちている。基本的に私は植物の香りを嫌う事は殆どないのだけれど、この時期に毎回この香りを感じているとテストの嫌な記憶と合わさって苦手になってくる。ピストルの破裂音から2学期の中間テストが嫌になって、そこから金木犀の香りすらも苦手になる。嫌な悪循環が生まれていた。
 高2の誕生日も、中間テストと裏の小学校の運動会が被った。しかもテスト教科が苦手な古文で、テストの結果は採点する前から散々だと分かる出来だった。憂鬱になりながら、学校帰りにカフェに寄った。こういう時くらい、苦手なものがない場所に行きたかった。
 通学路から少し外れた場所にそのカフェはあった。普段行くカフェよりも少し古びた雰囲気だった。そのカフェの周りには金木犀が植えられていなかった。そこに何故か、安心した。甘やかな金木犀の香りはしなくて、入り口の側には銀木犀が植えられていた。銀木犀は金木犀より香りが格段に薄くて、花も派手じゃない。白に近い黄色の花がひっそりと咲いていた。今まで銀木犀に対して特別な感情を抱いたことはなかったのだけれど、この時ばかりは銀木犀の佇まいにひどく惹かれた。カフェのドアを開けるとカウンター席が数席並んでいて、取り敢えずココアとモンブランを頼んだ。
 昼過ぎの中途半端な時間、お店には私とマスターしかいなかった。その静謐な雰囲気が心地良かった。
 組み合わせを全く考えずに頼んだから、すごく甘い取り合わせが目の前に並んだのだけれど、好きなものしかない目の前のテーブルは私にとってすごく幸せな空間だった。
 破裂音は今も嫌いだし、中間テストのなくなった今でも金木犀は好きになれない。嫌な事が重なることもよくあるし、重なり過ぎて好きなものを嫌いになりそうになることもたまにある。それでも、何となくあの時に自分自身の機嫌の取り方というか、悪循環へのけじめの付け方は見つけた気がする。
 今日はおやつに、近くのケーキ屋さんでモンブランを買いに行く。アパートの裏の道を使うと、少し遠回りになるけれど銀木犀の沢山生えている土手を通ってケーキ屋さんに辿り着ける。
 幸せな空間を自分で身近な場所に作り出せるようになりたいと、切に思う。



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