Behind the Scenes of Honda F1 -ピット裏から見る景色- Vol.09
F1イギリスGPの会場であるシルバーストーン・サーキットは、ミルトン・キーンズのHonda F1のファクトリーから車で約30分の距離にあります。そのため、イギリスGPはミルトン・キーンズのスタッフたちにとって、日ごろの努力の成果を直接見ることができるいい機会とも言えます。パワーユニット担当メカニックであるロス・マシューズも、その一人。25年の長きにわたってHondaでキャリアを重ねてきたロスにとって、F1とはなにか、Hondaとはなにかを語ってもらいました。
―F1との出会いと就職活動
F1に興味を持ったのは、1988年のことでした。当時はマクラーレン・ホンダとアイルトン・セナの絶頂期で、18歳の私は「これは面白い!」と感じて、のめりこんでいきました。一方で、当時、Hondaはイギリスのスウィンドンに工場を開設したところでした。私は自動車について詳しいというわけではなかったんですが、レースのおかげで興味はありました。「このHondaという会社は、自分たちがどうなりたいか、ちゃんとわかってそうだな。いい会社かもしれない」という印象があって、その一員になりたいと考えていました。当時、生産ラインのスタッフ募集があったので応募し、合格。スウィンドン工場で仕事を始めることになりました。
当時、F1があると、毎戦レポートが配信されており、それを読みあさっていました。また、Hondaには「フィロソフィー研修」というものがあるのですが、そこでレーシングスピリットについても話があります。「レースなくしてHondaなし」という言葉や、実際に社員がどのようにレースに携わり、そこから何を得るのかといった話もたくさん聞きました。それだけに、1992年の撤退にはガッカリした思いもありましたね。
その後、 私は自動車の生産だけでなく、さまざまな業務に当たるようになっていました。ヨーロッパではそういった会社は珍しいですが、いいことだと思います。色々な経験ができますしね。
―ついに憧れの舞台へ!
そして、Hondaが第三期のF1プロジェクトを開始してから数年たった2005年、F1エンジンの開発をしていたブラックネルへ、幸運にも出向するチャンスを得ました。
それから09年まで、エンジン組立を行うメカニックとしてブラックネルで働き、日本人の同僚と一緒に、F1チームの一員になることができました。Hondaにとって第三期唯一の勝利となったジェンソン・バトンの06年ハンガリーGPでの優勝時も、スペアエンジンの製造を担当しました。
08年でHondaがF1から撤退すると、スウィンドン工場には戻らず、一旦は他のF1チームのヒストリックカー部門に転職しました。それでもHondaに対する想いは変わりませんでした。またHondaのために働きたいと思い、しばらくして再度採用募集に応募することにしました。たしか2011年のことだったと思います。面接を経て新型量産車プロジェクトのエンジニアとして採用され、以前勤務していたスウィンドンに戻ることになりました。そして、そこでも充実した日々を過ごしました。
―新たなプロジェクトへの挑戦
その後、2015年からのF1復帰に向けてパワーユニット開発のプロジェクトが始まると知り、プロジェクトメンバーの社内公募に応募しました。そして、幸運にもエンジンベンチのオペレーターとしてミルトン・キーンズのファクトリーに赴任することができました。
これはHondaのいいところなのですが、自分がそこで何をやりたいと思っているのか、それぞれの要望を聞いてくれます。私は常々、現場のメカニックになりたいと思っており、それを言い続けました。そして、2016年と2017年にサーキット担当のメカニックとして配属されたことで、その夢は実現しました。
でも、初めて経験する現場メカニックへの仕事は、大きな挑戦とも言えました。プロジェクトのスタートから関わってるだけに、自分たちのPUが期待通りに機能しないのを目にするのは本当に辛かったですね。みんな本当にすごい努力をしてきたのでなおさらです。
まだまだ話は尽きませんが、読者の皆さんも疲れてしまうので、今週はここまでにしておきましょう。次回は、マクラーレンとのプロジェクトから、現在に至るまでの僕らの挑戦についてお話ししたいと思います。もう少しだけお付き合いくださいね!
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